48 お姫様とお出かけ2
ガラガラ、ガラガラ。
歩くたびに、台車の車輪が音を立てる。
さわやかな木々の香り。森と見まがうような緑の庭園の中を、緩やかにカーブしていく遊歩道。
見上げれば、木々の隙間から澄み切った青空がのぞいている。
「空気がおいしいですねえ」
私は軽く深呼吸した。
実際、いい気分だった。台車が少し重いけど、遊歩道はたいらに整備されているので、押して歩くのもそんなにキツくない。
そうだな、とクリア姫も笑う。
「いつもパイラやダンとお散歩するのだ。たまにカイヤ兄様とも」
その声は弾んでいた。並んで歩きながら、庭園に咲く花の名前や、時折聞こえるさえずりが何という種類の鳥か、私に教えてくれたりする。
しかし、小さな池のそばを通りかかった時、急にその顔が曇った。
池のほとりには東屋が建てられている。
――もしかして。
きのう、兵士が荒らした、というのはこの辺りだろうか。
ぱっと見、その痕跡はわからない。でもクリア姫の様子からして、多分間違いないと思う。
助けが来るまで、1人でしげみの中に隠れてたんだよね。怖かっただろうなあ。戻ってきた時は震えてたし。
今はそんなひどい事件のことは忘れて、お出かけを楽しんでもらおう。
「図書館って、本がたくさんあるんですよね?」
クリア姫の気を引こうと、私はいかにも期待しているという風に言った。
「私の村には図書館なんてなくて、小さな本屋さんがあるだけでした。それも半分は雑貨屋さんで」
そうなのか、とクリア姫が相槌を打つ。
「その本屋さんには、どんな本が売られているのだ?」
「ええと、そうですね。流行りの小説とか、地図とか、観光案内とか……。あとは学校で使う辞書とか、歴史の本とか?」
「学校……」
クリア姫は少し興味を引かれたような顔をした。「子供が集まって勉強する所だな?」
「はい。私は14歳になるまで通ってました。読み書き計算を覚えたらすぐに辞めちゃう子も多かったですけど、勉強とか、けっこう好きな方だったので」
「私も勉強は好きなのだ。学校に行ったことはないが……」
貴族やお金持ちの子供は学校には行かず、専属の家庭教師を雇うと聞いたことがある。
クリア姫もそうだったのかもしれない。「きっと楽しい所なのだろうな」とつぶやく声が残念そうだ。
「確かに勉強は楽しかったですけど、いいことばかりでもないですよ? いろんな子供が集まってますし……」
中には、人の髪が白いからといって、侮辱するような悪ガキも居た。
「そうなのか。パイラの前のメイドは、とても楽しい所だと言っていたが」
「それは多分、人によりけりじゃないかと」
「そういうものか……」
「えっと、姫様は学校に行ってみたいんですか?」
「……よくわからない。もっとたくさんのことを学びたいとは思っているが……。エルは大学を知っているか?」
話が飛んで、私は少し戸惑った。
「ああ、はい。一応知ってます」
王都には王立の大学がある。何百年も歴史のある、由緒正しき学舎だ。
昔は身分の高い男の人しか入れなかったらしいが、今は平民でも女性でも入学できる。ものすごく難しい入学試験に合格できれば。
「姫様も将来は大学に進まれるとか?」
何の気なしに尋ねると、クリア姫はまた少し元気のない顔になってしまった。
「それは、わからない。私に必要かどうか……。王族でも大学に行くことはあるが、それは国政に関わる知識を身につけるためで……。私は女だし、年も下の方だし……」
クリア姫は確か第9王女だっけ。普通に考えて、将来、国の仕事に関わる可能性は低いのかもしれないな。
あるいは、王様の後継ぎ問題でゴタゴタしている間は、将来のこととか、決めたくても決められないとか?
話をしているうちに庭園を抜けた。
行く手をふさぐように現れたのは、大きな石造りの建物。
窓がないところを見ると、倉庫か何かだろうか。殺風景な通用口があり、兵士が1人、番をしている。
「……どうも」
私とクリア姫を見て、小さく頭を下げる。
だるそうなまなざしと無精ひげ。どこかで見た顔だと思ったら、きのう城門の前に居た兵士だった。
「クロム殿」
クリア姫が呼ぶ。そうそう、確かそんな名前だった。
「今日はここで仕事か?」
「ええ、まあ。同期の奴が急に腹痛起こしたんで、代わりにね」
クロムと呼ばれた兵士は、お姫様相手にしてはぞんざいに受け答えた。
「あと、前にも言いましたけどね、姫君。クロム『殿』はやめてください。俺はそんな偉いさんじゃないんで」
「す、すまぬ」
慌てて謝るクリア姫から、私の方へ。クロムの視線が、ゆっくりと移動する。
「…………」
黙って私を見つめる、その目つき。やっぱりお城の兵士っぽくない。
もっと遠慮なくいえば、カタギっぽくない。
この世の暗い部分をのぞき見てきたような、疲れたような、倦んだような。こういう目をした人、実家のお客さんにもたまに居た気がする。
「おはようございます」
私は会釈した。
「どうも」
クロムはきのう城門前で会ったことを覚えていないのか、私の顔を見ても無反応だった。
台車を通用口に入れる時、ちょっと手こずった。
ほんの10センチくらいの段差なんだけど……、木箱が重くて……。
「ちょっと待ってくださいね、姫様」
私が息を切らせて四苦八苦していたら、クロムが近づいてきて手を貸してくれた。
片手でひょいと持ち上げようとして、「なんだこりゃ。やけに重いっすね」と眉をひそめる。
それでもやはり男の人は違う。両手でえいやっと持ち上げると、台車は無事、扉の中に入った。
「ありがとうございます、助かりました」
私はにっこり、愛想笑いを浮かべた。
「…………」
クロムは返事をしなかった。露骨に不審そうな目で私と台車とを見比べている。
「図書館に返す本が入ってるんです。たくさんあるので、重たくて……」
説明しても、返事がない。
しかし、「ありがとう、助かったのだ」とクリア姫が言うと、クロムは思い直したように小さく首を振った。
「……いえ。お気をつけて」
通用口の先には、廊下がのびていた。
静かで、薄暗く、分厚い石の扉が等間隔に並んでいる。どの扉もかんぬきや南京錠で固く閉ざされていた。ずっと長いこと使われていないような感じだった。
廊下の角を曲がったところで、クリア姫が口をひらいた。
「さっきの者は、近衛騎士なのだ」
「え!? うそ!?」
つい大声を上げてしまい、慌てて自分の口を押さえる。
「すみません、でも本当ですか? 近衛騎士って言ったら、王族の警護が仕事っていうエリート中のエリートでしょ? こんな場所で見張りとかするものなんですか? あの人、きのう城門の前でも見ましたし」
クリア姫は「よくわからぬが」と前置きしてから、もしかすると、何かの懲罰で番兵をやらされているのかもしれないと言った。
「あの者は、近衛騎士の中でも出自が変わっていて」
戦地でクロサイト様の部下をやっていた縁で、一介の兵士から近衛騎士へと抜擢されたんだそうだ。
つまり戦争で出世したわけか。それっぽく見えないのも道理だ。
しばらく行くと、2本の廊下が十字路のように交差している場所に出た。
クリア姫の案内で左に曲がる。
さらに、進むことしばし。通ってきた廊下は行き止まりになり、代わりに壁のない渡り廊下が、お城の別棟に向かってのびている場所に出た。
「ここから図書館に行ける」
とクリア姫。
渡り廊下には手すりも天井もなく、木の板を組み合わせただけの簡素な造りだった。
幅は大人が2人、ようやく並んで歩けるくらい。私は慎重に台車の向きを変え、廊下に押し出した。ギギッと頼りなげな音がした。
周囲には花や木が植えられている。少しずつ咲き始めたリラの花。こんもりした緑の葉は、多分アジサイだ。こちらはまだ花が咲いておらず、葉っぱの上をカタツムリが這っている。
左手には小さな池もあり、濁った水面に水草が顔をのぞかせている。
お城の中庭って感じだろうか。しかし、それにしては全く人が居ない。
ガラガラと、台車を押す音だけが響き、やけに静かな場所だなと私は思った。
「やけに静かですね」
思ったままを口にすると、「この辺りは、いつもあまり人が居ないのだ」とクリア姫が教えてくれた。
「さっき通ってきた建物も、今は使われていない。ひいおじい様の代には学者が大勢居て、何か研究していたらしいが……。先代国王の代に、みんな追い出されてしまったと聞いている」
暗君の誉れ高い先代国王は、いわゆる独裁者であったらしい。
つまり自分の決めたことが絶対で、逆らう者には容赦なかったってことだ。
ほんのわずかな批判でも、それを口にする者は迷わず弾圧した。
その対象は、王宮内の反対勢力に留まらず。
民間の学者や研究者、それに礼拝堂の司祭様や、町の学校の先生とか、いわゆる「知識階級」の人たちも迫害を受けたらしい。ここに居た研究者たちもそうだったのだろうか。
「この渡り廊下を抜けたら、図書館はすぐそこなのだ。この先の廊下を曲がると、少し先に大きな扉があって――」
「姫様、ストップ」
私は足を止め、前方を指差した。
「誰か居ますよ。この先に隠れてます」
クリア姫が驚いた顔をする。
私は別に気配を読むプロなどではないが、それでも明白だった。風の音にまぎれて、ひそめた笑い声が聞こえたのだ。
「そこに居るのはどなたですか?」
私はクリア姫をかばうように前に出た。
「何か御用があるなら――」
言い終わる前に、隠れていた「誰か」が姿を現した。
1人ではなかった。
ばらばらと、2人、3人、4人、……全部で6人。
うち5人は男だった。
いや「男の子」と呼ぶべきか。体格も顔立ちも、まだ子供っぽい少年たち。
彼らを従え、私とクリア姫の前に現れたのは1人の少女。
この状況で、このタイミングで出てきたんだから、まあ間違いないよね。
思った通り、「ルチル姉様」とクリア姫が呼んだ。その横顔は、緊張で硬く強張っていた。




