53 王室図書館にて2
ハウライト殿下がクロムを連れて図書館に戻ってきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
あいかわらず硬い表情で、セレナが「お茶を淹れましょうか」と申し出ても「必要ない」ときっぱり。
「談話室を借りる」と扉を開けて――そこで、テーブルの上を埋め尽くす絵本の山を発見することになった。
「いったい、何をしていた」
クリア姫がしどろもどろに魔女のお話のことを説明しようとすると、「おまえはまだそんなものに気をとられているのか」とぴしゃり。
「魔女は不吉だと、存在自体を忌み嫌う者も多い。知識として得るのは構わぬが、ほどほどにしておくようにと言ったはずだ」
クリア姫は「ごめんなさい」とうなだれてしまった。
「おい、兄ちゃん。そんなことより、他に話すことがあったんじゃねえのか」
のそのそと、昼寝から起き出してきたダンビュラが助け舟を出す。「結局、騒ぎの方はおさまったのかい?」
その騒ぎを起こしたのは彼(と私)なのに、まるっきり他人事みたいな言い方だ。
「…………」
ハウライト殿下は、鳶色の瞳に静かな怒りをたたえて、山猫もどきを見下ろした。しかし声を荒げるようなことはせず、
「どうにか、おさまった。……形の上ではな」
今から説明すると妹姫に向き直り、「まずは座りなさい」と命じる。
2人が話している隙に、と絵本を片付けていた私は、慌ててクリア姫のために椅子を引いた。
神妙な顔で席に着くクリア姫。
私はその斜め後ろに控え、クリア姫の正面の席にはハウライト殿下が腰を下ろす。その後ろにはクロムが立ち、ダンビュラはテーブルのそばに座り込む。
そして、ハウライト殿下は事の顛末を話してくれた。
結論から言うと、今回の騒ぎは、「子供のけんか」として処理されることになったそうだ。
つまり、ルチル姫の側にも、もちろんクリア姫の側にもお咎めはなし。
「どこが子供のけんかだよ」
ダンビュラが文句を言う。
口にはしなかったけど、私も同感だった。
下働きの人間を使って嘘の情報を流し、妹姫をおびきよせた上、武器を持った取り巻き5人と待ち構えていた。「逃げられない、助けも来ない所で、思い切りとっちめてやる」ために。
わりと悪質な犯罪行為だと思う。
が、ハウライト殿下は、「そうせざるを得なかった」と苦い顔をした。
つまり、ルチル姫の犯罪行為について追及しない代わりに、ルチル姫がダンビュラに襲われかけた(と、本人が主張している)件も不問にする、と取り引きしたらしい。
ハウライト殿下は苦い表情のまま妹姫を見ると、
「先程はルチルと取り巻きどもを随分と驚かせてやったようだが、そもそもダンビュラを連れてきたのはおまえの考えなのか?」
「違います」
とっさに、私は声を上げた。
「姫様には内緒にしてました。ルチル姫が本当に待ち伏せしてるかわからなかったし……。本当に、念の為のつもりで、ダンビュラさんに来てもらって」
ハウライト殿下のまなざしが、初めてまともに私をとらえた。
カイヤ殿下とは違う意味で、存在感のある瞳だ。何かまずいことでもしてしまったような、何ともバツの悪い気分にさせられる。……いや、実際にまずいことはしたのかもしれない。
「君は、カイヤが連れてきたというメイドか」
「は、はい! エル・ジェイドと申します!」
「そうか。愚弟が迷惑をかける」
いや、迷惑って。
そういえばクリア姫も、初めて会った時、似たようなこと言ってなかったっけ。「兄様が何か迷惑をかけたのではないだろうか」って。姫様は疑問形だったけど、ハウライト殿下は断定形なのね。
「俺らはまた、嬢ちゃんがひどい目にあわされたら困ると思ってさ」
ダンビュラが横から口を出す。
「あんたや王様はアテになんねえし?」
「ちょ、ダンビュラさん」
さすがに無礼だろうと焦ったが、ハウライト殿下は怒らなかった。
「アテにしてもらえなかったのは非常に残念だが、たった13歳の子供に出し抜かれるほど、我々も間抜けなわけではない」
ってことは、何?
やっぱりルチル姫の計画に気づいて、あらかじめ備えてたってこと?
「ルチルが事を起こしてから、クロムをはじめ、周囲にひそんでいた者たちで止める手はずだった」
ハウライト殿下は背後の近衛騎士を振り向き、
「現場を押さえた方がより効果的だからな。幸い、ルチル自身が人払いをすませてくれた」
そうだったんだ。
なのに、私たちが自力でルチル姫を撃退してしまったから、計画が狂った?
「……まさか、おまえが来ているとは」
ハウライト殿下がダンビュラを見下ろす。「城の者にはできるだけ姿を見せるな、と言っておいたはずだが」
「そうだったかあ?」
ダンビュラはふてぶてしくも、とぼけて見せる。
「ルチルは大騒ぎしていたぞ。化け物に襲われた、もう少しで食われそうになったと。城中の兵士を集めて狩り出せ、とも騒いでいた」
彼女はあの後、母親のもとに無事送り届けられたそうだ。今はたいそう取り乱しており、言っていることも支離滅裂なんだとか。
「その後始末をしたのは、我々なのだが」
「そうかい。ご苦労さん」
あいかわらず他人事のような言い草に、ハウライト殿下のひたいに青筋が立った気がした。
しかしダンビュラは、相手の怒りを先んじて押さえ込むように大声を上げた。
「だいたいなあ。そういうことなら、俺や嬢ちゃんにも教えといてくれりゃいいじゃねえかよう」
確かに。
あらかじめ教えておいてくれれば、こんな騒ぎになることもなかったし……、何も知らされずにおとり役をやらされたクリア姫が、ちょっとかわいそうじゃないかと思う。
「ダン……」
そのクリア姫は、何とも困った顔で護衛と兄の顔を見比べている。
「知っている人間が多けりゃ、ルチルに勘づかれるかもしれねえだろが」
ぼそりとつぶやいたのはクロムだった。「12歳の姫様が、上手に演技できるかもわかんねえし?」
ダンビュラのとがった耳がぴくりと揺れた。両眼をぎらつかせて近衛騎士をにらむと、「もしも嬢ちゃんが来なかったらどうする気だった?」
「あ?」
クロムもにらみ返す。ガンつけ合うのに慣れているような鋭い目付きだった。
「だから、嬢ちゃんが来なかったら、だよ。遠乗りの話なんて、いかにも嘘臭いだろが。警戒した嬢ちゃんが城には来ない可能性だってあっただろ」
そうだよねえ。せっかく待ち伏せしても、ルチル姫が事を起こしてくれなかったら意味ないし。
「もしかして、カイヤ殿下から聞いてらしたんですか?」
私はふと思いついたことを口にした。
一足早くお屋敷を出たカイヤ殿下が、クリア姫の予定や、罠の可能性を知らせたのかと思ったんだけど、クロムは否定した。
「殿下は関係ねえよ。今頃は兄君のお遣いで城を出てる頃だろ」
そういえば、兄殿下の都合がつかないから、代わりに施療院に行くとかいう話だったな。
んん? 待てよ。
……もしかして。
ハウライト殿下は、今回の件にカイヤ殿下を関わらせまいとしたとか?
適当な用事を言いつけて、お城の外に出して。
クリア姫に何も知らせなかったのは、妹姫を通してカイヤ殿下に話が伝わっては困るから――だから言いたくても、言えなかった?
「ははあ、なるほど」
ダンビュラがにんまりした。「ルチルがまるで懲りてないってことカイヤ殿下が知ったら、また親父の顔面に蹴り入れるかもしれねえもんな」
「洒落にならないこと、嬉しそうに言うんじゃねえよ」
クロムが食ってかかる。「あの時は運が良かったんだ。また同じことがあってみろ。今度は鼻じゃなくて首が折れるかもしれねえだろ」
自分も十分、洒落にならないことを言っている。
「いいかげんにしろ、おまえたち」
ハウライト殿下が2人を止める。
それから彼は、ダンビュラではなく、私に尋ねてきた。「カイヤは、何か察しているようだったか。今日のこと――ルチルの遠乗りの話を聞いて」
「ええ、まあ。多分、気づいてたと思いますけど」
「……そうか。にも関わらず、ついてこようとはしなかったのか」
ハウライト殿下は腑に落ちないという顔をした。「あれの性格なら、自分も現場に来そうなものだが……」
何かを考えている時の顔は、クリア姫だけでなく、カイヤ殿下にも少し似ていた。
「殿下は、俺らを信用して任せてくれたんだよ」
な? と私を見上げるダンビュラ。
それは嘘ではなかったので、
「おそらく……、そういうことだと思います」と私はうなずいた。
「信用、か」
ハウライト殿下は深々と嘆息した。「簡単に人を信用するのは、あれの最も悪いクセだな」
クロムの方は天井を仰いで、「これだから、あの人は……」とあきれたようにつぶやいている。
「あのう……。何だか余計なことしちゃったみたいですみません……」
私はそろそろと謝罪の言葉を口にした。
「君が謝る必要はない。責められるべきは、考えの足りない弟と、そこの護衛だ」
ハウライト殿下の目にはそう見えるのかもしれないけど、
「でも、あの。ダンビュラさんについてきてもらおうっていうのは、そもそも私が考えたことですし」
「君が?」
「はい、私が。もしものことがあったら困ると思って」
「…………」
「カイヤ殿下はいつもお城に居るわけじゃないですし、私たちだけでも、ちゃんと姫様を守れるようにしなきゃと思って……」
「…………」
「ここまでの騒ぎになるとは思ってなくて。だから、あの。考えが足りなかったのは、私で」
無言のプレッシャーにいたたまれなくなった私は、すみません、本当にすみません、とぺこぺこ頭を下げた。
「……なるほど」
ハウライト殿下がつぶやく。もう1度、深々とため息をついて、「君はなかなか行動力のあるメイドらしい。あのカイヤが連れてきただけのことはある」
うぐ。けっこうキツイな、この人。
「エルのせいではない」
クリア姫がかばってくれた。「もとはといえば、私が悪いのだ……」
いや、なんでそうなりますか。姫様は何も悪くないでしょ。
「そうだな。その通りだ」
って、ハウライト殿下まで何を?
「おまえはルチルの問題を自分個人のことと捉えているようだが、話はそう単純ではない」
想像してみなさい、とハウライト殿下は妹姫に言う。
仮に、今日のルチル姫の計画が誰にも知られず、止められず、実行に移されたらどうなっていたか。
「おまえ1人が傷つくだけですむ、とそう思うか?」
「…………」
クリア姫が青ざめる。
私も想像してみた。
仮に、そうなっていたら。
クリア姫が、第一王子殿下の妹姫が、異母姉の手によってお城の中で傷つけられて、全く問題にならないなんてこと、あるわけが――いや、でも。
「今まではそうだったじゃねえかよ」
ダンビュラが不満そうに口をひらく。
「カイヤ殿下以外みんな放ったらかしで、誰もまじめに止めようとしなかったじゃねえか」
「子供のけんかですむレベルだったからな」
ハウライト殿下は動じない。――だけど、私は気づいた。彼の横顔もまた、かすかに青ざめていることに。
「運が良かっただけだろ」と畳み掛けるダンビュラ。
「それか、俺が仕事したからだ。あんた、カイヤ殿下に聞いてねえのか。ルチルが嬢ちゃんの庭園に押しかけてきた時、何やったのか。俺が止めなかったら、あいつはなあ――」
「ダン。その話はよい」
クリア姫が止める。青ざめているばかりか、かすかに震えていた。痛ましい姿に、私は胸がつまったし、ダンビュラもそれ以上、口にするのを思いとどまったようだ。
「くわしいことはカイヤに聞いている」
ハウライト殿下の口調は静かだった。
「放っておくつもりなどなかった。今日のことは良い機会だと思っていた――」
急にダンビュラの顔が輝いた。
「へえ。ってことは、ルチルを止めた後、ただで帰す気はなかったってことだな」
私はどきっとした。ただで帰す気はないって、どういう意味?
「兄様?」
クリア姫がいっそう不安げな顔をする。「まさか、ルチル姉様にひどいことを……?」
「暴力を使う気はない」
だから安心しなさい、と妹姫を見る。そのまなざしは優しかった。
「ただ、現場を押さえ、苦言を呈するだけだ。自分のやっていることが、いかに無意味か。いや、それどころか、自分の母親や姉に災いをもたらす、ということを理解させるつもりだった」
「んなもんで、あのルチルがおとなしくなるかよ」
ダンビュラは容赦ない。
「あの悪ガキ、1度痛い目でもみなけりゃ、自分のやってることなんざわからねえよ」
その言葉には、さっき彼と言い争っていたクロムもうなずいている。「あんなガキ、こうしちまえ」とばかりに、首をかっきるような仕草まで見せている。
気持ちはわからなくもないけど、姫様にも見えるでしょ。これ以上、怖い思いをさせないでほしい。
「なあ、兄ちゃん。いっぺんあのクソガキをとっつかまえて、邪魔の入らない所で徹底的にこらしめてやろうぜ」
勢いづくダンビュラ。
たとえ13歳の子供でも、やっていいことと悪いことがある。ルチル姫の妹いじめは、後者に該当すると私も思う。
だけど、それって。今日ルチル姫がやろうとしたのと同じことじゃないの?
ハウライト殿下が苦渋の表情で口をひらきかけた時、その場の空気に全くふさわしくない、のんびりした声が割って入った。
「だめですよ、殿下」
セレナだった。
ハウライト殿下が断ったにも関わらず、人数分のお茶を淹れてきてくれたようだ。白い陶器のポットを片手に、柔らかくほほえんでいる。
「今、ルチル姫に手を出してはだめ。それは悪手です」




