406 事件のその後
この孤児院は、王都の郊外にある。敷地の周囲には小さな森が広がっていて、鳥や獣の姿を見掛けることもよくあった。
裏庭まで院長を呼びに行く途中、私は鳥の声を聞いた。
それは奇妙な声だった。
「カーッカッカ」
という笑い声のような、どこか小馬鹿にしたような。
思わず足を止め、森の方を凝視していると、「どうかなさいましたか?」と声がした。
「?」
私は周囲を見回した。すると今度は、森の下草ががさがさ揺れ始めた。
しげみをかき分け、道ではない場所を強引に踏み分けて。
程なく姿を現したのは、銀の長髪を頭上で結い上げた長身の女性。近衛騎士のジェーン・レイテッドだった。
「ジェーンさん? どうしてここに……」
私は少なからず驚いた。
登場の仕方もそうだが、彼女に会うのはかなり久しぶりだったのだ。おそらく、メイドの仕事を辞めてから初めてのことだと思う。
「日課の見回りです」
とジェーンは答えた。
何か異変があればいち早く察知するため、時間がある時はいつも、王都の見回りをしているのだという。
「治安の悪い場所や人の多い場所は、特に重点的に見て回るようにしています」
「そうなんですか」
「この孤児院も、今度からその場所に加えることにしました。以前にも申し上げた通り、あなたには邪悪なものや災いを引き寄せる性質があるようなので」
「…………」
真顔で洒落にならないことを言われて憮然としていると、ジェーンは「そういえば」と話題を変えてきた。
「こうしてお目にかかるのは、何やら久しぶりのような気がしますね」
「……そうですね」
最後に彼女と会ったのは、もう1ヵ月近く前。確か、うちの父がアンバー村に旅立って間もなくのことだったと思う。
その頃、私は「魔女の憩い亭」に滞在していた。殿下のお屋敷は泊まれる状態でなく、宰相閣下のお屋敷にお世話になるのは気詰まりだったためだ。
時刻は夕方頃だったろうか。約束もなくふいに訪ねてきたジェーンは、厨房でお皿洗いを手伝っていた私に分厚い書類の束を差し出して、
「関係者の調書ができたので、持って参りました」
「はい?」
「例の『魔女の塔事件』及び、青藍祭の儀式で起きた『白い魔女の像暴走事件』の調書です」
「はあ……」
突然のことに戸惑っていると、ジェーンは書類の束を私に押しつけ、
「まずはご一読ください。不明点があれば口頭で説明しますので」
「って、ちょっと待ってください……」
なんで一庶民である私に、近衛騎士のジェーンがそんなものを持ってきてくれたの?
「カイヤ殿下のご命令です。あなたはどちらの事件にも深く関わっているので、そのあらましや犯人たちの供述について、納得がいくように説明してこいと」
ああ、そういうこと。殿下が気を回してくれたのか。事件の後始末で忙しいのに、わざわざ私のために。
ひとまずお皿洗いを中断し、落ち着いて話せる場所の方がいいだろうと、憩い亭の個室を1つ借りて。
机を挟んで向かい合ってから、私は彼女に手渡された「調書」を読み始めた。
「…………」
かなり長い話だった。内容も、理解に苦しむ点が多々あった。
「何かご質問は?」
とジェーンに聞かれて、どこから聞けばいいのかと頭を抱えてしまうほどに。
「質問がないなら、その書類はご返却ください。重要機密ですので、持ち帰らせていただきます」
や、待って。今考えているところだから、そう急かさないで?
「要するに、事件の元凶はファーデン国王陛下なんですね」
王国の秘宝「魔女の七つ道具」を持ち出して、身内に与えた。しかも、あのルチル姫と国母エメラに。ろくな使い方をしないと、わかりきっている2人に。
その動機が「暇つぶし」とか、本気で意味不明だけど。
多分、まともに理解しようとしたらこっちの頭がおかしくなる気がするから、深く考えるのはやめておこう。
今度会ったら絶対ボコボコにして底なし沼に沈めてやると心に決めて、ひとまず話を進める。
「えーと、『魔女の塔事件』を起こしたのは、エメラに長年仕えたメイドで……」
動機は「封印の剣」に捕らわれた主人を助けるためであり、その主人というのが儀式に現れた「姿なき魔女」で、
「あの魔女の正体が国母エメラ……? っていうのは間違いないんですか?」
私はあの魔女とガチで戦っている。
短剣を振りかざす魔女と互角に渡り合い、石をぶつけてやったり、罵声を浴びせられたりもした。
その強さは確かに、訓練を積んだ戦士というほどではなかった。メイドの私が応戦できたくらいだ。むしろ素人に近いレベルだったと思うが。
「魔女の宴」で1度だけ会ったことがある国母エメラは、車椅子に乗った弱々しい老婆だった。
両者が同一人物というのは……、さすがにちょっと理解しがたい。
「国母が雇った刺客とか諜報員とかじゃないんですか?」
「いえ、それについては間違いありません」
私の疑問を、ジェーンはあっさり否定した。
「先日、王妃様が王都にお見えになりましたね。眠り続けるあなたと父親を助けるために」
「……ええ、はい」
「その際、あなたとクリア姫が捕らえた『姿なき魔女』の封印を解いていただいたのですよ」
「え」
「その正体を確かめ、殿下に仇なす動機を明らかにするためです。さすがに剣に封じられたままでは尋問できませんので」
や、だからって危なくない? また魔法で姿を消されたりしたら……。
「無論のこと、厳重に対策を施した上でのことです。その場にはクロサイト隊長と共に私も立ち会い、魔女が抵抗すれば即座に斬り捨てられるよう、待機していました」
しかし結果的には、その必要はなかった。
剣から解放された女はひどく弱っており、ろくに身動きもできない状態だったからだ。
「ちなみに、姿は見えていました。私の目には、20代前半くらいの若い女であるように見えました」
王妃様いわく。
女が身につけているのは、魔女の七つ道具のひとつ「現し身のローブ」である。
自在に姿形を変えることができ、他者の目を眩ませる力を持ったローブだ。透明人間のように姿を消すことも、あるいはできるかもしれない。
「ローブを取り上げ、女を拘束し、尋問しようとしたところ――」
女は「自分は国王の母親だ。こんな扱いは許されない」とわめき出した。
にわかには信じがたい話。しかし、ローブを脱いだ女は、時間経過と共に姿が変わっていき、数日後には老婆に、国母エメラの姿に戻った。
「ってことは、『淑女の宴』でエマ・クォーツを毒殺しかけたのも国母だったと……?」
「はい。その通りです」
いったい何の目的で?
あの時、エマを狙っていたのは確かラズワルドだったはずだよね。
複雑な話なので詳細は省くが……、あの件に国母が関わっていたとは聞いていない。
「国母とラズワルドは裏で通じていたようですので、邪魔者を消してくれと頼まれて力を貸したのでは?」
そんな、王様の母親自ら、暗殺者みたいなことをするだろうか?
エメラは地方貴族のご令嬢から、クォーツ家の若者に(無理やり)見初められて結婚し、貴族家の奥様になった人だ。
つまり基本はずっと箱入りで、荒事なんて縁がなかったはず。
「表の顔とは違う、裏の顔を持っていた、ということなのでしょう」
ジェーンはけろりとしている。
「その調書にも書いてありますが……。エメラが手にかけた、あるいは手にかけようとした相手はエマだけではなかったようですし」
今年になってからクォーツの分家筋では、当主の急病や不審死が相次いでいたらしい。
彼らはかつてエメラを「見初めた」男の親戚筋であり、エメラの協力者であるラズワルドにとっては政敵だった。
「その際、彼女が名乗ったのが『南の国の魔女』。かつて裏社会で名を馳せた暗殺者の二つ名でした」
巨人殺しもそうだが、有名な暗殺者には騙りが多い。
本物が正体不明であるのをいいことに、自分が成り代わろうとしたり、勝手に後継者を名乗ったりするのだ。
「ちなみに、暗殺の手段は実に稚拙です。秘宝の力で姿を消し、標的に近づき、毒を吹きかけるだけ」
国母には武芸の心得がないから、そんな手段しか使えなかったのだろう。
が、この方法はそれなりに有効だった。魔法で姿を消した暗殺者が居る、なんて普通は思わないからだ。
「結果、新たな『南の国の魔女』の存在は、一部の貴族たちの間で、そこそこ知られるようになりました」
……そういえば、マーガレット嬢が言ってた気がするな。
ギベオン卿がカイヤ殿下の暗殺計画について密談していた時に、魔女の力を借りるとか何とか話してたって。
「その正体が現国王の母親であると知っていたのは、信用していたメイドのみだったようですが――」
協力者であるラズワルドも、さすがに国母と魔女が同一人物とまでは知らなかった。
国母の子飼いの、腕のいい暗殺者だとでも思っていたのだろう。
知らずに協力し合い、時には利用し、利用され――そして最後には使い捨てられた。
私はあの「魔女の塔」で遭遇した、操り人形のようになっていた騎士団長の姿を思い浮かべた。
彼は現在、身柄を拘束されて取り調べ中だ。……が、実際は「療養中」とでも呼ぶべき状態らしい。
魔法の道具で操られていた後遺症なのだろうか。生きてはいるものの意識は不明瞭で、自分が誰なのかもよくわかっていない様子だったそうだ。
「その調書にあるように、国母が秘宝を手に入れたのは、今から1年近く前のことで――」
以来、エメラは秘宝の力を悪用し続けた。
彼女の不幸の元凶とも言えるクォーツの分家筋――国母が嫁いだのは50年以上昔のことだから、関係者なんてとっくに死んでるはずだけど――その当主らにひそかに毒を盛って、病に見せかけて殺したり、引退に追い込んだり。
それはもしかすると、生まれてからずっと箱入りだった彼女のストレス発散だったのかもしれない。
けして幸せとは言えなかった自分の人生。その恨みを、鬱憤を晴らすかのように、国母は力を使い、罪を重ねて――。
「……はあ」
私は調書を持ったまま、深いため息をついた。
正直、国母については、息子さんを政変で亡くしてるし。
殿下を狙ったことは絶対許せないにしても、気の毒に思う気持ちだって多少はあったんだけどね。
何かもう、悪い意味で出来上がってしまっているというか、救いがないというか。こうして話を聞いているだけで、何とも暗く重たい気分になってくる。
「取り調べはまだ道半ばといったところです。国母に関しては、叩けば叩くほどホコリが出る状態なので」
ジェーンは張り切っている。重たい気分、どころか生き生きとして楽しそうだ。全ての悪事を白状させて見せると、その目が輝いている。
「……大丈夫なんですか?」
悪事を白状させるのは結構だが、相手はお年寄りだ。
あまり手荒なことをしたら、取り調べが終わる前にぽっくり逝ってしまうのでは?
「その点は抜かりないでしょう。宰相閣下のもとには腕利きの尋問官が何人も居るようですから」
ジェーンが直接尋問するわけじゃないのね。なら安心か。あの閣下が抱える尋問官なら、相手を生かさず殺さずでうまくやるだろう。
「また何かわかれば知らせに来ます」
と言って、ジェーンは去っていった。それが前述のように1ヵ月前のことだ。
その後、取り調べは順調ですか? と聞こうとしたら、先にジェーンの方から「何か変わったことは起きていませんか?」と聞いてきた。
「怪しい人間が周囲に現れたり、危害を加えられそうになったり、誘拐されかけたりしたことは?」
「……大丈夫ですよ」
そんな物騒なことがあったらこっちから連絡しているし、
「一応、護衛の皆さんも居てくださいますから……」
さっき、奇妙な鳴き声が聞こえてきた方を横目で見ながら答えると、ジェーンは軽く目を細めて疑わしそうな表情を作った。
「あのカラスが、まともに仕事をしているのですか?」
カラスとは、カイヤ殿下が雇っている護衛のこと。人とカラスの両方の姿を持つ、自称「使い魔の末裔」たちのことだ。
なんでその護衛が私の所で働いているのかと言ったら、雇い主に命じられたからである。
殿下に告白されて以来、私はしばらく身を隠していた。
殿下と敵対している、あるいは自分の娘を殿下に嫁がせたいと思っている貴族が私を狙うかもしれない――という懸念があったからだが、宰相閣下お抱えの優秀な諜報部隊が念入りに調べた結果、今の王都にそういう動きをしている勢力は居ないらしいとわかった。
おかげで私は晴れて自由の身、かと思いきや。
殿下はまだ心配している。「もう少しくわしく調べてくれないか?」と宰相閣下に頼んだり、自分の護衛を派遣したり。
申し訳ない、どころの騒ぎじゃないし、宰相閣下にも迷惑がられているのだけど。
殿下の気持ちを無下にするのも悪いので、私は黙って受け入れている。
使い魔の末裔たちはサボリ魔で、護衛としてはあまり頼りにならない。だから彼らが居ても居なくても、殿下の身の安全はそう変わらないはずだ、と信じて。
「まともかどうかはともかく、一応、仕事はしてくれているみたいですよ。3日に1度くらいは姿を見ますし、さっきも声が――」
私が森を指差すと、ジェーンは殺気すら感じさせる冷ややかさでそちらの方をにらんだ。
同時に、バサバサと飛び立つ音。
ジェーンに脅えて逃げたのだろうか。結局、護衛の姿を見ることはないまま、森は静かになってしまった。