44 魔女の血族
「失礼します、姫様。エル・ジェイドです」
コン、コン。ドアをノックする。
すぐに「入ってくれ」とクリア姫の声がした。
もう1度「失礼します」と言ってから、ドアをひらく。
生まれて初めて目にする本物のお姫様の部屋は、さすがに普通の子供部屋なんかと違って広くて立派だった。
部屋の奥に、本でしか見たことのない天蓋つきベッド。
立派なクローゼットに、大きな鏡のついた化粧台もある。ベッドの端には、ぬいぐるみのくまさんがちょこんと乗っていた。
部屋の手前側には家具がなく、代わりにふかふかの丸いカーペットが敷いてある。寝転んで読書したり、集まってカード遊びをしたら楽しそうな場所だ。
クリア姫はそこで本の山を広げて、箱につめる作業をしていた。
「パイラさんに言われて、手伝いに来ました」
「そうか、すまぬ」
「たくさんありますねえ……」
床に積み上げられた本の山もさることながら、天井まで届く高さの本棚が全部でみっつ。どれも本がぎっしりだ。
「これ、全部読んだんですか?」
私が本棚に近づこうとした時、床のカーペットがのそっと起き上がった。
「ひあっ!?」
思わず奇声を上げて後ずさる。
カーペットだと思っていたものは、床に寝そべっていたダンビュラだった。
正確には、カーペットの一部と同化していたようだ。体の虎じまが、幾何学模様にまぎれて保護色になっていたらしい。
「もうちっと色気のある悲鳴が出せないもんかね」
とか言いつつ、ダンビュラは軽く四肢をのばした。
「せっかくの下からの眺めも萎えちまうぜ」
下からの眺め?
意味を考えて、たった今スカートを履いた自分が、ダンビュラの顔の上をまたごうとしたことに気づく。
「…………」
私は無言でエプロンのポケットに手を突っ込むと、ソーイングセットの針と糸とハサミを取り出した。
「クリア姫様、この下品なカーペット、姫様のお耳が穢れると困るので、口を縫ってしまってもよろしいでしょうか」
おいおい、落ち着けよとダンビュラは笑ったが、私の目を見て、急に押し黙った。
こちらが本気だと悟ったらしい。のそのそと体を揺らして、ベッドの後ろに隠れてしまう。
キツくにらみつけていたら、「ダンが失礼なことを言ってすまない」とクリア姫が頭を下げてくれた。
姫様が謝る必要など全くない。
むしろ、幼い妹姫の護衛にあんなのを雇っていていいのか、と1度カイヤ殿下に申し上げるべきだろう。
見た目は獣でも、中身は下品なおっさんではないか。まったく。
「せっかく手伝いに来てくれたのに悪いが、明日持っていく本の仕分けはもう終わったのだ」
クリア姫はカーペットから立ち上がり、本棚を指して、
「それより、エルは本が好きだと言っていたな。もし、ここにある本で読みたいものがあったら――」
「え、いいんですか?」
途端に、山猫もどきへの怒りも忘れ、私は足取り軽く本棚に近付いた。
「へー、本当にたくさんありますねえ」
だいぶ年季の入った本から、かなり新しいものまで。ちゃんと掃除も行き届いており、ホコリをかぶっている本は1冊もない。
背表紙の書名を目で追っていく。
例のクロサイト様をモデルにした小説シリーズもある。
有名なミステリーの文庫版も。
フィクションだけでなく、王国の歴史を記した本もある。
かなり難しそうな哲学書があるかと思えば、子供用の絵本なんかもちゃんとある。
そのうち何冊かは棚差しではなく、表紙が見えるように飾られていた。
『2人の魔女のおはなし』、『悪い魔女のおはなし』、『ひとつ目の巨人と魔女』……。
「あー、この絵本、懐かしい。私も小さい頃、読みましたよ」
私は『2人の魔女のおはなし』を手に取った。絵本の横には、可愛らしい魔女の人形と、水晶を模したおもちゃが飾られている。
「このおもちゃって、お話の中に出てくる水晶の塔にちなんで?」
クリア姫はうなずいた。
「そうだ。前に街の雑貨屋で、兄様が買ってくださった」
そう言って、魔女の人形を優しく抱き上げる。
『2人の魔女のおはなし』。
よく見ると、子供の頃に読んだ絵本より少し分厚く、装丁も凝っている。
特装版かな? それに、随分古そうだ。
「この絵本に出てくる白い魔女は、私たちのご先祖様だと言われているだろう?」
クリア姫は人形の髪をそっとなでながら言う。
この国の王家であるクォーツ家の祖は、伝説の「白い魔女」である。……とされている。
真偽は定かじゃない。ただの迷信だって言う人も居る。そもそも「魔女」の存在自体、信じない人の方が多いくらいだし。
「だから私は、『魔女』のお話に興味があって――」
絵本を読むだけでは足りずに、魔女が出てくる本を集められるだけ集めた。
その言葉通り、みっつある本棚のうちひとつは、魔女関係の書物で埋まっている。
「うわ、すごいですね」
あらためて見ると、本当にすごい。
『古の魔女に学ぶ』『魔女と水晶宮』『魔女の伝承に眠る真実』……。
その辺はまだいいとして、『魔女の生贄に捧げられた者たち』とか、『黒魔術の神秘』なんて、若干オカルトめいた本まである。
「これだけ並ぶと、魔女の専門家みたいですね……」
「やはり変だろうか」
クリア姫は小さな肩を落とした。
「いやいや、変なんてことは全然」
慌ててフォローしようとしたら、「よいのだ」とクリア姫は言った。
「自分でも少し変だと思う。カイヤ兄様にも、あまり人に見せない方がいいと言われた」
おや、意外。殿下はわりと適当……じゃなくて鷹揚な人柄だし、そんな小うるさいこと口にしなさそうなのに。
「たとえば、ルチル姉様がこれを見たら……。私が『魔女』に魅入られているとか、悪い噂をたてるかもしれないだろう?」
ああ、なるほど。
おかしな噂が、クリア姫の微妙な立場をさらに悪くしないようにと。
「あれ? でも……。ルチル姫って、確かここに来たことあるんですよね?」
パイラはそう言っていた。「大事な人形を池に捨てた」というのだって、人形の置いてある場所に入らなければできないことだし。
「だから、俺が言ったろ」
野太いだみ声と共に、寝台の影からダンビュラの顔がのぞいた。
「ルチルは本棚なんか見ても、めまいを起こすだけだって。実際、あいつは何度もここに押しかけてきてるけどな。いつも嬢ちゃんの本には見向きもしねえよ。高そうな服はないかとか、アクセサリーのひとつも取り上げてやろうとか、そんなことしか考えないのさ」
実際に指輪をひとつ持っていったこともある、とダンビュラは吐き捨てた。クリア姫がおばあさまからもらった指輪だそうだ。
「…………」
クリア姫は黙っている。手に持った人形を見つめる、その瞳が悲しそうだった。
よく見ると、人形の髪が少しほつれて、白い帽子に染みがついている。
ルチル姫が池に投げ捨てた人形って、あれだろうか。
カイヤ殿下が買ってくれたという人形。……多分、そうなんだろうな。
「魔女のお話っておもしろいですよね」
空気を変えようと、私はわざと明るい声を上げた。
「うちの弟と妹も好きでした。小さい頃、寝る前に好きな本を読んであげるって言うと、いつもこの本を持ってきて」
クリア姫の口元が綻ぶ。
「エルはどういうところが好きだろうか」
「そうですねー、やっぱり白い魔女と王子のロマンスっていう設定が、意外性があっておもしろい気がします。だって、塔に閉じ込められた王女様を助けに来たら、普通はそっちと恋が始まるものでしょ?」
一瞬、クリア姫の表情が固まった。
「それは……仕方ないのではないだろうか」
「?」
クリア姫は絵本を手に取り、広げて見せた。そこには高い山と、高い塔、それを見上げる立派な身なりの王子様の絵が描いてある。
絵に添えられている文は、絵本だけあって、ごく短い。
「兄王子は、妹姫を心配して、助けに来ました……」
声に出して読んでから、私は驚いて顔を上げた。「え? この絵本の王子と王女って、兄妹でしたっけ?」
「私の知っている話ではそうだが」とクリア姫。「そうではない話もあるのだろうか」
「……はい。私の読んだ絵本では違いましたね。確か王女様の方は、山のふもとの王国の姫で……」
王子様の方は、「どこかの国の王子様」的な書き方だったような気がする。
クリア姫に絵本を手渡してもらい、ぱらぱらめくる。
絵は、私が小さい頃に読んだ(あるいは成長してから弟妹に読んであげた)絵本と同じ。だが、添えられている文章の方は、ところどころ違っている気がした。
ふと手を止めたページに、恐ろしい絵があった。王国に攻め込んできた南の国の兵隊が、魔女の魔法で体をバラバラに……。もちろん絵本だからリアルな絵ではないのだけれど、それでも普通に怖い。
残酷な描写は、他にもチラホラ見受けられた。魔女に願いをかなえてもらった人間が代償として心臓を抜かれてしまった絵なんて、人の体にぽっかり穴が開いていて、かなり怖い。
「私が読んだのって、子供向けのマイルドバージョンだったのかな……」
「この絵本に、そんなものがあるとは知らなかった」
クリア姫は実に興味深いという顔をした。
そういう表情は、あまり12歳の少女らしくない。付け加えると、何かを考えている時の兄殿下によく似ていた。
「エルの見た本では、2人は兄妹ではないのだな」
じっと、知的な表情のまま、絵本に書かれた王子と王女を見つめている。
いや、だって。
この本の中で、王女様は、自分を助けに来た王子様を裏切り、秘密を暴露してしまうのだけど。
それは、王子様に恋をしていたから――魔女と王子の恋に嫉妬したから、ですよね?
2人が兄妹だとしたら、話の趣がかなり変わってしまうんじゃないかと。
もしかして、その辺りの描写も自分が見たものとは違う?
そう思って、また絵本をめくる。
王女が禁を破って王子と会ったことを、黒い魔女に告白するシーン。
『黒い魔女よ。私は約束を破りました。あの高い塔の中に、愛する人を招き入れました。この身はもはや、もとの清らかな娘ではありません――』
私はぱたん、と本を閉じた。
なんか、教育上よろしくない事態を想起させるワードまで出てきました。明らかに自分が読んだのと違います、これ。
「多分、この本の王女は長い間、家族と離れていたから……。助けに来た王子のことも、兄上だと思えなかったのではないだろうか」
ああ、なるほどと私はうなずいた。
きょうだいって、生まれた時から一緒に暮らして、初めてきょうだいになる、みたいなところあるし。大事なのは血縁より情ということか。
そういえば、とクリア姫は何か思い出したように言った。
「前に、ハウル兄様が言っていたかもしれない。この絵本には、元になったおとぎ話――というか、言い伝えをまとめた本があるのだと」
つまり、もともと子供向けの本ではなかったかもしれない?
いや、そもそも子供向けの本だからといって、マイルドな中身とは限らない。
私が寝物語に聞かされたお話の中には、子供を食べちゃう鬼婆とか、怪物とか、怖い存在がけっこう頻繁に出てきた気がする。
神様が人間と浮気する話なんかもあった。
残酷な描写も、「禁断の恋愛」も、おとぎ話ではそう珍しいものじゃないのかも。
「その元になった本って、読ませてもらうことできます?」
例の図書館にあるならと思って聞いてみると、クリア姫は難しい顔をした。
「それは……わからない。兄様に聞いてみないと……。エルが見たいのなら頼んでみるが」
「いえいえ、とんでもない」
そんな、メイドのワガママなんかで、姫様に迷惑かけられない。
「他にもたくさん本があるんでしょう。それで十分です。すっごく楽しみです」
私が「すっごく」のところに力を込めて言うと、クリア姫は「私も楽しみだ」と笑った。




