402 街角の出会い2
結果は、ダメだった。
カイヤ殿下がお城の古文書を持ってきてくれたり、魔女のことにくわしいクリア姫が手持ちの蔵書を調べてくれたり、実はファイと昔なじみだったというセレナが協力してくれたりもしたのだが。
結論は皆同じ。
「白い魔女の杖」とか魔法の道具を使えば、2人を分離することはおそらく可能。ただしその場合、父は再び意識を失ってしまうだろうということだった。
「そんな……」
率直に言って、ショックだった。
せっかく目覚めることができたのに、代わりにこれからずっと、他人の意識と同居しなきゃいけないなんて。そんなの、父が耐えられないんじゃないかと思った。
「大丈夫だよ、エル」
当人は私に気を遣ったのか、ちょっと気弱な笑みを浮かべてそう言ったけど、大丈夫なわけがない。
父は優しくて愛想はいいが、けして根っから社交的な人ではない。人付き合いとか、実は苦手な方なのだ。
四六時中、他人の意識が自分の中にあるなんて、つらいに決まってる。
「や、私も最初はそう思ってたんだけど……。何だか本当に大丈夫みたいなんだ」
「はい?」
私が目を点にして聞き返すと、父はまた少し笑って、
「彼は、何て言うか。身勝手で、自己中で、他人に興味がなくて。……徹底してそんな感じだから、こっちも気を遣う必要がないんだよね。素のままで接すればいいだけだから、正直、楽なんだ」
「その点については同意する」
なぜかファイまでがそんなことを言い出した。
「共にあるのが苦痛だ、わずかな時間でも耐えがたい。そういう輩というのは確かに居るものだが、シム・ジェイドはそうではない」
私は意外過ぎて言葉が出なかった。この身勝手の権化みたいな人に、人間関係の苦痛なんて、理解できるんだと思った。
「相性の悪い人間はどこにでもおるわ。たとえば、我には姉が3人おったが――」
「ご姉弟、居たんですか!?」
「何を驚いておる。姉もおったし、何なら妹や弟もおったぞ」
先代国王ってそんな大家族だったんだ。初めて知った。
「まあ、中には父の愛人の子も含まれておったが、細かいことはどうでもいい。問題は、そろいもそろって人の話を聞かず、気に入らんことがあれば大声でわめき散らすだけの連中だったことだ。……母親も同じタイプだった。そやつらが一堂に会したところを想像してみるがよい。率直に言って、猿の群れの方がよほど知的かつ理性的であったぞ」
それはまあ、大変だったかもね。
ただ、私が気になるのは別のことだった。
その人たち、三十年前の政変の時はどうしてたんだろう? ……政変の後は? 普通に考えれば、あまり幸福な人生は送ってないはずだよね。
「さあ、身の危険が迫る前に財産をまとめて亡命でもしたのではないか。元より、政治には無関心な連中であったしな」
ファイはどうでもよさそうだった。
父が言う通り、この人は本当に他人に興味がない。他人どころか、血のつながった家族にさえ。
「私も、身勝手なのは人のことを言えないからね」
父が苦笑する。
「案外、気が合ってるんだ。だから心配しないで?」
気が合うって。そんなことありえるかなあ。
相手は先代国王である。父とは身分も違えば、境遇だってまるで違う。
かたや生まれてからずっと食うに困ったことのないお貴族様。かたや平民生まれの元・密偵……。
「シム・ジェイドは身分に対するこだわりはないようだぞ?」
これはファイの発言である。
「ずっと貴族に仕えておったのだろう? ならば骨身に染みて知っておろうよ。血筋など、人を量る上で何の役にも立たぬということをな」
父はまた苦笑しただけで、身分の違いについては特にコメントしなかった。
とにかく、当事者の父が大丈夫だというので、ファイの存在については私も文句を言えずにいる。
認めたわけじゃない。ただ、父が再び眠ってしまうよりはいい、というだけなのだが。
――話を王都の街角に戻して。
「シム・ジェイドが家族のもとに帰る決心がつかぬというなら、今日のところは行き先を変えぬか?」
いまだ己の内にこもって悩んでいるらしい父に代わり、ファイが言い出した。
「って、どこに行く気だよ」
ゼオが露骨に疑った顔をすると、ファイは「カイヤの屋敷だ」と答えた。
「師に預けたままの我が蔵書を、早急に運び出さねばならぬ」
殿下のお屋敷は元々、ファイのお師匠様のものだった。2階の隠し部屋の中には、彼が記した研究書が残されている。
「あやつの屋敷は、倒壊の危機にあるのだろう? 他にも貴重な蔵書があれば、急ぎ持ち出さねば」
倒壊の危機は大げさだけど。
ちゃんと建築士の人を呼んで調べてもらった結果、どうやら修理は無理っぽいということがわかったのである。
許容量を大幅に超えた蔵書を長年詰め込んでいたことに加えて、魔法の杖で生み出された偽物の竜が、屋根の上で大暴れしたのが致命的だったようだ。
「……いったい誰のせいだと思ってるんですか」
私は怒りで声が震えるのを抑えられなかった。
偽物の竜にお屋敷を襲わせたのは他でもない、ファイである。しかも魔法の杖の力を試してみたかった、なんて死ぬほどくだらない理由で。
そのせいで、クリア姫は宰相閣下のお屋敷に引っ越しを余儀なくされ、殿下も今現在はそちらで寝泊まりしつつ、自分のお屋敷の後片付けに忙しい。
働いていたオジロ、アイシェル、ニルス、サーヴァインの4人は、お屋敷の片付けが済んだら別の仕事を探すと話していた。
……私も、そうなると思う。
クリア姫とお別れしたくはないけれど、宰相閣下のお屋敷にはメイドなんて大勢居る。そうでなくても、私は閣下に歓迎されていない。
家族の問題が落ち着いたら、今後の身の振り方について、あらためて考えなければならないのだ。
その責任の一端は、間違いなくこの人にある。
いや、それ以前から、今後の生活については色々考えることもあったから、半分は八つ当たりみたいなものかもしれないけどね?
この時の私は怒っていた。怒りを抑えられなかった。
「待て、落ち着け。話せばわかる」
ファイはじりじりと後ずさり、しまいに走って逃げ出した。
「あ、こら!」
ゼオが叫ぶ。またファイが父の体を持ち逃げすると思ったのだろう。手品みたいな素早さで荷物の中からロープを取り出し、逃げるファイに向かって投げつけようと――。
したところで、その動作が止まった。
「ぎゃっ」
と悲鳴を上げて、ファイが尻餅をつく。
ちょうど角を曲がって現れた通行人と、勢いよく正面衝突したからだ。
そんなことになったら普通は相手の方も倒れてしまいそうなものだが、ファイにぶつかられた男は微動だにしなかった。そのくらい、体格のいい人だった。
知人の誰より背が高く、体の厚みもある。
浅黒い肌で、精悍な顔つき。しかも岩のような無表情で、年齢は――30代くらいかな。もうちょっと上だろうか?
1人ではない。連れが居る。10歳くらいの、可愛らしい女の子の手を引いている。
一瞬「通報案件」という言葉が脳裏をよぎったが、女の子が脅えている様子はなかった。
「先生、大丈夫?」
と連れの男を見上げ、いきなりぶつかってきたファイにも「おケガはありませんか?」と丁寧に声をかけている。
「ああ、ありがとう……」
ゆっくりと立ち上がるファイ。……いや、あれは父だな。「びっくりさせてごめんね」って女の子に謝ってるし。
「本当に、すみませんでした。ちょっと急いでいたもので……」
父の謝罪に、ぶつかられた男は、岩のような無表情を変化させぬまま。
やおら父の胸ぐらをつかんで、片手で持ち上げたのだった。