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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第三章 新米メイドの王宮事件簿
65/410

64 災いは真昼の公園を走ってやってくる3

 男はオニキス・フォレスト巡査と名乗った。

「愛称でニックと呼んでくれたまえ、エルくん」

 許した覚えもないのにファーストネームで呼んでくるニックに、文句を言う気も起きず。

「はあ、よろしく。ニックさん」

「では、行こう」

 そんなわけで、レストランへ。「一応カップルという設定で、腕でも組んで入ろうか」という申し出を固辞し、普通に並んで入った。

 なお、カルサは店の裏口で待機している。万一、相手が警官隊の存在に気づいて逃げ出した時に抑える役、らしい。


 店の扉をくぐると、柔らかなピアノの音色が私を包んだ。

「いらっしゃいませ」

 品のいいスーツをまとった長身のウエイターが、にこやかに出迎える。

 ざっと店内の様子を見回す。さすが評判のレストラン、内装はセンスが良く、店員の立ち居振る舞いも優雅。店の奥にはグランドピアノがあって、ドレスアップした女性が静かな曲を奏でている。

「どこか落ち着ける席を頼むよ」

 ニックが言った。無駄に堂々としていて、ぱっと見は常連客のようだ。

 ちなみに彼の服装だが、もちろん警官隊の制服などは着ていない。「ちょっとお高いレストラン」に入ることを想定した変装で、紺のスーツにネクタイである。借り物なのか、肩の辺りが窮屈そうだ。


 ウエイターはニックの希望に応え、人気のある窓側の席ではなく、壁側にある静かな2人がけの席へと案内してくれた。

 もう1度、店内を見回す。セイレス家の主人は……見当たらない。

 雇われた時に軽くあいさつしただけの相手だが、顔は覚えていた。セイレス家の主人は、頭のてっぺんが少し薄くなった初老の男だ。

 店内に居るのは、デート中らしい男女がほとんど。年齢層はさまざまで、どちらかといえば若者が多い気がする。

 私がきょろきょろしていると、「ホシは奥の個室に居るのだろう」とニックがささやいた。さすがにここで大声を出さないくらいの分別はあるらしいが、それでも「ホシ」はやめろ。


 こういうお高い店には、上客用の個室があるものらしい。

 怪しい密談をするのに、人目につく店内はありえない。ニックが目で指した先――グランドピアノの向こうに、店の奥に続く廊下が見えている。

 すぐにそっちへ行くのかと思えば、ニックは席についたまま悠然としている。

「怪しい商談が盛り上がるタイミングを見て、踏み込むことにするよ」

 そんなタイミングがわかるのか。

「何、ベテランの勘というものだよ」

 ……突っ込むのはやめておこう、と私は思った。


「何でも好きなものを注文してくれたまえよ」と言われてメニューを広げながら、ふと思い出したのは、初めて王都に来た日のこと。

「魔女の憩い亭」でカイヤ殿下に会って、おいしい食事をご馳走になった。

 あの時、殿下が奢ってくれた料理のひとつ、「海の幸のキッシュ」をメニューの中に見つけて、私はそれを頼むことにした。

 さすがお高いレストラン、という値段だったけど。

 出てきた料理は、その値段に恥じない上質な味わいであった。


 熱々のキッシュには、ぷりぷりのエビと肉厚のホタテ、大ぶりの牡蠣が入っていた。

 鮮度抜群の海の幸は、おそらく王都の西にある港町から運ばれてきたものだ。

 付け合わせのコンソメスープと野菜サラダもおいしいし、セットドリンクは新鮮なオレンジのジュース。

 ニックは「大仕事に備えて」と紅茶を頼んだだけだった。代わりに、私の食事についてきたパンを失敬したりもしていたが、そのくらいは別に文句を言うことでもない。


 食事を始めてから30分ほど過ぎたタイミングで、ニックはようやく席を立った。

 ぶらりと自然に、お手洗いにでも行くように。実際は、店の奥にあるという個室で、怪しい商人と密会しているとかいうセイレス家の主人を探りに行くのだろう。

 立ち去る前、折り畳んだ紙幣を私に手渡していった。

「自分の帰りが遅いようなら、これで会計をすませて店を出てくれ」と彼は言った。「その後は自由にしてくれて構わないよ。君の協力に感謝する」


 私は少なからず不安に駆られた。この人、1人で行かせてだいじょうぶかなあ? と。

 とはいえ、「やめておいた方がいい」と言ったってやめるわけがない。「気をつけてくださいね」と見送るくらいがせいぜいだ。

「だいじょうぶ、心配することは何もないよ」

 こちらの不安も知らず、ニックは落ち着いた足取りで奥の廊下へと向かい、視界から消えた。

 私はといえば、食事を続ける以外にすることもない。

 ちらちらと、奥の廊下を伺いながら。


 やがて料理を食べ終え、食後の紅茶を傾ける頃になっても、ニックは戻ってこなかった。

 お金はもらっているし、「自由にして構わない」って言われたけど……、このまま1人で帰るっていうのはさすがにちょっと、ね。

 だからって、ずっと待ってるわけにはいかないし。

 様子を見に行くというのもありえない。

 店を出て、裏口を張っているはずのカルサに声をかけに行く? っていうのもな。普通に考えて、仕事の邪魔だろうし。


「失礼致します、お客様」

 考え込んでいた私は、先程のウエイターが歩み寄ってきたことに気づいていなかった。驚いて見上げると、「お連れ様から、ご伝言でございます」と、折り畳んだ小さな紙を差し出された。

 そこには、かなり乱雑な走り書きでこう書いてあった。


「予定が変わった。すぐに裏口の仲間と合流してくれ。 オニキス・フォレスト」


 ……何、これ?

 どういうこと?

 カルサと合流って……。何かまずいことでも起きたの? それで逃げた方がいいとか、そういう話?

 相手はあのニックだから、不測の事態に陥ることも十分ありえる。自分を巻き込むのは約束が違うと言ってやりたいが、目の前に居ないんじゃそれもできやしない。


「すみません、お会計お願いします」

 ウエイターに紙幣を渡し、立ち上がる。

「お釣りはけっこうですから。後、裏口って――」

 どこですか、と聞こうとして思いとどまった。

 連れがそこに居るんで、なんて言ったら変に思われるに決まってる。

 裏口というくらいだ、裏にあるだろう。店の外周をぐるっと回って行けば、多分着けるはず。


 私は急ぎ、外に出た。

 お店の周りには花壇や植え込みがあり、オープンテラスで食事を楽しむ人々の姿も見える。

 平和そのものの眺めだった。そこに危険がひそんでいるなんて思いもしないような。

 だからまあ、油断もあった。

 本当は、もうちょっと落ち着いて考えてみるべきだったんだろう。

 具体的には、つまり。

 あの走り書きが、本当にニックの書いたものなのか、ということを。


 駆け足で店の裏に回ると、表と違って全くひとけがなかった。ここにも花壇があって、日陰でも咲くアジサイが植えてある。花はまだ咲いていない。葉っぱだけだ。

「カルサ?」

 私はこんもりとしたアジサイの葉の向こうに呼びかけた。他に、人が隠れられそうな場所が見当たらなかったからだ。

 返事はない。それどころか、気配もない。

「居ないの?」

 私はもう1歩、花壇の方に近づき、アジサイの陰をのぞきこもうとした。


 刹那。

 音も気配もなく忍び寄ってきた何者かに、背後から羽交い絞めにされ、口をふさがれた。

「!?」

 いったい何が起きた、と思うより早く、耳元で「騒ぐな」の声。

 低く押し殺した、男の声だった。

 冷たく、無慈悲で。ごく短いそのフレーズだけで、「騒いだら身の安全は保障しないぞ」という警告の意味だとわかった。

 抵抗しようにも、腕力で勝る男にがっちり羽交い絞めにされてはどうしようもない。そのまま裏口から店の中に連れて行かれた。


 中は薄暗い廊下で、隅っこに木箱や酒樽が積んである他は、目につく物もない。

 私を羽交い締めにしている男は、私の体を引きずりながら、廊下を奥に進んだ。

 途中で、細い階段を上る。その際、私はほとんど宙吊りにされるような格好になったが、人1人抱えているにも関わらず、男は全く足を緩めることなく、階段を上っていく。

 すごい力だ。ちらりと視界に入るむき出しの腕は筋骨隆々である。


 相手が何者なのか。

 どこに行くのか、それ以前に何が起きているのか。

 考える暇もなく。

 階上に出ると、がらりと雰囲気が変わった。

 高そうな調度品に、立派な赤いじゅうたん。いかにもセレブ御用達って感じの高級感あふれる内装。

 男は周囲にひとけがないことを確かめると、すばやく廊下を横切り、1番近くにあるドアをひらいて、その中に滑り込んだ。


 瞬間、私の口をふさいでいた手が離れた。

 助けを呼ぶことはできなかった。「ぷはあっ!!」と、思い切り息を吐くのがせいぜいだ。吐いた後は一息吸う間もなく、再び男の手が口元を覆う。

「ボス、連れてきました」

 私を羽交い締めにしている男が言う。

「ただ、もう1人のガキはやっぱり逃げちまったのか、この女をとっつかまえた時にも姿は見せませんでしたが……」

「そうか、ご苦労」

 部屋の奥から、声がした。


 私は目線を上げた。

 そこは広い部屋だった。窓はなく、そのせいで若干薄暗い。天井から吊られた豪華なシャンデリアにも、半分しか灯が入っていない。

 向かって右手に暖炉。左手に本棚。一見すると書斎のようでもあるが、暖炉の横には高そうな絵が飾られており、いかにも高級そうな黒い革張りのソファーがふたつ、向かい合うように置いてある。

 応接間だろうか。

 ソファーにはどうやら人が座っているようだが、そのうち手前の席はこちらからだと陰になっていて、よく見えなかった。

 たった今返事をしたのは、奥の席に座っている人物の方だ。ゆったりした動作で立ち上がり、こちらを見やる。

『…………』

 しばし無言で見つめ合う、私とその人物。


 銀色の総髪、同色の口ひげ。

 眼光鋭いおっさんで、年は50過ぎ。

 白地に金銀のラインが入ったスーツに柄物のスカーフという、ど派手な服装。

 忘れられるはずもない、個性的な外見。

 声が出せない私は、頭の中だけで相手の名前をつぶやいた。

 ――ヴィル・アゲート。

 悪名高き王都の高利貸し。

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