401 街角の出会い1
その日、私は秋物のコートに身を包み、王都の街角に立っていた。
傍らには父が居た。足かけ7年の時を越えて再会した父、シム・ジェイドが、怖いくらい緊張した顔で立っていた。
あの「魔女の塔」の事件が解決してから、およそ2週間後。
私と父は、故郷アンバー村へと向かう乗合馬車の到着を待っているところだった。
ちなみに、私は見送りだ。村に帰るのは父だけである。
本当は一緒に行くつもりだった。父が目覚めた経緯について説明する必要があったし、急に父だけ帰ったら驚かせてしまうだろうから。
何しろ7年振りの帰郷だ。しかも魔女の願い事とかその代償とか、色々とややこしい事情が絡んでいる。
まずは手紙を書いて、事情を説明して。
父と一緒に帰るつもりであることを家族に伝えたのだが……。
程なくして届いた返信には、祖父の字で「許さん」と書いてあった。
7年前、家族に何の相談もなく勝手なことをした父はもちろん、家出同然に王都に出て来てしまった私のことも怒っているらしく、「今さら戻って来ても敷居はまたがせない」とか「顔を見せたらはっ倒す」とか物騒なことが書いてあった。
さて、どうしようと私は悩んだ。
前に祖父とケンカした時は怒鳴り合いの末につかみ合いになって、最後は見物人が集まるほどの騒ぎに発展した。
今回はもっとひどいことになるかもしれない。うちの店が倒壊、あるいは炎上するとか。そんなことになったらさすがに迷惑だし、店を始めたご先祖様にも申し訳ない。
村長さんに手紙を書いて、仲裁を頼もうか。あるいは祖父と仲の良い司祭様に――と悩んでいたら、父が言い出したのだ。
「私1人で行くよ。お義父さんにもちゃんと説明して、おまえは何も悪くないってわかってもらうから」
私は反対した。
いくら怒っているとは言っても、祖父は孫娘である私に本気で危害を加えるようなことはしない。
だけど、父が1人で帰ったりした日には。
わりと普通に、ボコボコにされそうな気がする。最悪、半殺しかも。いや、絞め殺されて裏庭に埋められるかもしれない。
「覚悟してるよ」
と父は言った。実際は少し、いやかなり脅えているようではあったが、
「これ以上、逃げ続けるわけにはいかないから」
という理由で、1人で帰ることを決めてしまった。
「……本当に行くのか?」
そう父に尋ねたのは私ではなく、心配して見送りに来てくれたゼオである。
「今頃のこのこ帰ったら、あの爺さんに殺されるんじゃねえか?」
彼も私と同じことを案じているようだ。そして父の答えも同じ、「覚悟してるよ」だった。
「お義父さんには何をされても仕方ない。絞め殺されても、ボコボコにされても、裏庭に埋められても……」
でも、と父は続けた。その体がかすかに震えている。
「本当はお義父さんより、マナの方が怖い……」
マナというのは、うちの母の名である。
「あのヨメ、そんなにおっかなかったか?」
と、ゼオが疑問に思うのも無理はない。うちの母は基本おっとりした人で、滅多に怒ることもないから。
だけど、そういう人ほどキレると怖い、というのは往々にしてありがちな話だと思う。
実を言うと、実家からの手紙は2通届いていて、1通が祖父から、もう1通が母からだった。
後者は父宛てだったので、私は内容を知らない。ただ、手紙を読んだ父は顔面蒼白になっていたから、かなり厳しいことが書いてあったのは間違いないと思う。
「もしも、お母さんに許してもらえなかったら――」
その時はどうする気かと、私は父に尋ねた。
今さら行商の仕事に戻れるわけがないし、7年も眠り続けていた父には、我が家の他に帰る場所などないはずだ。
父の答えは、「許してもらえるまで償うよ」だった。
「すぐに家に入れてもらえるとは思ってない。……あの家にはもう、私の居場所なんてないかもしれないし」
んなことねえだろ、とゼオが励ます。それから急に自信のなさそうな顔をして、「……ないよな?」と私に聞いてきた。
正直、何とも言えない。
祖母は厳しくはあっても慈悲深い面もあるから、時間をかければ許しはもらえるかもしれない。そうなれば今は怒り狂っている祖父のことも、うまくなだめてくれる可能性はあるだろう。
母はものすごく怒っているようだけど、父のことは今でも間違いなく好きだと思う。
「問題はむしろ、弟と妹かもしれません」
「……何だ。自分たちを置いて行った親父のことが許せないってか?」
「いえ、許せないというより――」
父が失踪した7年前、弟は7歳。妹はわずか3歳である。
「正直、あまり父親という存在を必要としていないというか……。妹に到っては覚えてすらいないというか……」
「うっ」
父が膝をついた。両手で胸を押さえ、心臓発作でも起こしたような苦悶の表情を浮かべて、
「どうしよう……。『このおじさん、誰?』とか娘に言われたら……」
父には気の毒だが、ありえなくもない展開だと思う。
うちの妹はわりとドライな性格で、7年前の当時ですら、行商で家を空けがちな父親への関心は薄かった。
「パパ、お帰りなさい!」ではなく「パパ、いらっしゃい!」と出迎えるパターンだ。家族じゃなくて客扱い、しかも愛想が良いのは、父がおみやげを手渡すまでだったし。
「やっぱり、帰るのやめようかな……」
そんな簡単に気持ちが折れないでほしい。私が叱咤しようと口をひらきかけた時、急に父が立ち上がった。
「埒が明かんな」
とあきれたようにつぶやいて――これは父じゃない。色々あって父の体に同居している、先代国王の魂の方だ。
「おぬしが帰らぬというのなら、こちらの用事を先に済まさせてもらうぞ。我も暇ではないのだ。30年前に途切れたままの研究を、何としてでも完成させねばならんのだからな」
えらく勝手なことを、当然のように主張するんじゃない。
文句を言おうとしたら、ファイは急に肩を落とし、
「ごめん。何の関係もない君を、こんなことに付き合わせて……」
……違った。これは父の方だ。同じ人間の体に2つの人格が宿っているというのは、いまだ慣れないし、不便極まりない。
「この野郎に謝る必要なんざ、ひとっつもねえだろうがよ」
父の謝罪を聞いたゼオは、限界まで顔をしかめて、吐き捨てるように言った。
「こいつの方が居候なんだからな。勝手に体に居座って、1度は持ち逃げしようとまでしやがったくせに」
彼の言う通り、父の体の所有権は間違いなく父にあると思う。
ファイにはできる限りおとなしくしていてほしい――いや、本音を言えば早く出ていってほしい。
父は願いの代償として魂を失ってしまったので、ファイの魂が体から出て行ったら、再び眠りにつくことになる、という話だったけど。
それはファイ自身がそう言ったのだ。さすがに、鵜呑みにするわけにはいかない。
だから私はあの事件の後、さまざまな人にこの問題について相談してみたのだが……。