04 運命の出会いという名の災難
振り向いた私の前に立っていたのは、一言でいえば「怪しい男」だった。
季節は初夏。新緑のまぶしい5月である。今日は朝から気温が高く、少し動いただけでも汗ばむほどの陽気だ。
にも関わらず、その男は暑苦しい外套を着込み、フードを目深にかぶって顔を隠していた。色は黒。全身黒づくめである。
外套の男は繰り返す。「どうしても貴族に雇われたい、と聞こえた気がしたが……俺の空耳か? セドニス」
「空耳ではありませんが……」
とっさに返事ができない私に代わり、地味顔の職員が受け答えた。
「本日はどういったご用件でしょうか、カイヤ殿下」
……カイヤ殿下?
私は思わず職員の顔を振り向いた。
「カイヤ殿下」って言った? 今。
……それってまさか、噂の第二王子……。
いやいやいや。いくら王都だからって、王族が街中の酒場になんて来るわけが――。
「仕事を頼みに来た」
そう言って、フードを下ろす外套の男。
「以前ここで雇ったメイドが、昨夜のうちに退職を願い出てきたのでな」
その瞬間、まばゆい光が私の目の前で弾けた。……ような、錯覚を覚えた。
なんなんだ、このイケメン。
いわゆる「女顔」ではない。彫りの深い美形でもなく、甘い顔立ちの二枚目でもなく、黒髪に黒い瞳というのも、この国では別に珍しくない。だから具体的に説明しろ、と言われると少々困るのだが。
整った顔。他に、表現のしようがない。
それなりに背が高く、体格は普通。暑苦しい外套のせいで体型ははっきりしないが、さほどやせているわけでも、がっちりしているわけでもないと思う。
特筆すべきは、その空気。
一般人とは明らかにオーラが違う。
高貴で、気品があって。
猥雑な喧騒に包まれていた酒場が、男が顔をさらすと同時に、シャンデリアの輝く王宮の大広間にでもなったみたいだ。
男がフードをかぶっていた理由がまさにそれだろう。
こんな大物オーラをただよわせたイケメンが、昼日中の街を歩いていたら注目の的だ。今だって、彼がフードを下ろしただけで、お店の中がざわついた。
だけどそれは、店の客――それも常連ではない、一見の客だけだったようだ。
店員たちは落ち着いている。
セドニスと呼ばれた青年も同じで、机の上から整理券を手に取り、「それでしたら、こちらを」と男に差し出した。
「順番が来たらお呼びしますので、店内でお待ちください」
……って、ちょっと待て。
事務的な対応にも程があるだろ。カイヤ殿下って、この国の王子様じゃないの??
「わかった」
しかし『カイヤ殿下』ご当人は平然と整理券を受け取り、「では、行くぞ」と私の方を見た。
「え? 行くぞ?」
「待つ間に、茶でも飲むとしよう」
そう言って、こちらの返事も待たずにさっさと移動。空いたテーブルのひとつにつくと、タイミングよく歩み寄ってきた年配のウエイターに向かって、
「紅茶を頼む。それから……、腹具合はどうだ。食事は必要か?」
「へ? あ、私ですか?」
「他に誰が居る。空腹ならば何か頼むが、どうする?」
どうする、って。
食事をするには中途半端な時刻である。しかし、私は迷った。
昨夜は街道沿いの安宿で一泊、保存食でささやか過ぎる朝食をとり、朝一で宿を出て、日が高くなる前に王都の城門をくぐった。
その後すぐに職安を探したものの、慣れない場所で道に迷い、この店に着いたのが昼近く。
昼食もとらずに職安のカウンターに並び、待つこと数時間。……説明が長くて申し訳ないが、つまりは空腹だということだ。
しかしながら、腹具合より余裕がないのは懐具合。軽い財布と空の胃袋を比べれば、ここは我慢すべきだと結論づけるより他なく。
「ちなみに、奢りだが」
「是非、いただきます」
「そうか。では、こちらに来てメニューを選んでくれ」
セドニスの冷たい視線を横顔に浴びつつ、私はいそいそと席を立った。
食い意地の張った女だ、と思いたければ思えばいいさ。
食べることは即ち生きることであり、質のいい食事は質のいい暮らし、さらには質のいい人生につながっていく――と、私は居酒屋の店主である祖父に教えられて育った。
初対面の人に食事を奢ってもらうのはどうかと思うけど……まあ、そこは「仕事の話を聞くついでに」ってことでいいんじゃないかと。
男の向かいの席に腰を下ろし、メニュー表を眺める。
さすが都会、見たこともないような料理が並んでいる。
前述の教えもあって、食べることには人一倍こだわりを持って生きてきたつもりだ。できれば、何か珍しい料理を食してみたいが……。どれもこれも、気になるメニューばかりで目移りしてしまう。
「決めたか」
「えっ! あの、すみません。知らない料理が多くて……」
わたわたしていると、年配のウエイターが助け舟を出してくれた。「よろしければ、当店オススメのメニューをこちらでお選び致しますが」
「それでいい」と男は言った。「適当に持ってきてくれ。余るようなら、屋敷に持って帰る」
あら、庶民的な王子様。
……王子様じゃないんだろうか?
私はついしげしげと男の顔を眺めた。
あらためて見ると、つくづく鑑賞向きの顔だ。
年齢は20代前半といったところか。まだ少年のような面影を残しており、その幼さが、気品に満ちた顔立ちに親しみやすさを加味している。
くどすぎることもなく、不足もない。まさにバランスのとれた顔かたち。
「何か」
「あ、ごめんなさい。じろじろ見ちゃって……」
「人に見られるのは慣れている」
すごいセリフを平然と口にしてから、「それに」と店のメニューを指さす。
「これを見ていた時の方が、よほど熱心に見えた」
「あう……すみません……」
気まずくなって肩を縮めたが、男は別に気を悪くした風もなく。
「あらためて名乗ろう。俺はカイヤ・クォーツ。今日はこの店にメイドを探しに来た」
その言葉で、自己紹介すらまだだったことを思い出し、私は姿勢を正した。