51 ハウライト・クォーツ
凡庸で、目立たない王子。
というのが、ちまたの噂で聞いた第一王子殿下の評価、その最大公約数である。
実物を目にした私の感想はといえば。
――どの辺りが凡庸? だった。
十分過ぎるほどイケメンだし、十分に大物オーラあるじゃないか。
身長は180を越えているだろう。すらっとスタイルがよくて、身のこなしは優雅で。
カイヤ殿下とはあんまり似ていない。
むしろ、クリア姫に似ている。柔らかそうな金髪といい、知的な鳶色の瞳といい。
あとは顔の輪郭とか目元とか、そういう細かい部分も似ている。
「随分と騒ぎを起こしてくれたものだな」
何やらバツの悪そうな顔をしたクロムを従え、近づいてくる。眉間にしわをよせ、その声は石のように硬い。
初めてお会いする第一王子殿下は、あまりご機嫌麗しくはなさそうだった。
驚いて固まっているクリア姫を見下ろし、ほんの一瞬、私の方に視線を投げるも、すぐにそのまなざしは姫君の後ろ――ふたつの木箱が乗った台車の上に移動。
「そこに居るのはダンビュラか」
のそっと木箱の中身が動き、護衛の顔がのぞいた。
「よ、兄ちゃん。久しぶり」
何という軽いあいさつか。この山猫もどき、状況がわかっているんだろうか。
……まあ、正直にいえば、状況がわかっていないのは私の方なんだけども。
なんでこのタイミングでハウライト殿下が出てくるんだろ?
クリア姫もそれは思ったらしく、
「兄様……。どうして、ここに……?」
ハウライト殿下は妹姫の問いには答えず、ふっと不機嫌そうに嘆息した。
なんか、怒ってる? 怒ってるよね?
「兄様……?」
クリア姫も不安そうだ。
うーん、どうしよう?
はじめましてってあいさつするような空気じゃないし、メイドごときが口を挟むのもなあ。
気まずい沈黙に支配された図書館。その一方で、大扉の外からは、いまだ騒ぎの気配が伝わってくる。
「殿下、あっちの方も何とかしないとまずいんじゃ……」
クロムがささやく。
そうだな、とハウライト殿下は言った。「まずはあちらの騒ぎを鎮めてから、おまえたちの話をゆっくり聞かせてもらうことにしよう」
妹姫の顔を見下ろし、「クリア」と名前を呼ぶ。
「は、はい。兄様」
ぴんとクリア姫の背中がのびた。
「私が戻るまで、けしてここから出ぬように。特にダンビュラをこれ以上、人目にふれさせてはいけない」
幼い妹姫に語りかける兄殿下の口調は、堅苦しくはあったが、高圧的ではなかった。むしろ優しいと言ってもいいくらいだったけど、クリア姫は小さくなってしまっている。
「わかりました」
一方のダンビュラは悪びれもせず、
「おいおい兄ちゃん、何言ってんだよ。嬢ちゃんは俺が見つからないように隠そうとしてたじゃねえか。見てなかったのか?」
ダンビュラのセリフは無視。
第一王子殿下は、クロムを連れて図書館から出て行ってしまった。
バタン、と閉ざされる扉。残された沈黙。
と、司書のセレナが、ひょっこりと本棚の陰から姿を現した。
「何だか大変そうねえ。ハウライト殿下は、あいかわらずお忙しそうだし」
「すまない、セレナ。騒がせてしまって」
クリア姫が詫びる。
「そんな、いいんですよ。いつもは静かすぎるくらいだから、にぎやかなのは大歓迎。まずはお茶を淹れましょうか。おいしい焼き菓子があるの」
にこやかに言って、身を翻しかけ――ふと思い出したように振り返り、
「そちらの方は、お茶を召し上がるのかしら」
そちらの方というのは、いまだ木箱に入ったままのダンビュラのことだったようだ。
「お構いなく」
と本人が答える。
「彼は私の護衛で、友人だ。ダンビュラという」
「はじめまして」
ほほえむセレナに、クリア姫は不安と申し訳なさの入り混じった視線を向けた。
「その、彼を図書館に入れてもだいじょうぶだったろうか。本を傷つけたりはしないと思うが、毛が落ちるのはどうしても防げないだろうし……」
……お言葉ですが、姫様。心配のポイントはそこですか。
問題は、「図書館に動物を入れないでください」とか、そういうことじゃないと思うんですが。
しかしセレナは、初めて見るはずのしゃべるケダモノにも、全く動じなかった。
「あら、構いませんよ。陛下もよく猫や小鳥なんかを連れてみえましたもの。特に可愛がっていた黒猫が居て、いつも膝に乗せてねえ……って、いやだ。そんな昔話はどうでもよかったわね」
ふふと笑って、本棚の隙間に姿を消してしまう。
多分、お茶を淹れに行ったんだろうけど。……なんか、変わった人だな。
私はクリア姫と顔を見合わせた。
「とりあえず……、これからどうしましょうか?」
「今はハウル兄様が戻るまで待つしかないと思うが……」
クリア姫は何かを考える時の表情になった。「兄様はどうしてここに来たのだろう」
「偶然通りかかった、とかあるわけねえわな」
ダンビュラが口を挟む。「あの様子じゃ、ルチルの悪巧みを知って待ち構えてた、ってとこか?」
ああそうだ、謝らなきゃ、と私は思い出した。
「姫様、さっきは驚かせてしまってごめんなさい。それから、ダンビュラさんを黙って連れてきたことも」
あらためて、深々と頭を下げる。
ルチル姫が本当に罠を張っているかどうかわからなかったし、できればクリア姫には余計な心配をせず、のびのびと外出を楽しんでほしかった。
だから黙っていたんだけど……、こうなってしまうと、何やらだましたような気分にもなってくる。
しかしクリア姫は、「そのようなことはよいのだ」と首を横に振った。
「2人は私のためにしてくれたのだろう。むしろ感謝している」
なんて優しいお言葉、と感動していたら、急にダンビュラが声を上げて笑い出した。
「しっかし、ルチルの悲鳴は傑作だったよなあ。胸がスッとしたぜ」
彼のように気楽に笑っていい状況なのかどうかはともかくとして、スッとした、というのは私も同感だった。
クリア姫もちょっと困ったように笑う。笑った後で、すぐに真顔に戻って考え込んでいる。
私も考えてみた。
あの後、ルチル姫はどうしただろうと。
自分の部屋に戻って、ふとんをかぶって震えている、とかだったらいいのだが、あのお子様はそこまで繊細ではなさそうだった。正気づいたら、面倒くさいことになりそうだ。
ま、仕方ない。
穏便にすませられるなら、私もそうしていた。あの状況では、多少の無茶もやむなし、だったと思う。
私の仕事は、クリア姫のメイドだ。彼女の安全を最優先にする、という形で間違ってはいないはずだ。
そう、間違ってはいないはず、だが――。
私はついさっき見た第一王子殿下の顔を思い浮かべた。「随分と騒ぎを起こしてくれたものだな」というセリフといい、不機嫌そうな表情といい、私たちのやったことを快く思ってはいないようだった。
「ハウライト殿下ってどんな方なんですか?」
クリア姫に聞いてみると、
「兄様はお優しい方だ」
という答えが返ってきた。「気難しいと誤解されることもあるようだが、本当はとても――」
「ちょっと融通きかなくてクソ真面目で要領悪いけどな」とダンビュラ。「ま、悪い奴じゃねえよ」
「つまり、味方だと思っていいんですよね?」
クリア姫は「もちろんだ」とうなずき、ダンビュラは「敵じゃねえけど、アテにはするなよ」と微妙な言い方をした。
「慎重っていえば聞こえはいいが、あの兄ちゃん、基本的に度胸が足りねえからよ」
「ダン、失礼なことを言ってはいけない」
クリア姫が語気を強めた。
「ハウル兄様はとても強い方だ。勇気がないなどということはない――」
「あー、落ち着け、嬢ちゃん。そう怒るなって」
ダンビュラは少し考えてから言い直した。
「度胸が足りねえ、ってのは言葉が悪かったな。俺が言いたかったのは、あれだ。決断力っつーか実行力っつーか、そういうもんの話だよ。あの兄ちゃん、考えすぎて足が止まるタイプだろ。悪い結果を避けようとするあまり、なんだろうが……。世の中には、吉と出るか凶と出るか、やってみるまでわからねえってことも多いからな」
「それは……それは多分、ハウル兄様がとても責任感の強い方だから……」
クリア姫は少し不満そうにもごもご言った。
ダンビュラは気にしない。また気楽に笑って、
「カイヤ殿下はその点、決断が早いだろ。早すぎて、よく周りを置いていくがな。あの兄弟、足して割ったらちょうどいいのによ」
それが本当なのだとしたら、随分と性格の違う兄弟なんだな、と私は思った。
さて、優しく慎重で決断力に欠ける第一王子殿下は、此度の私とダンビュラの行為にどのような評価を下すのだろうか。




