408 来客たち2
この孤児院に応接間はない。
だから来客があった時、ハキム院長は台所と隣接する大食堂に連れて行く。
「失礼します……」
扉が開いたままになっていたので声をかけながら中に入ると、そこには想像以上の人数が集まっていた。
まず、テーブルについてお茶を飲んでいるのが2人。
1人は口ひげを生やした紳士。光沢のあるシルバーのスーツと、悪趣味なようで妙にサマになって見える金ピカのネクタイを身につけた、悪徳金貸しのヴィル・アゲートだった。
「やあ、お嬢さん。お邪魔しているよ」
いつの間にお邪魔したのだろうか。こんな目立つ人が訪ねてきたら、子供たちが騒がないわけないと思うんだけど。
しかも彼の部下らしき黒スーツが5人、壁際に直立不動で控えている。全員、人相が悪くて、顔に傷があって、体格がいい。ぱっと見ヤクザみたいだ。
彼らと対照的な見た目ながら、なぜか彼らと同じくらい威圧感があるのは、色とりどりのメイド服を着た女性たち。
こちらはレイテッド家の護衛だろう。アゲートと向かい合う位置でお茶を傾けている、ケイン・レイテッドが連れてきたに違いない。
「職務怠慢じゃない? 客が来てるのに放置とか、普通ありえないよね」
もっともらしいことを言っているが、私は恐縮する気にも謝る気にもなれなかった。
「こう何度も来られては困ります。こちらも通常業務がありますので」
冷ややかな応対に、しかしケインは平然と、
「出資者として、事業の視察に来ているだけだよ。何か問題でもあるの?」
と聞いてきた。
レイテッドは確かに出資者だ。慈善事業とか、あんまり興味なさそうな家なのに、「ちょうど後ろ暗くて使い道に困る金があったから」という理由で、参加を申し入れてきた。その詳細については、恐ろしくて聞けていない。
「……問題はあると思います」
お金の出所もそうだが、ケインの訪問の目的は「事業の視察」などではない。とある人物に会うこと――おそらく、アゲートも同じ目的のはずだ。
と、そのタイミングで、食堂と隣接する台所から、お茶のお替わりを持って出てきた。
彼らの「目的」が。それは私が探していたハキム院長ではなく、
「エル・ジェイド?」
私の顔を見て、ハッと息を飲む。いつもの黒服の上から、家庭的なエプロンと三角巾を身につけた王子様。
「カイヤ殿下……」
やっぱり、今日も来てたんだ。
私がちょっと、いやかなり困った顔をするのを見て、殿下は申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「すまん。迷惑だとはわかっているのだが……」
や、違う違う。迷惑がっているわけじゃない。
「今日も」と言いつつ、殿下の訪問は、私が働き始めてからまだ3回目だし。
ここ最近の殿下がメチャクチャ多忙であったことを思えばけして少ない回数とは言えないが、かといって多すぎるということもないはずで――。
「エル、違うのだ」
今度はクリア姫が台所から顔を出した。
殿下とおそろいのエプロンと三角巾を身につけ、手にしたお盆の上にはおいしそうな焼き菓子が載っている。
なぜ、王族の2人が給仕のようなことをしているのか? と疑問を呈する間もなく、
「私がエルに会いたくて、兄様に無理を言ったのだ。兄様はお忙しいのにここまで連れてきてくださって……」
何やら一生懸命、私に説明してくださるクリア姫。
必死のフォローを、姫様の後ろから顔をのぞかせたダンビュラが台無しにする。
「いや、普通に口説きに来たんだろ? それか、惚れた女の顔がどうしても見たかった、とか」
『……!!』
あからさまなセリフに、殿下が、クリア姫が、そして他ならぬ私も硬直した。
なお、ダンビュラの背中には孤児院の子供たちが何人か乗っている。
毛の生えたモフモフの生き物は、だいたい子供に人気だ。
以前は鬱陶しがって逃げていたダンビュラも、ここ最近はあきらめて背中を明け渡すようになった。
「……口説くつもりはない。だが、訪問の目的は確かにおまえに会うことだ」
うなだれる殿下に、ダンビュラがさらに突っ込みを入れる。
「だったら普通に会いに行けよ。こんな所で茶汲みとかしてる場合じゃねえだろ」
「それは……、ハキム院長がひどく忙しそうにしていたので、助太刀をと……」
その院長はどこですかと聞いたら、急に熱を出した子が居たとかで、近所の診療所に連れて行ったと聞かされた。
「ご迷惑をかけてすみません」
「いや、謝るのはこちらの方だ。既に雇用主でもない俺が、こうしておまえを訪ねてくる理由などないと言うのに……」
や、そんな気にしなくても。
殿下が例の「告白」のことを気に病んで、私を気遣ってくれているのはわかってる。
来る時は必ず子供たちにおみやげを持ってきてくれるし、たまにこうして台所に立ってくれたりもするし。人手不足の孤児院としては結構助かっているのだ。謝る必要なんてない。
私がフォローの言葉を口にしようとしたら、ダンビュラの突っ込みが急にこっちの方を向いた。
「別に、あんたも満更じゃないんだろ? 嫌なら嫌って言うタイプだもんな」
「……っ!」
痛い所を突かれて、私は絶句した。
満更じゃない、などという言い方は誤解しか招かないのでやめてほしいが、後半はその通りで。
私はそういうタイプだし。殿下は話の通じない人じゃないから、私が一言断れば、こんな風に訪ねて来ないということもわかってる。
それをしないのは、申し訳なさゆえなのか、お世話になった元雇い主への情なのか。
……あるいは私の中にも、ほんの少しくらいは会いたい気持ちがあるから、なのか。
念のため言っておくと、私の考え自体は変わっていない。
私は殿下のお相手としてふさわしくないと確信しているし、玉の輿への野心とか、そういうのも持っていない。
ただ、私は。
かつて故郷で幼なじみと付き合った時のように、恋愛面ではイマイチ押しに弱いというか、ほだされやすい面がある。
相手のことを知れば知るほど、共に過ごす時間が長くなるほど、その傾向は強くなる。
だから、そう。
この問題については、1度立ち止まって、きちんと考えなきゃいけないんだろうな。
相手の気持ちにただ流されて――なんていうのは、誠実な態度とは全く言えないわけだし。
「あの……」
そっと殿下の方を見る。お時間があれば、後で少しだけお話させていただけませんかと言うつもりで。
「……何だろうか」
殿下が見返してくる。
空気を察したのだろう。ちょっと眉を下げて、心持ち悲しそうに。
だーかーら。
そういう顔をやめてくださいってば。そんな叱られた仔犬みたいな顔されたら何も言えなくなるでしょ!?
内心で地団駄を踏んでいたら、ケインがため息をついた。
「はあ……。どうして僕の大事なカイヤが、こんなガサツで野蛮で凶暴な田舎娘に……」
独り言を装っているが、内容は露骨な悪口である。
彼がこの孤児院にやってくるのは、カイヤ殿下と会って話すためだ。
どうやら現王様の退位が近いらしく――あんなことがあったのだから当然だと私は思うのだが、王様当人はまだ抵抗しているらしい――王国の貴族たちは時代の変化に乗り遅れまいとして、水面下で激しい駆け引きを繰り広げている。
ファーデン王が退位すれば、当然、次の王様が即位することになる。順当に行けば、それは第一王位継承者のハウライト殿下だろう。
で、「ハウルよりも君の方が王位にふさわしい」と前々から主張していたケインは、「その気があるなら協力するから」としつこく殿下に迫っているのだ。
その気などない殿下はうんざりしているのに、全然、あきらめる気配がない。
孤児院の周囲を見張らせてでもいるのか、殿下の訪問にあわせて、こうして「視察」に来るし。ほとんどストーカーである。
「いやはや、良いものを見せていただきましたなあ。実に初々しい」
アゲートは私たちのやり取りに感銘を受けた、という顔をしている。
クリア姫が出した焼き菓子を優雅につまみつつ、殿下が淹れたお茶のお替わりをこれまた優雅に傾けて、
「美味い。うちの司厨長にも負けない味ですなあ」
と至福の笑みを浮かべている。
彼もまたケインと同じく、殿下がこうして孤児院に来る日を狙ったように現れる。
こちらは普通にコネ狙いなんだろう。成り上がりのアゲートは、王都の貴族や王族と深いつながりを持っていない。だから「救国の英雄」カイヤ殿下と親しくなろうとして。
そんなストーカー2人の熱視線を受けて、
「……俺がここに居ると、仕事の邪魔になるな」
殿下はエプロンと三角巾を外し、「他に、何か手伝うことはあるか?」と私に聞いてきた。
多分、ないと答えたら帰ってしまうつもりなんだろうな。
多忙な殿下に仕事を手伝わせるのは申し訳ないが、こうして訪ねてきてくれた人をただ追い返すだけ、というのも気が進まない。まして今日は、クリア姫も一緒に来てくれたのに。
「実は先程、物資が届いたばかりで……」
荷下ろしを手伝ってもらえないかと頼むと、殿下は「承知した」とうなずいた。かすかに頬を紅潮させて、嬉しそうに口元を綻ばせて。
だからそういう顔をしないでほしいんだけど……と思っていたら、ケインが文句をつけてきた。
「ちょっと、荷下ろしって。王族のカイヤに何を頼んでるのさ?」
黙っていられないとばかりに席を立ち、さらに言いつのろうとした、そのタイミングで。
「父上は居るか?」
食堂のドアから顔をのぞかせたのは、金髪金目の身なりのいい男の子。ケインの義理のご子息、リハルト・レイテッドだった。
「今日はお子様たちもご一緒だったんですか?」
「……まあね。こういう施設を見学するのも、社会勉強になるかと思ってさ」
それは悪いことじゃないけど、ちゃんと前もって言ってほしい。
孤児たちの中には、つらい境遇から、対人コミュニケーションが苦手になってしまった子も居るのだ。言葉で気持ちを伝えるのが苦手で、何か嫌なことがあると、とっさに手が出てしまう子も。
「心配いらないよ。うちの子たちは賢いから」
だとしても、大貴族のお坊ちゃまである。うっかりケガでもさせたら責任問題になってしまうじゃないか。
ケインは私の懸念などどうでもよさそうだった。リハルトに向かって雑に手を振ると、
「悪いけど、今、大事な話をしてるところなんだ。急用でないなら後にしてくれる?」
義父に適当にあしらわれたリハルトは、なぜか気を悪くした様子もなく、
「そうか。ならば仕方ないな」
とあっさり引き下がった。
「これから婚約の儀を執り行うので、父上も出席させてやろうと思って呼びに来たのだが……」
「は?」
「実は、リーライが先程、この孤児院で出会った少女に一目惚れしたらしくてな。結婚を前提に交際を申し込んだところ、幸運にも快諾していただいた」
「はあ!?」
「兄としては、弟の晴れ舞台を祝ってやりたいからな。今、出席者を集めているところだ。まあ、忙しいのなら無理にとは言わんが――」
リハルトの顔が引っ込む。ケインが慌てて席を立ち、
「ちょっと待ちなよ! そんなの許されるわけがないだろう! だいたい、レイシャには何て言うつもり!?」
「母上はバカンスで不在だ。事後報告でも問題ないだろう」
「問題だよ! 問題に決まってるだろ!」
遠ざかっていく、2人分の声と足音。
壁際に控えていたメイドたちも、しずしずとその後を追って行く。
「それは興味深いロマンスだ。是非とも同席させていただこう」
などと言いながら、なぜかアゲートまでもが席を立ち、出て行ってしまった。彼が動けば、部下の黒スーツたちも当然、後に続く。
「えーっと」
残された私と殿下とクリア姫は、互いに困惑した顔を見合わせた。
「とりあえず、行きますか。早く作業を始めないと……」
「今の、放っておいていいのか?」
ダンビュラの突っ込みは聞こえなかったフリをした。
何だか「うっかりケガでもさせたら」以上の責任問題が発生したような気もするけど、私は知らない。
だいたい、一目惚れなんて事故みたいなもので、どう頑張ったところで防ぎようがないのだし。
だから、これは誰のせいでもない。強いて言うなら、ちゃんと事前に連絡をくれなかったケインが悪いのだ。
私は何も見ていないし、聞いていない。後で文句を言われたところで知ったことじゃない。