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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第二章 新米メイド、王宮へ行く
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46 夜の庭園2

「4年前に終わった国境紛争のことは知っているだろう」

 もちろん知っている。一時は王国そのものが危なかったのだ。

 私の村でも、南の国の兵士が国境を越えてきていると聞いて、村人みんなで逃げる準備をしたくらいだ。

 幸い、敵兵の姿を見ることはなかったけど……、あの時は生きた心地がしなかった。

「殿下も従軍されたんですよね?」

「ああ。戦のことなど何ひとつ知らない子供だったが、色々あってな。前線に行くことになったのが、今から7年前だ」


 当時、殿下は王妃様の離宮で、クリア姫と一緒に暮らしていた。

 クリア姫は5歳。当然のことながら、戦争の意味などわからない。ただ、大好きな兄上様がどこか遠くに行ってしまうと聞いて、ひどく動揺した。

 嫌だ嫌だ、行っては嫌だ、と泣いて叫んで、手がつけられないほどだったそうだ。

 あの聡明な姫様が? と思ってしまうけど、5歳じゃ無理もない――むしろ当たり前か。


「行くなと言われても、行かないわけにはいかない事情があったからな。クリアを置いていく代わりに、ひとつ約束した」

 つまりそれが、話の核心部分だ。

 私は無意識に膝の上で両手を握りしめた。


 ――その約束とは。

 戦が終わったら、必ず戻る。何を置いても、まっすぐクリア姫の所に帰ってくる、というものだったらしい。

「……帰ってきてるじゃないですか」

 私は拍子抜けした。それが約束だというなら、破ってなんかいないじゃないか。

 しかし殿下は小さく首を振り、

「俺がクリアと会ったのは、別れてから3年後……戦が終わって、半年以上たってからだった」


 戦後の混乱やら、事後処理やら。

 終戦後も続く、国境線でのゴタゴタやら。

 救国の英雄となってしまったカイヤ殿下には、やらなければならないことが山ほどあった。


「だから、何を置いても帰る、という約束は果たせなかった」

「そんなの、約束破ったうちに入りませんって!」

 つい声が高くなってしまい、「静かに」と殿下に注意された。私はとっさに首を縮め、ついでに声もひそめて、「すみません。でも、本当にそうだと思いますよ?」

 半年くらいの遅れで、あのクリア姫が怒ったりするはずがない。


 殿下は「ただの半年ではなかった」と言った。

 黒い瞳が揺れている。

 まるで黒曜石のような、あるいは夜の闇のような、深い色の瞳。

 そこに浮かぶのは悲しみ。喜怒哀楽の「哀」だ。


「…………」

 私はちょっと固まってしまった。

 憂いに満ちた黒い瞳は、どんな宝石よりも美しく。……まあ、早い話が見とれてしまったのだ。

 殿下は私の好みのタイプじゃないけど、それでもうっかり射抜かれてしまいそうになるくらい――。

 おっといけない、と踏みとどまったが、今のは危なかった。

 悲しみの中に美しさを見てしまうのは、あまり趣味のいい話ではないと思う。私にはそんな趣味はない。多分。いや、きっと。


「戦が終わって、少し後だ。離宮で母上と暮らしていたクリアが王城に呼び寄せられたのは」

 クリア姫は8歳になっていた。兄殿下と別れた頃に比べれば成長しているとはいえ、まだまだほんの子供である。

「離宮でクリアの世話をしてくれていたのは、母上に仕えるメイドたちだ。ずっと、家族同然の存在だった」

 病がちの王妃様の分までクリア姫のことを可愛がり、実の娘のように大切にしていた。そんな優しいメイドたちから突然引き離されてしまったクリア姫は、お城で1人ぼっちで。

「幼い子供にとって、半年は短くない」

 それがつらい時間なら、尚のこと。

「どんな苦しみもいつかは終わるということを、子供は知らない」

 いつ終わるともしれない苦しみは、無限にも思える時間だ。場合によっては、人生観さえ変えてしまうほどに。


 その半年がどんな時間だったか、クリア姫が語ったことはないそうだ。

 ただ、ようやく王宮に戻ることができたカイヤ殿下が、それこそ真っ先に妹姫のもとに駆けつけた時、クリア姫は。

 泣いて、怒って、叫んで、兄を責めた。


 ――兄様の嘘つき、馬鹿、大嫌い!


 あのおとなしい姫君が、と周囲の人々を驚かせたほどの取り乱し方だったらしい。


 息をつめて話を聞いていた私は、ふっと肩の力を抜いた。

「姫様、ようやく会えた殿下に甘えたかったんでしょうね」

「……甘え?」

 殿下が怪訝な顔をする。

「あ、すみません。悪い意味で言ったんじゃないですよ。ただ、その時の姫様、多分ほっとしたんだろうなって」

 殿下はまだよくわからないという顔をしている。


「考えてもみてくださいよ。馬鹿だの嫌いだの、そんなこと――小さな子供が、普通、大人相手に言えると思いますか?」

 言えるはずがない。

 幼い子供にとって、大人は基本、怖い存在だ。

 拗ねたり反抗したり、憎まれ口を叩いたりするのだって、それが自分の味方だと信頼できる相手だからこそなのだ。


「姫様、殿下のことを怒ってるわけじゃないですよ」

 私は言った。今の話を聞いて、そう確信した。

 クリア姫は「約束を破った」殿下を怒って、同居を拒んでいるわけじゃない。

 何か、別の理由があるはずだ。……それが何かは、今はわからないけど。


「…………」

 私の言葉に、殿下は考え込んでしまった。

 5分か、10分か。夜風に体が冷えそうなくらいの時間だった。

 私は待った。辛抱強く、待ち続けた。

 やがて、ようやく「そうか」の声が聞こえたかと思えば、

「……そう、なのだろうか」

 なんて、やっぱり自信が持てない様子でいる。


 ああもう、しょうがない人だなあ。

 変なところで頼りなくて、なんか無性に力づけたくなる。

 つい頭をなでてあげたくなって、寸前で踏みとどまった。少しクセのある黒髪に、あとちょっとで手がのびるところだった。


 ここに居るのは雇い主で、自分より年上で、ついでに王族で。

 実家の弟や妹ではない。頭をなでるとか、普通ありえない。

 いったいなんで、そんな気になったのか。イケメンの魔力か? それとも、起きたまま寝ぼけているのか、自分。


「……話は変わりますけど、明日、姫様とお城の図書館に行くんです」

 動揺を悟られまいと、私はわざと平坦な声で言った。

「ああ、聞いた」

と殿下。それから少し考えて、「俺も行った方がいいか?」と付け加える。

 ルチル姫のワナかも――なんて、わざわざ言わなくても、話が通じてるみたい。

 だけど、明日は用事があるんだよね?

 もともと自分たちだけで対処するつもりだったし。


「いえ、だいじょうぶです。私とダンビュラさんで何とかしてみます」

「……そうか」

 少しだけ、殿下のまなざしが陰った。

 クリア姫のこと、心配なんだろうな。だいじょうぶじゃないと私が言えば、どうにかしてついてくるつもりだったのかもしれない。

「どうかお任せください。クリア姫のことは必ずお守りします」

 どんと胸を叩いて見せると、殿下の表情がやわらいだ。

「よろしく頼む」

 そう言って、口元を綻ばせる。

 つまり、笑った。


「…………」

 私はまたちょっと固まってしまった。

 殿下の笑った顔って、初めて見た気がする。

 しかも、予想外にいい笑顔だった。ひなたぼっこみたいにあったかくて、子犬みたいに邪気がない、本心から嬉しそうな。

 日頃が落ち着き払って無表情なだけに、レアな微笑には破壊力があった。

 美形に興味のない私も、軽くパンチをくらったようにぐらっと来た――けど、ノックアウトまではされなかった。

 わずかな心のさざなみを鎮め、平静を保つ。

 やれやれ。

 これはなかなか、てごわい雇い主だわ。

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