65 望まぬ再会
「これはこれは、珍しいお客さんだ」
たった1度会っただけなのに、向こうも私の顔を覚えていたらしい。
金貸しヴィル・アゲートは、高級パイプをくゆらせながら近づいてくると、
「久しぶりだね、お嬢さん。私のことを覚えておいでかな」
と、ニヒルに口元を持ち上げ、笑って見せた。
声が出せないのでうなずこうとしたが、がっちり口元を押さえられていると、それも難しい。
「おっと、これは失礼。トール、その手を放せ。うら若いご婦人相手に失礼だろう」
「はあ……」
若干不満げな空気をにじませつつ、トールと呼ばれた男が私を解放する。
「とっ、と」
急に放されて、私はたたらを踏んだ。
どうにか転ばずに踏みとどまったが……、その時初めて、立派なじゅうたんの上に転がされている物体に気づく。
「なあっ!」
気づくなり、叫んでいた。すかさず、「騒ぐな」と背後の男がすごむ。
騒ぐなと言われたって無理な話だ。
両手両足を縛られ、猿ぐつわを噛まされて床に転がされているのは、ついさっきまで一緒に居たはずのニックだった。
何がどうしてこうなったのか、聞きたい。それはもうくわしく教えてほしいが、もちろんそんな余裕はなく。
「妙なマネしたらタダじゃおかねえぞ」
背後の男が、ずいと顔を近づけ、にらんでくる。
その顔も見覚えがあった。
長身、禿頭、凄味のある目付き。
アゲートと会った日、彼の店で、貴族の顧客と揉めていた――その後、警官隊にもついてきた、アゲートの部下らしき男だ。
「えっと……」
私は戸惑いながら男の顔を見上げ、それからアゲートの方に視線を移した。
アゲートはおもしろそうに私を眺めている。少なくとも、今すぐ危害を加えようという雰囲気ではない。
「あの、アゲートさん?」
トールという名の男がピクリと反応する。多分、なれなれしく呼ぶなとか何とか凄もうとしたんだろうけど、それをアゲートが「黙っていろ」という風に手を上げて制した。
おかげで私も、続きを口にすることができた。
「これはいったい、どういう状況なんでしょうか……?」
「ふむ。『これはいったいどういう状況か』」
アゲートは私のセリフを繰り返し、「実をいうと、それを問いたいのはこちらの方なのだがね」
「…………?」
私は頭の上に疑問符を浮かべた。
アゲートは、そんな私の反応をじっと見て、
「まずは、君がここに居る理由を話してもらえるかな。その後で、こちらも君の質問に答えるとしよう」
君がここに居る理由、と言われても……。
「ああ、先に言っておくが、嘘やごまかしを口にするのは遠慮してほしい」
アゲートは優雅に肩をすくめて見せると、
「私も戸惑っているんだ。大切なお客様との会食の席に、突然武器を持って踏み込んでこられたものでね。幸い、部下の対処が早くて、大事には到らなかったが。……いや、そこの狼藉者が、勝手に敷物で足を滑らせて転倒してくれたのだったかな。ともあれ、一歩間違っていたら、私が営々と築き上げてきた信用も、商売も、全てが水の泡になるところだったよ」
アゲートの話を聞きながら、私は目の前が暗くなりかけた。
ニックのことを、有能な警官だと思っていたわけではないが――よもや、ここまでとは。
「そんなわけで、話の内容によっては、穏便にすませるわけにもいかなくなってくる」
私は気づいた。
アゲートの目の中に見え隠れするもの。
ちらちらと、赤い舌をのぞかせる蛇のように、見る者を恐怖させる何か。
それは敵意だろうか。獲物をなぶる喜悦だろうか。あるいは純粋な怒りか。
いずれにせよ、確かなのは。
「穏便にすませるわけにはいかない」というそのセリフが、シャレでも冗談でもない、ということだ。
ヤバイ。これは、相当ヤバイ事態だ。
成り行きに頭が追いつかずにいた私だけど、ここに来て初めて、本気で恐怖を感じた。
下手したら、五体満足でここから出られないかもしれない――。
「その男が警官隊の者だというのは既に聞いた。ここに身分証もあるから、嘘ではないのだろう」
そう言って、テーブルの上から、警官隊の紋章入りの手帳を持ち上げて見せる。
「これまで、警官隊とは友好な関係を築いてきたつもりだがね。少なくとも敵対していた覚えはないが……まあ、今は置いておこう」
それよりも、と私の方を見て、
「お嬢さん。私たちが出会った運命的な事件の後、君は『あのお方』にメイドとして雇われたはずだね」
運命的かどうかはともかくとして、アゲートと出会った事件といえばひとつしかない。そしてあのお方というのは当然カイヤ殿下のことだろう。
ただ、殿下と雇用契約を結んだのはあの事件より後だし、アゲートにわざわざ教えた記憶もない。
「どうして知って……」
「なに、驚くほどのことではない」
アゲートは小さく首を振った。
「常に衆目を集めずにはいられないお方だ。それは、あの方に関わる者も同じこと。近づく者が居れば、素性を検められる。私がせずとも、誰かがしていることだよ」
もったいぶって話してるけど、要するにカイヤ殿下の動向は常にチェックしてるし、私のこともついでに調べたと?
「その君が、どうして警官隊と行動を共にし、この私に敵対するような行為に協力したのか」
再び蛇が獲物を狙うような目で、私を見すえるアゲート。
あー、この話の流れは、つまり……。
私が警官隊の密偵か何かで、王都に不慣れな村娘を演じ、カイヤ殿下のことを、ついでにアゲートのことも欺いていた、とか疑われている感じ?
この状況じゃ、そう見えるのも無理ないかもしれないけど……、ちょっと深読みしすぎだ。
私は足元のニックを見下ろした。
彼も目だけで私を見上げている。ぱっと見、大ケガはしていない。時間の経過から考えて、拷問とかにかけられる暇もなかったはずだ。
……そのわりに身元は吐かされてるし、なんか他にもしゃべってるっぽいが。
「ニックさん」
私は彼に話しかけた。
「悪いけど、アゲートさんに本当のこと話しますよ」
むーむーと唸りつつ、必死に首を振るニック。
「いや、しゃべるなって言われても無理です。むしろ、ちゃんと答えた方がいいと思います」
なんか、誤解があるみたいだし。
私はニックとアゲートの両方に向かって言った。
「ほう?」
と片方の眉を持ち上げるアゲート。
「おい、ガキ。舐めた口きくんじゃねえぞ」
と凄む部下。
私は軽く深呼吸してから、話し始めた。
「ええと、まずは今日、ここに来るまでの成り行きですが……」
ありのまま。嘘を交えることなく。
私は話した。
自分にとっては、ただの楽しい休日になるはずだったこと。
中央公園で偶然、ニックらと会い、「怪しい貴族と怪しい商人が密会する」現場に近づくため、協力を頼まれたということ。
「その貴族の名は?」
悠然と話に耳を傾けていたアゲートが、その部分で唐突に問いを挟んできた。
敢えて固有名詞は避けつつ話してきたのだが、仕方ない。先に「ごまかすな」と警告されているし。
「セイレス家の当主、だそうです」
相手の反応を伺いつつ、慎重に答えると。
ほんのかすかではあったが、アゲートの顔付きが変化した、気がした。
感情を読み取れるほどの変化ではない。
だけど、私は思った。その名前が、彼の想定していたものとは違ったんじゃないか、と。
根拠はある。
先程からじっと動かず、気配もさせないので、その存在自体を忘れそうになるが。
出入り口に近い方の席に座っている、アゲートの「大切な客人」。
薄暗くても、ソファーの陰になっていても、背格好くらいはなんとなくわかる。
その人物は比較的小柄で、体つきはふっくらしており、髪の色は茶。
セイレス家の当主は、小柄だが痩せており、頭のてっぺんが薄くなっている。
つまりそこに居るのは、カルサやニックが追ってきたセイレス家の当主ではない。
そして、密談相手の「怪しい商人」というのもまた、アゲートではないだろうと私は思う。
理由は単純。仮にアゲートなら、カルサが何か言ったはずだからだ。それこそ、「姐さん、あのアゲートって濃いおっさん、覚えてる?」とか聞いてきただろう。
セイレス家の名前は不用意に挙げておいて、アゲートの名前だけを慎重に伏せておく、とは思えない。
「ふうむ」
アゲートが口ひげをなでながらつぶやく。
「そういえば、先程セイレス家の主人を見たよ。美しいご婦人連れで向こう隣りの部屋に入っていった。老いてますます盛んとは実にうらやましいと思ったものだが……」
その言葉に、私の思考は若干、脇にそれた。
ひょっとして、セイレス家の主人は、単に愛人との逢瀬を楽しむためにここに来たんじゃないだろうな、と。
だいたい、「怪しい商人との密会」っていう話の根拠が何なのか、ニックには聞いてない。
最初から全部勘違いだったとしたら、振り回された自分たちが何とも報われないが、今は考えないでおこう。確かめようのないことだし、何より虚しい。
「では、そこのニックくんは、なぜこの部屋に踏み込んできたのかな」
そうつぶやくアゲートは、半ばこちらの回答を予想しているような顔をしていた。
「それは、おそらく……」
背後の男の殺気混じりの視線を感じつつ、私は言った。
「踏み込む部屋を間違えたから……?」




