407 来客たち1
ジェーンと別れ、孤児院の裏庭までやってきた私は、そこで思いがけない顔と遭遇した。
「姐さん、どうしたの?」
カルサだった。小ぶりの斧を持って、1人で薪割りをしている。
「どうしたのって……、あなたこそ何してるの?」
ここで薪割りをしているのは、ハキム院長だったはずなのだが。
「院長先生なら、さっきお客さんが来たからってお茶淹れに行ったよ。ほら、あれじゃない? 支援者の商人か貴族が、また見学にでも来たとか」
それはマズイ。
ハキム院長が淹れたお茶は、元メイドの私が思わず唸るほどの美味だが、問題は対人コミュニケーション能力の方だ。単語レベルでしか話さないのに、お客さんの相手なんてできるわけがない。
しかも見た目が怖い。今頃、支援者を脅えさせているか、最悪、怒らせてしまっているかもしれない。
「院長先生に何か用事だった?」
「あ、うん。物資が届いたから、荷下ろしを手伝ってもらおうと思って」
「だったら、俺がやるよ。姐さんは院長先生のこと助けてあげた方がいいんじゃない?」
ありがたい申し出だけど、物資はかなりの量だった。カルサ1人に押しつけるわけにはいかない。だいたい彼は、ここの職員でもないのに。
「アルにも手伝わせるから大丈夫だよ。確か、今日も絵を描きに来てたよね?」
アルとは、アルフレッド・ギベオンのこと。かつてはティファニーと名乗っていた、ギベオン家の次男である。
彼の父親のギベオン卿は、カイヤ殿下の暗殺未遂事件に関わった疑いで投獄されている。
その息子たちも取り調べ中だ。
家族と疎遠だったこともあって、事件に直接関与していないアルフレッドは、おそらく国外追放になるだろうという話だ。
ただ、その前に。
彼が私の誘拐事件に関与した――いや、知っていて見過ごした件について、「本人に償え」とカイヤ殿下が命じたため、アルフレッドは先日、私のもとを1人で訪ねてきた。
「償いって言ってもね。アタシにできることなんて、これくらいしか思いつかなかったから」
彼は自身が所有する画廊の権利書と、手持ちの中では最も高価な――カイヤ殿下によれば国宝レベルだという絵画を差し出してきた。
正直、何の冗談だと思った。
「……これを、私に受け取れと?」
「あら、不服? 他の美術品も差し出せって言うならそうするけど……」
「言いませんし、必要ありません」
私は丁寧に梱包された絵画をそっと押し返した。
大して大きな絵ではない。私の両手でも持ち上げられそうなくらい、コンパクトなサイズ感だ。……なのに、売れば王都にお屋敷がいくつも建つほどの額になるらしい。
「あなたの許しがもらえない限り、アタシは王国を離れられないのよ」
とアルフレッドは言った。
「あの娘が、マーガレットが向こうで待ってるの。早く行ってやらないと」
アルフレッドの従妹のマーガレット嬢は、国外追放という名のお引っ越しで、先日、隣国に旅立っていった。
クリア姫宛てに届いた手紙によれば、新生活を大いに楽しんでいるようだったから、そんなに心配しなくても大丈夫だと思うのだが。
アルフレッドは何やら焦った様子で、
「慰謝料代わりにもらってくれない?」
と、今度は画廊の権利書を私に押しつけてきた。
王都の一等地に建つ画廊である。これだって、売れば相当な金額になるだろう。
「……いくら何でも多すぎますよ」
「むしろ少ないくらいじゃない? 誘拐よ? 下手したら死んでたかもしれないのよ?」
それは確かにその通りだが、
「お金で解決、っていうのはちょっと……。微妙な気分になるので」
慰謝料という制度そのものを否定する気はない。
お金は大事だ。すごく大事だ。その権利がある人が受け取りを遠慮する必要なんてどこにもないと思う。
ただ、生活に困ったことがないお金持ちが、平然と差し出してきたお金に償いの意味があるかっていったら……、少しばかり疑問だよね。
正直ちょっと腹が立ったりもしたので、私は彼に肉体労働を要求した。
具体的には、孤児院の遊戯室の壁に絵を描いてくれと頼んだ。
アルフレッドは画家ではないが、その腕前は悪くない。しかもあったかくて優しい画風なのだ。子供たちの情操教育に良いだろう。
遊戯室の壁はそこそこ広い。
なので、アルフレッドはこのところ毎日、孤児院に通って絵筆をとっている。
「アタシの償いってこの程度でいいわけ?」
と首をひねりつつ、絵が好きな子供に画材を分けたり、描き方を教えてくれたりもしているようだ。
「なんか楽しそうだよね~」
とぼやくカルサも、このところしょっちゅう孤児院にやってくる。
警官隊の仕事は現在、休職中らしい。
任務でケガをして行方不明になり、雇い主であり保護者でもあるジャスパー・リウスに大いに心配をかけてしまった結果として。
仕事を辞めさせられることになったのかと思えば、そうではなくて。
カルサは自分を拾ってくれたジャスパー・リウスのために働きたい。
ジャスパー・リウスはそんな恩など気にせず、カルサに普通に幸せになってほしい。
そうしたすれ違いを解消するため、カイト・リウスやユナもまじえて何度か話し合った結果、「しばらくの間は猶予期間とする」ことに決まったらしい。
つまり、カルサはまだ16歳なのだし、当面は仕事を休んで、今後のことについて、ゆっくり時間をかけて考えろと。
「考えろ、って言われてもさ。俺のやりたいことなんてとっくに決まってるんだけどな~」
口では文句を言いつつ、カルサはこの決定に素直に従っている。
街をぶらついたり、読書をしたり、警官隊の仕事を通して出会った人たちを訪ねて、社会見学のようなことをしてみたり。
自分の将来について、一応は真面目に考えているようだ。
そして数日に1度はこの孤児院に顔を出す。やはり社会見学のつもりなのかと聞いたら、
「違うよ? 姐さんに会いたいからだよ」
と、当たり前のように返されて絶句した。
「今年はダメだったけどさ。来年は一緒にお祭に行こうね?」
世間話のように、ついでのように。そんなセリフを告げられたのは、確か前回の訪問の時だったろうか。
それがいわゆる「告白」と同義であるのか、かつての私は、きちんと確かめようとしなかった。
深い意味などないと決めつけて、結果、かなり長いことモヤモヤするハメになったのだ。
今度は同じ失敗はすまいと決意して、私は目の前のカルサの顔を見つめた。
先日の発言はどういう意味だったのか? 真意を尋ねようとして、口をひらきかけた。
が、先にカルサがこう言ったので、その必要はなくなった。
「そういえば、さ。姐さん、カイヤ殿下にも告白されたんだって?」
殿下「にも」と言っている時点で、意味は明白である。
私がガラにもなく赤くなっていると、カルサは特に表情を変えるでもなく、
「なんて答えたの?」
と聞いてきた。
「…………」
答えていない。そもそも返事を求められていないし、付き合ってくれと言われたわけでもない。
口ごもる私を見て、カルサは何か勘違いしたらしく、
「俺は2番目でもいいよ? 姐さんが殿下のこと好きなんだったら」
と、わけのわからないことを言い出した。
「……どういう意味?」
「だから、殿下と付き合っても、たまに俺とも遊んでくれたらいいかなって意味、だけど……」
「…………」
「ちょ、姐さん? なんでそんな怖い顔してるの?」
なんで、じゃない。
私はカルサに説教をかました。
2番目でもいいとか、遊びでもいいとか、そんな考え方は言語道断だ。自分で自分を安く見積もるんじゃない、と強く言い聞かせた。
カルサはイマイチぴんとこない顔をしていたが、本気モードの私の説教に、多少は感じるものがあったようで、
「えと、ありがと。自分を大事にしろって、姐さんに言ってもらえるとなんか嬉しい……」
お礼を言いながら、なぜか頬を赤らめていた。
カイヤ殿下もそうだったが、世の中には「叱られて喜ぶ人」というのが一定数、居るらしい。