41 お姫様とお出かけ?
「ああ、エル殿も居たのだな」
息せき切って走ってきたクリスタリア姫は、そこに私が居るのを見て、驚いたように足を止めた。
「エル、でいいですよ。姫様」
使用人ですからね。エル殿、なんて呼ばれたらかえって困る。
「そ、そうか。……うむ、そうだな」
クリスタリア姫は小さくうなずいて、「では、私のことはクリアと呼んでくれ」
「わかりました、クリア姫様」
あらためて呼ぶと、クリア姫はちょっと赤くなった。
はにかんだ顔が可愛い。実に可愛い。
私がなごんでいると、ダンビュラが近づいてきた。「おい、そんな呼び方の話とかより、何か俺に用があったんじゃないのか、嬢ちゃん」
ああそうだった、とダンビュラに向き直るクリア姫。
「さっき、城から荷物が届いたのだ。それを運んできた者に聞いたのだが……」
このお屋敷には、午前と午後に1度ずつ、生活に必要な物資が届けられる。
持ってくるのは、お城の下働きだ。
パンや卵などの食料、その他の生活必需品。足りないものがあったら、彼らに言いつければ何でもそろえてくれる。
で、その下働きが言うには、「明日、お城の姫様たちが、若い貴族たちを連れて遠乗りに出掛けなさる」。
お城の姫様たちとは、現在、王宮に住んでいる王様の娘たち、という意味か。
王様には娘が大勢居る。その全員がお城で暮らしているのかどうかは知らないが、例のルチル姫はお城暮らしのはずだ。
「つまり明日は、ルチル姉様も朝から居ない」
だから、とクリア姫。賢そうな鳶色の瞳がきらきらしている。「だから私は、明日、お城の図書館に本を借りに行こうと思う」
「図書館、ですか?」
「うむ。王室図書館というのだ。私のひいおじいさまが作った」
クリア姫のひいおじいさま、名君と謳われた先々代の国王陛下は、たいそうな本好きであらせられたのだそうだ。王族だけの専用図書館を建て、時間がある時は入り浸っていたらしい。
「血は争えないって言うが、嬢ちゃんもかなりの本好きなんだよ」
ダンビュラは切妻屋根のお屋敷を目で指して、「この屋敷にある本なんて、とっくの昔に読んじまったもんな」
大したもんだとほめられて、「そ、そのようなことはない……」と照れる姫様。
ともかく明日は、図書館に行こうと。「前に借りた本も返さなければならないからな」とクリア姫。
見るからにうきうきしているので、私は「良かったですね」と声をかけた。
内心では、嫌な予感がしていた。
何だかちょっと心配じゃない?
実は使用人の話は嘘で、クリア姫をおびき寄せるためのルチル姫のワナだったりして。なんて、考えすぎか? ううむ。
明日のお出かけを楽しみにしている姫様に、「ワナかもしれないから、やめましょう」とは言えない。とても言えない。
ただ、気をつけておいた方がよさそうだ。何が起きても、慌てず対処できるように――。
「私もご一緒していいんですよね? 姫様」
王族だけの専用図書館に、庶民の私が入ってもいいのか、念のため聞いてみると。
クリア姫はさらに嬉しそうな顔をして、
「エルも本が好きか」
「大好きです」
迷わず即答する。
お城の図書館、それも王族だけの専用図書館なんて、普通の本屋さんよりはるかにすごい蔵書をそろえているはず。
一般庶民の自分が目にできるなら、役得もいいところだ。初めて心の底から、この仕事を受けて良かったと思える。
「そうか。ならば、明日はエルの好きな本も借りてこよう」
「いいんですか!?」
私は飛び上がりそうになった。
クリア姫は「よいのだ」と言って、ちょっと寂しそうに付け加えた。「せっかくの王室図書館なのに、最近はあまり使う人が居ないのだ。父様はあまり本がお好きでないし……、ハウル兄様やカイヤ兄様はいつもお忙しい」
第一王子のハウライト殿下のことを、クリア姫はハウル兄様と呼んでいるらしい。
「フローラは本よりドレスや宝石だろうし、ルチルの阿呆は勉強嫌いだ。でかい本棚がずらっと並ぶ図書館なんて、見ただけでめまいを起こすだろうしな」
ダンビュラの発言に、私は吹き出してしまった。
クリア姫は「そ、そのようなことを言っては、姉様に失礼だ……」と困惑顔。
「ともかく、明日は一緒に来てくれ。エルが読んでくれたら、あの図書館の本たちも喜ぶと思う」
本が喜ぶって、これは本当に本好きの人間のセリフだなあ。
約束して、去っていくクリア姫の背中を見送りながら。
私は足もとのダンビュラに声をかけた。
「考えすぎかもしれないんですけど……」
先程の懸念を口にすると、ダンビュラは「ありえるな」と驚きもせず、むしろ当然のような顔をした。
「ルチルのやりそうなこった。嬢ちゃんを城におびき寄せて、どっか邪魔の入らない所に閉じ込めてから、たっぷり痛めつけてやろうって魂胆なんじゃねえのか」
「怖いこと言わないでください」
私はぶるっと背中を振るわせた。
あのクリア姫がそんな目にあうところなんて見たくない。想像もしたくない。
「何とかしないと……」
「どうすんだ? 殿下に報告か?」
「報告はもちろんします、けど」
それで殿下が一緒についてきてくれたら、何も心配はいらないだろう。
とはいえ殿下は、いつもこのお屋敷に居るわけじゃない。いつも居るとは限らない人のことを、あまりアテにするのもどうかと思う。
殿下が居ようと居まいと、クリア姫を守り、お世話する。それが私の仕事であるはずだ。
「ダンビュラさん、協力してくれます?」
足もとの同僚に尋ねると、「俺は嬢ちゃんの護衛だからな」と実に頼もしい答えが返ってきた。




