58 さわやかな朝のさわやかでない出来事1
それから数日の間は、特に何事も起こらなかった。
王都の空は晴れ渡り、陽射しは暖かく。
王宮内の小さな庭園には、訪れる人もなく、静かで。
私は毎日、掃除に洗濯、料理に後片付け、と決められた家事をこなした。
幸い、クリア姫の体調はすぐに回復し、一緒にお茶したり、おしゃべりしたり、ダンビュラもまじえて散歩したり、と穏やかな日常を過ごしていた。
お城の図書館から借りてきた本も読んでいるようだ。
私も同じで、クリア姫と同じ本を読ませてもらい、感想や意見を交わした。読書好きのクリア姫は、本について人と話すのがとても好きだった。
カイヤ殿下は、あれから1度だけお屋敷に姿を見せたが、クリア姫が元気そうなのを確認すると、すぐに出かけてしまった。
パイラの言っていた通りなら、また何かトラブルでも抱えているのかもしれない。
――さて、数日後。
目を覚ますと、お屋敷の中が妙に静かだった。いつもは先に起きたパイラが水仕事をしている音などが聞こえてくるのだが、今日は無音だ。
枕もとの置時計を確かめる。
午前5時。
これはさすがに、パイラも寝ている時刻だ。
もう一眠りしようかと思い、目を閉じるが……頭の中がすっきり冴えている。
今日は私にとって、初のお休みである。
街に出て、色々と用事を足そうと決めている。時間があれば王都の観光なんかもしたい。
楽しみで、つい早く目が覚めてしまったのかもしれない。
私はベッドから起き出し、身支度を整えた。
少し散歩でもしてこよう。
初めてここに来た日に「兵士が庭を荒らす」なんて事件が起きたせいで、最初はお屋敷の外に出るのが少し怖かった。
けれど、先々代の国王陛下が愛する王妃のために整えたという庭は、本来、散策には最高の場所である。
各所に植えられた木々や季節の花々、緑の中をのびる小道。丸い池や、三日月の形をした池、そのほとりに建てられた東屋。
今は手入れも行き届いておらず、荒れている箇所も多いけど。
少しずつでも暇を見つけて、この庭園をきれいにしたい、と私は思い始めていた。
家事だけでは時間が余るし、まずはお屋敷の周囲から始めて、範囲を広げて――。
どの場所にどんな種を植えようかと考えながら、小道に沿ってぶらぶら歩いていく。
早起きの小鳥たちの声がする。朝露に濡れた草木から、緑の匂いが立ちのぼる。
行く手に三日月形の池が見えてきた時、朝陽が王城の向こうから顔を出し、私の顔を照らした。
「んー……!」
足を止め、軽く伸びをする。ついでに深呼吸。すがすがしい空気が肺を満たすのを感じる。
このまま池の周りをぐるっと散歩してから、お屋敷に帰ろうかな。
それとも、池のそばのベンチで、読書でもしようか。ポケットの中には、ちょうど読みかけの文庫本が入っているし。うん、そうしよう。
私は池の方に足を向けた。
そして、最初の1歩目で立ち止まった。
池のそばのベンチ。
誰か、居る。
まだ遠いけど、どうやら男の人だ。こちらに背を向けて座っている。
――何かあったら大声で呼べよ。すぐに飛んでいってやるからさ。
ダンビュラの言葉が頭をよぎる。
しかし、あのいいかげんな用心棒、どこまでアテにしていいものか。
もう1度小さく深呼吸。落ち着け、と自分に言い聞かせる。
仮に曲者なら、ベンチでのんびりしているわけがない。
とはいえ、この庭園は基本、部外者の立ち入りは禁止。だから見慣れない人間が居たら、怪しいと思わなきゃいけない。
私はそろそろと近づいていった。
お屋敷に引き返すことも考えたけど、一応、相手の姿をこの目で確認しておこうと思ったのだ。
ゆっくり、慎重に。
おかしな動きがあったら、いつでも走って逃げられるように心の準備だけして。
あと20メートル、10メートル、5メートル……。
私は足を止めた。
その後ろ姿に、見覚えがあると気づいたのだ。
長身で、すらっと長い手足。金色の髪が朝日に輝いている。
ベンチに預けた背中は細くも見えるけど、実はよく鍛えられて引き締まっている。
「ハウライト殿下?」
声をかけてみる。
どうやらこちらの気配に気づいていなかったらしく、驚いたように振り返る。
私は硬直した。
別人、だった。第一王子殿下じゃない。
そこに居たのは、まるっきり初対面の、知らない男であった。




