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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
終章 新米メイドのそれから
406/410

405 新しい仕事

 私がハキム院長を探して孤児院の敷地を駆けていると、4、5人の子供が「エルせんせー」と寄ってきた。


「ねえ、ねえ。何してるの?」

「おやつ、まだ? お腹すいたー」

「聞いてよ、シア姉ちゃんってば、怒ってばっかり! 遊んでって言っても全然聞いてくれないんだよ」

「テッドとトムがケンカしたー」

「お手洗いの床に穴が開いてるー」


 4、5人が1度にしゃべるから、対処しきれない。ケンカと建物の破損は、本当だったら今すぐどうにかしないといけないことなのだが。


「みんな、院長先生を見なかった?」


 ひとまずこちらの用件について尋ねると、うち1人が「裏庭で薪割りしてたよ」と教えてくれた。


「そう、ありがとう。お手洗いの床は、危ないからさわらないでね。ケンカは誰か年上の子に止めてもらって――」

 すると、その件について訴えてきた黒髪の男の子が不満そうな顔をした。

「シア姉ちゃんに言ったよ。でも、忙しいから後で! って」


 シアは初めてハキム院長と会った時に一緒に居た女の子だ。

 現在13歳。しっかり者で、孤児たちの中でも一目置かれている。私もついつい頼りにしてしまうけど、彼女もまだ子供。できることには限りがある。


 そもそも、私がこの孤児院で働くことになった最大の理由がそれだ。

 この孤児院、深刻な人手不足なのである。


 父と2人で事情説明のために訪れた時も、落ち着いて話なんて全然できなかった。

 壊れた窓を修理したり、孤児たちの食事を用意したり、掃除したり洗濯したり、とせわしなく働くハキムの後を追って右往左往した挙げ句、気づけば私と父も手分けして働いていた。


 何しろ子供は何十人も居るのに、職員は院長のハキム、ただ1人だったのである。

 少し前までは手伝いの老婆が居たそうなのだが、その人も腰を痛めたとかでリタイアしてしまったらしい。


 まともに人を雇えないのは、経営難のためだった。

 理由を問えば、無口なハキムに代わってシアが教えてくれた。


「最高司祭のクンツァイトが失脚したからです」と。


 ハキムの孤児院は、とうの昔にクンツァイトとは縁が切れているのだが、


「先生の姓がクンツァイトで、元はあの家と関係があったのも事実だから……。うちの孤児院も実は暗殺者養成所なんじゃないか、って噂になって」


 働いていた人が辞めてしまったり、出入りの業者が取引をやめたいと言ってきたりで、あっという間に経営難に陥ってしまったと。


「今度、アゲートっていうお金持ちの人が中心になって、戦災孤児の支援事業が始まるそうなんですけど、うちの孤児院はその対象からも外されてしまいそうで」


 事情を聞いた私は、その日のうちに行動した。

 ヴィル・アゲートを直接訪ねるのは抵抗があったので、まずは「魔女の憩い亭」のセドニスに相談してみた。


 セドニスは「なるほど」と話を聞いてくれたが、

「どうやら、すぐにでも支援が必要な状況のようですね?」

「はい。だと思いますけど」

「自分は少々多忙でして――」

 彼が多忙なのは、何も今に始まったことではないと思う。だいたいいつも忙しそうにしつつ、苦もなく働いているように見える。


 私の疑問のまなざしを受けて、セドニスは言いにくそうに言葉を濁しながら説明してくれた。

「……つまり、当店のオーナーがですね。先日、裏通りのチンピラ相手に派手なケンカ騒ぎを起こしてしまいまして、その後始末に忙しく」

「…………」


 学習能力、ってものがないのかな。放っておくと暴れてしまう、まるで理性のない猛獣のような人である。

 もう鎖にでもつないでおいたら? とあきれ果てる私に、

「お時間があるなら、手伝いをお願いできませんか」

と彼は言った。


「難しいことではありません。主に関係各所との連絡係です。この事業は元々アゲート氏がクンツァイトから引き継いだものですが、彼の信用度に問題があったためか、人の集まりが悪く――」


 このままでは孤児たちの未来が心配だと、最近になって「王都の聖女」やその友人である外務卿夫人が参加を申し出てきた。


「支援者が増えたのはありがたい話なんですが……。今のところ事務方が一本化されていないため、書類提出等の雑務が非常に面倒なんですよ」


 どうかお願いします、と頼まれて、元々こっちから持ち込んだ話だ。私に断る理由はなかった。

 まずは支援を受けるために必要な書類を持ってハキムの孤児院を訪ね、次はアゲート商会に、その次は「王都の聖女」の施療院を回り、時には関係者に直接、話をしたりもして。


 その過程で、私はハキムの孤児院を幾度となく訪れることになった。

 彼の仕事ぶりを直に見て、その誠実な人柄や彼が子供たちに慕われていることを知ったし、時には孤児たちの食事を作るのを手伝ったり、年少の子供たちに絵本の読み聞かせをしたりもした。


 ……それで情が移ったのかといったら、まあそうなのだが。

 私がハキムの孤児院で働きたいと思った理由はそれだけではない。


 私の父は孤児だった。クンツァイトの元密偵だった。

 王都の街角で偶然、私の母と出会って結婚し、私という人間が生まれたわけだけど。

 ほんの少しでも、運命の歯車が狂っていたら。

 たとえば、父が路上生活で命を落としていたら。あるいは密偵よりさらに危険な仕事をさせられていたら。その過程で生来の優しさを失ってしまい、母と恋に落ちることもなかったとしたら。

 私はこの世に生まれていない。私だけじゃなく、弟や妹も。


 そんな仮定の話に意味はないと思うだろうか?

 だけど、人間の運命なんて、ほんのわずかなきっかけでたやすく狂ってしまうものではないのだろうか。


 たとえば今年の春、私が王都に出てきた時、立ち寄った店が「魔女の憩い亭」じゃなかったら?

 私はカイヤ殿下には出会わなかった。セドニスにも出会わなかった。

 その後、タチの悪い詐欺に引っかかって警官隊のお世話になることもなく、カルサやヴィル・アゲートと会うこともなかっただろう。

 1人では失踪した父の手がかりなんて得ることができず、すごすごと実家に戻るハメになっていたかもしれない。


 だけど現実には、私は出会った。

 自分を助けてくれる人たちと。そこから、長い物語が始まったのだ。


 つまり、人間の運命なんてものは、ほんのわずかなきっかけで正しい方向に変えていくこともできる、ってことで。

 自分がその「わずかなきっかけ」になれたなら、それって結構、意味のあることなんじゃないかと思ったのだ。

 仕事としても有意義だし、子供の頃には先生に憧れたりもしてたわけだしね。


 心を決めた私は、真っ先にクリア姫に相談しに行った。


「話はよくわかったのだ」


 私がどうして孤児院で働きたいと思ったのか。

 じっくりと時間をかけて耳を傾けてくれたクリア姫は、そのために私がメイドの仕事を辞めることも快諾してくださった。


「お別れするのは、すごく……、寂しいですけど……」


 寂しい、というより嫌だな。想像しただけで涙が出そうだ。

 また会いに来てもいいですか、って聞いてもいいよね? クリア姫ならきっと、ずうずうしいとあきれたりはしないはず――。


「お別れではない」

とクリア姫は言った。12歳の少女らしくない、思わず背筋がのびるような凜とした声音で、

「その事業については、私も興味があるのだ」

「え」

「知っているだろう? 『王都の聖女』は私の大叔母様だ。先日、お目にかかる機会があったので、何かお手伝いできないかと相談してみたのだ」

 そんな話は初耳だったので驚いた。クリア姫は少し照れたように笑って、

「大叔母様は、興味があるなら一から勉強すべきだと仰った。まずは自分の所で働いてみないかとも」


 クリア姫はまだ子供なので、働くと言っても正式な仕事とは違う。王都の聖女の活動をそばで見て、色々なことを勉強させてもらうのだという。


「その、前に話した留学については、やめることにしたのだ。もしかしたら、いつか行くことになるかもしれないが」


 今は国を離れないことにした、とクリア姫は言った。


 彼女が留学を考えたのは、カイヤ殿下と距離を置くため。……実の兄君への恋心に悩んでいたからのはずである。

 それを取りやめたということは、何か心境の変化があったのだろうか?


 クリア姫は、その件については何も語ろうとしなかった。

 以前よりも大人びたように見える表情かおでほほえんで――それから、全く別のことを口にした。


「私はエルと、この先も友達で居たい」

 それこそが何より大切なことであるというように、力を込めて。

「メイドの仕事を辞めても、また会ってもらえるだろうか?」

「いつでも会いに来ます」

と私は即答した。

「姫様が望むなら、いつでも、どこでも飛んできます。これからもずっと、お友達で居てください」

 私の語気の強さに、クリア姫は目を丸くして――それからすぐに花が咲いたように笑った。

「ありがとう。エルに出会えて、本当によかったのだ」

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