39 パイラ
それは自分がこの仕事を引き受ける「条件」だったのだとパイラは言った。
ここに来る前は、とある貴族のお屋敷でメイドをしていた彼女。
しかし、その勤め先はあまり待遇が良くなかったとかで、もっと条件のいい所があったら紹介してほしいと職安に登録していた。私もお世話になった、「魔女の憩い亭」の職安である。
そして1年と少し前、店の仲介でカイヤ殿下に引き合わされた。
「ついてる、って思ったわよ。ちょっと金持ちの貴族か商人辺りを狙ってたら、まさか王族とお近づきになれるなんてね。しかも、聞けばけっこうわけありな感じでしょ? これを利用しない手はないと思って」
その面倒くさそうな仕事を引き受ける、見返りはあるのかと彼女は尋ねた。お給料以外にも何か得があるなら、考えてもいい、と。
殿下は何がほしいと問うた。そこで彼女は、
「お金持ちでそこそこ身分が高くて、性格もいい男性を紹介してくださいって頼んだの」
殿下はその頼みを聞き入れ、条件通りの男性たちと引き合わせてくれた。
結果、彼女の玉の輿計画は成功した。引き合わされた男性のうち1人と、めでたく挙式の運びとなったのだ。
お相手の彼は貴族生まれで、お城に勤める官僚で、年は26。パイラよりひとつ年上だそうだ。
「それで、あの……お仕事、辞めちゃうんですか……?」
相手が王都の人なら、別にお城勤めを続けてもいいのでは? それとも奥さんには家に居てほしいってタイプの人だったのかな。
しかしパイラは、けろりと言い放った。
「別に、働く必要ないでしょ。旦那になる人は官僚で、高給とりだし」
「…………」
言葉が出ない。
だって、その旦那さんも、もとは殿下の紹介なんだよね?
そんな風にお世話になって、姫様の事情も知ってて、なのに自分の目的を果たしたらさっさと辞めちゃうって……。なんか、ちょっと……薄情な気も……。
「何か言いたそうね」
私の反応を見て、パイラはくすくす笑った。
「でもね、あんまり肩入れしすぎちゃだめよ? 確かにカイヤ殿下は優しいし、姫様はいい子だけど。所詮、私やあなたとは住む世界が違う人たちなんだから」
住む世界が違う。
それは、あれか。身分の違い的な話か。
そりゃ違うだろうけど……もちろん違うだろうけど……だから不義理をしてもいい、って話にはならないんじゃないの?
さすがにそんなこと言えなくて黙っていたけど、パイラには伝わったようだ。「もしかして」と声をひそめて、
「あなた、カイヤ殿下のこと好きだったりする?」
その「好き」は恋愛的な意味ですよね? だったら、
「違います」
「あら、即答?」
私が照れたり口ごもったりすると思ったらしく、パイラは意外そうに首をかしげた。「カイヤ殿下、モテるからねえ。若い女の子にも年かさのおっさんにも」
そうですか、おっさんにまでモテますか。って、そこはどうでもよくて。
「私、イケメンとか王子様って言葉にはときめかない体質なんで」
パイラは目を丸くして、「それはなぜか」と聞いてくる。
母親がその手の話が大好きで、幼い頃から寝物語に聞かされ続けてアレルギーになったからだが、今はどうでもいい。
「ともかく、恋愛的な意味で好きになることは、この先もないかと」
断言すると、パイラは「そうなの」と感心したような顔。
「だったら、姫様と仲良くやれそうね」
「?」
「ほら、姫様、カイヤ殿下のこと大好きだから」
パイラはちょっと意味深に笑って見せた。
「兄上様に想いを寄せる女には、かなり拒否反応があるみたいなのね。姫様は良い子だから、露骨に態度に出したりはしないけど」
それでも兄殿下を慕う女性と、心から打ち解けることは難しいらしい。
「だからダメだったのよねえ、私も」
は? 今、なんと?
さらっと付け加えられた一言に、つい数時間前に見た光景が脳裏をよぎる。
駆け寄ったカイヤ殿下の、腕の中に倒れ込む彼女。あの時、違和感はあったのだ。あの動作は、わざとそうしたようにも見えたから。
「世界が違うのよ」
パイラがつぶやく。その声音からは、先程までの屈託ない明るさはきれいに消えていた。
憂いを帯びた横顔は、どこか儚げで美しく。突然のシリアスな空気に、私は息を飲んだ、が。
次の瞬間、パイラは耐えかねたように吹き出した。
「なんてね、冗談よ、冗談。本気にしないでね? エルさん」
そう言って、軽く私の肩を叩く。
「さ、早いとこ干しちゃいましょ。しわになったら困るし」
戸惑う私に構わず、パイラはきびきびと洗濯物を干し始めた。




