396 秘密2
「今から、およそ150年前。王家では近親者同士の婚姻が繰り返された」
まず、兄が口にしたのはそんな話だった。
「……存じております」
とクリアは答えた。
先代国王アダムス・クォーツ、別名ファイ・ジーレンに聞かされた話だ。
その婚姻を推し進めたのは当時の王で、目的は先祖から受け継いだ「魔女の力」を保つため。
現王妃のリシア・クォーツのように、生まれつき魔法を使える者を増やすためだった。
「建前上は、な。だが、その王には別の思惑もあった」
別の思惑? と首をひねるクリアに、兄は殊更苦い口調でこう言った。
「妻子ある身でありながら、彼には思い人が居たんだ。既に婚約者の居る女性で……、腹違いの妹でもあった」
「!」
「そういう話は、実のところ珍しくない。けしておおやけにされることはないが、王家では近親者に恋情をいだく者が時折現れる」
と言っても、それは「王女の呪い」などという実在しない呪いのせいではなく。
「これは他国の王家でも、あるいは高位の貴族家でも見られる現象だ。一言でいえば、身分制度のもたらす歪み。それに尽きる」
真っ当な恋情を育むためには、相手のことを知る必要がある。親しくなる必要がある。
しかし王家や高位の貴族家では身分の壁に阻まれ、恋愛以前に、対等な関係を築くことが難しい。
それが可能な相手は家格が近い貴族家か、あとは血のつながった身内に限られる。要するに、世界が狭いのだ。
特に女性の場合は、年頃になると「悪い虫がつかないように」、いわゆる箱入りの状態で育てられることも珍しくなく。
極端な話、身内以外の異性とはあいさつ以上の会話を交わしたこともない――なんてことが起こり得る。
「たとえば私たちの母親は、若い頃から人嫌いで引きこもりがちだったが、次兄のシャムロックとだけは非常に仲が良かった」
そのため、2人の仲を揶揄するような品のない書物が年若い貴族の間で出回って、王太子が怒って回収する騒ぎに発展したこともあったそうだ。
「幸いなことに、シャムロックの場合は行き過ぎた家族思いと呼ぶべきもので、妹への恋情などではなかったようだがな」
そこで兄は一旦、間を置いた。
口を閉じ、じっと宙の一点を見すえる。一見静かなその表情は、クリアの目には何かつらいことに耐えているようにしか見えなかった。
「フェリオ・クォーツ」
ひどく張りつめた声で、兄はその名を口にした。
「知っているか。母上の実弟であり、私たちの叔父にあたる男だ」
「名前だけは……」
一応知っている。政変で心を病んで、その後、亡くなったと……。
「それ以外のことは何も聞いていないか?」
「はい」
「……そうか」
心を落ち着けようとしたのか、兄はひとつ長い息を吐き出した。
「私は彼のことを知らない。直接会ったことは1度もない。……だからこれは伝聞だ。私にそれを伝えたミゲル叔父の主観だよ」
フェリオ・クォーツは、実の妹を愛していた。
自分たち兄妹から見れば叔母であり、ミゲルにとっては最愛の妻であるフィラ・クォーツに対し、家族の情とは異なる想いをいだいていた、と兄は言った。
30年前に起きたあの忌まわしい政変の後、叔母は心の病に侵されたフェリオのことを献身的に介護し、支えたらしい。
フェリオは妹に癒されつつ、一方ではけしてかなうことのない、伝えることすらできない恋心に引き裂かれた。
結果として、心の病はより重くなり……、ある時フェリオは、重篤な発作を起こしてしまう。
折悪しく、屋敷に力の強い男手が不在の時で、我を失って暴れるフェリオを誰も取り押さえることができず、複数の重傷者が出た。
そしてそのケガ人の中には、他ならぬ叔母が居たのだ。
「2人を引き離すべきだと、ミゲル叔父は結論づけた」
その時には既に、ミゲルは義兄の道ならぬ想いに気づいていた。
いわば恋仇でもあるミゲルの決定に、フェリオは粛々と従ったらしい。
これ以上、妹のそばに自分が居てはならないと、誰よりフェリオ自身がそう思っていたからだ。
「叔母と別れ、僻地で療養し、それで心の病が介抱に向かっていれば良かったのだが――」
家族同然だった乳母が、流行病で亡くなったこと。その病が隣村でも流行してしまったこと。
複数の要因が重なって、フェリオの僻地療養はうまくいかなかった。
「孤独と失望の中、かなわぬ恋情を拗らせ続けたフェリオは、それから10数年後。歪みきった自分の想いを、何の罪もない幼子に向けることになる」
「……兄様」
「それがカイヤだった。フェリオは人を遣ってカイヤを拐かし、自分の屋敷に監禁し、半年に渡る虐待を――」
「ハウル兄様!」
クリアは席を立ち、兄の手を夢中で握りしめた。
「もういいです。十分です。どうかそれ以上は、おやめください」
「…………」
兄の目が、自分を見る。その眼球が細かく痙攣している。
――ああ、なんて傷ついた瞳だろう。
悲しみと悔しさで、クリアはそっと奥歯を噛みしめた。
兄は、この人は。今まで自分の知らない所で、どれほど傷つき、苦しんできたのだろうか。
「大丈夫です。それ以上は言わずとも。仰りたいことはわかりました。わかりましたから」
ずっと年上の長兄の体を、クリアはなだめるように優しく抱きしめた。
「道ならぬ想いが、カイヤ兄様のことを深く傷つけたから。同じことを私に繰り返してはならないと、ハウル兄様はそう仰りたかったのですよね?」
「……ああ。そうだ」
兄が言葉を吐き出す。その吐息もまた細かく震えていた。
「すまない。まだ12歳のおまえに、こんな話を――」
「良いのです。むしろ、話してくださって感謝しています」
ぽんぽんと兄の背を叩く。大丈夫、もう大丈夫だからと心を込めて。
自分は確かに幼い。でも、今まで何も考えずに生きてきたわけじゃない。
次兄が夏でも厚着をしていることも、その理由だって知っている。
兄の体に残る無数の傷痕を見て、過去にとてもつらい出来事があったのだろうと察していたし、兄たちがそれを秘密にしているのは、幼い自分を傷つけまいとする優しさだということもわかっていた。
わかっていたけど、知りたかった。兄たちが背負っている重荷を、自分にも背負わせてほしかった。
今、やっとそれがかなったと喜びさえ感じてしまっている自分は、兄たちが思うような純粋な子供ではない。
「ですが、カイヤ兄様は――私がその話を知ることをけして望まないでしょうね?」
「……ああ」
「ならば先程、ハウル兄様が仰っていた通り。私が聞いてしまったことは秘密にすべきでしょう」
「……その通りだ」
再び「すまない」と謝りかけた長兄に、クリアは小さく首を振って見せた。
「謝らないでください。どうか、お1人で苦しみを抱え込むようなことはなさらないでください。私は無力な子供ですが、だからこそせめて、共に秘密を背負うくらいのことはさせていただきたいのです」
「…………」
「どうかお願いします、ハウル兄様」
「……ああ、すまな――」
また謝りかけて気まずそうに口を閉じ、それから「ありがとう」と長兄は言い換えた。
「頼りにしている、クリア。私1人では到らぬ点を、おまえに支えてほしい」
「喜んで」
とクリアは答えた。
ごく自然に、笑みがこぼれていた。
支える。長兄のことも、次兄のことも。
本当は王国を離れるつもりだった。そのために隣国に留学することを考えていた。
でも、今の自分にもできることがあるのなら――支えてほしいと言ってもらえるのなら――自分は、ここに居よう。兄たちのそばに。
もう1度、今度はぎゅっと力を込めて長兄の体を抱きしめる。
ふと、視線を感じた。
いつのまにか散歩から戻ってきたらしいダンが、ドアのそばに立っている。なぜか長兄と抱擁を交わしている自分を、「何事だ?」という目で無言のまま眺めている。
そんな彼に、クリアは視線だけで意思を伝えた。
大丈夫なのだ、もう少しだけ気配を消していてくれ、と。
付き合いの長い護衛は、怪訝な顔をしつつも一応、心配することはないと理解してくれたらしく。
音を立てずにその場で丸くなり、1度大きなあくびをしてから、目を閉じたのだった。