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395 秘密1

 コン、コン。


 控えめなノックの音に、クリアは読んでいた本から顔を上げた。

「はい」

と返事をすれば、聞こえたのは長兄の声だった。


「――私だ。少し話せるか?」

「ハウル兄様? 今、参ります」


 本のページを閉じ、足早にドアの方に向かう。


「お待たせ致しました」


 ドアをひらくと、そこに立っていたのは確かに長兄だった。

 いつの間に、屋敷に来ていたのだろう。……もしかすると、今、来たところなのかもしれない。

 近頃、兄たちはずっと忙しい。次兄は気を遣って1日1度は顔を見せてくれるが、それでもゆっくり話をする時間はほとんど取れずにいる。


「1人か。……ダンビュラはどうした?」

 兄は室内の様子を一瞥いちべつして、そこに護衛の姿がないことに気づいたらしい。

「ダンは、その、夜のお散歩に行くと」

「……散歩に」

 兄の声が低くなった。


 ここは王城ではない。王都にある叔父の屋敷だ。獣の姿を持つダンが気楽に出歩いて、もしも誰かに見られたら騒ぎになってしまうだろう。


「気をつけるから大丈夫だと……、ダンは……」


 彼は並の獣よりずっと俊敏だ。その気になれば完璧に気配を消すこともできる。

 そう。あくまで、その気になれば。


「これは警官隊のユナに聞いた話だが。数日前、虎じまのある猛獣がさかり場で目撃されたとかでな。客の男が1人、人事不省になって医者に運ばれたそうだ」

「猛獣……」

「もっとも、その客はタチの悪い酔っ払いで、通行人の女性に絡んで困らせていたらしいが」


 だから、まあ、自業自得だろうと。

 護衛の話を打ち切って、兄は室内に足を踏み入れてきた。


「お食事はお済みですか? 誰かに言って、温かいお茶を……」

「必要ない。どちらも済ませてきた」


 兄がこの屋敷に来たのは小1時間前で、叔母の温かい歓待をたっぷりと受けてきたばかりなのだという。

 なぜ、自分は呼ばれなかったのか? ……答えは簡単だ。その場で交わされたのが、ただの雑談ではなかったからだ。

 子供には聞かせられない、あるいは聞くべきではない、大人の話が色々あったのだろう。

 仕方のないことだと、わかってはいるが……。今のクリアには、それが悲しかった。


「北塔で取り調べを受けていたミランが脱走をはかってな」


 しかし、向かい合って席についてすぐ。兄はあまり子供に聞かせるべきではないような、雑談とは呼べない話を切り出した。


「幸い、大事おおごとにはならずに済んだが。あれもなかなか意固地というか頑固者だな。こうと決めたらたやすく折れない所は、おそらく叔父上譲りなのだろう」

「……そう、なのですか」


 戸惑いながら答えると、兄はクリアの内心を見抜いたように言った。


「別に、おまえ1人をのけ者にするつもりはない」

「!」

「ただ、私もカイヤも、叔父叔母も案じている。今回の件を、おまえが受け止めきれているのか。我々に心配をかけまいと無理をしているのではないか、とな」

「それは……」

 クリアは瞳を伏せて、しばし考え込んだ。


 あの「塔」で討たれた女は、自分たちの祖母に長年仕えたメイドだった。

 あの儀式に乱入した「姿なき魔女」の正体は、実の祖母だった。

 その動機は、王家への恨みと憎しみだった。

 そして、復讐のための力を祖母に与えたのは、他ならぬ父だった。


 こうして羅列してみると、なるほど、ひどい話だ。幼い自分がショックを受けているのではないかと、兄たちが心配するのもよくわかる。


「私は、大丈夫です」


 それがクリアの答えだった。

 ショックといえばショックだし、悲しいといえば悲しい。でも。


「正直に申し上げると、さほど驚いてはいません。あのお祖母様なら、父様なら、そういう企みをしてもおかしくない、と」


 思ってしまう。身内同士で傷つけ合うなんて悲しいことだと感じる心の一方で。

 あの人たちなら、そのくらいのことはするかもしれないと、妙に冷めた気分で考えている自分が居る。


「そうか」


 兄はそんなクリアを非難するでもなく、「私も同じだよ」と静かに告げた。


「むしろ、やっと尻尾しっぽを出してくれたかと思っている。どんな危険な悪意も、心に秘めたままではどうにもできないからな」


 厄介な身内の敵を、これでようやく取り除くことができると。

 そう言って、兄は服の中から何かを取り出した。

 てのひらに収まるほどの大きさの青い小箱。おそらくは指輪ケースだ。


「これは?」

「指輪だよ。これもまた、おまえの父親の悪意の形だ。話すべきかどうかは、随分迷ったが……」


 開けてみなさいと言って、兄は青い小箱をクリアに手渡してきた。

 中身は確かに指輪だった。青い小さな石がついているだけのシンプルなデザイン。何の変哲もない、ごく普通の品。

「……?」

 クリアは兄の顔を見た。これが「父親の悪意の形」という、その意味は何なのだろう。


「……王女の呪い、という言葉を知っているな」

「!」

 途端に全身が硬く強張った。緊張するクリアを、兄は静かに見返して、

「あの男は言ったそうだ。これは『お守り』だと。邪悪な呪いからおまえの身を守るための贈り物だとな」

「…………」

「これが呪術のさかんな国であれば、王族がその対抗策として守り石のたぐいを持ち歩くのもよくあることだが……」


 この王国では違う。生まれつきの魔法使いでもない者が使う「呪術」など、迷信と似たようなものだと考えられている。

 にも関わらず、父がこんな物を持ってきた理由は――。


「父様は……、気づいている、ということなのでしょうか」

 クリアの気持ちを。実の兄に寄せる、人の道に外れた想いを。

「おそらく、な。昔からそうした人の想いには妙に敏感な男だ」

 何を、と問い返すこともなくうなずいて見せる長兄も、とっくに察していたのだろう。


 王女の呪い。血のつながった肉親しか愛せなくなるという忌まわしき呪い。

 おとぎ話の中で、実兄への愛に苦しんだ王女が、愛する人を奪った白い魔女と、その子孫への恨みを込めたという。


 あのおとぎ話はフィクションだ。「呪い」も実在するはずがない。

 ならば、父がこの指輪を贈った真意は? いや目的は?

 ……1番ありそうなのは脅迫だろうか。秘密を次兄にバラされたくなければ、自分に協力しろとか――。


「いや、それは考えにくい」

 クリアの懸念はすぐに否定された。

「何らかの要求をするつもりなら、とっくにしているはずだからな。あの男がこの指輪を持ってきたのは数ヵ月前――『魔女の宴』の直前のことだったらしい」


 指輪を受け取ったのは兄ではなく、自分のメイドであり、大切な友人であるエル・ジェイドだったという。


「あの日、彼女に相談を受けた私は、この件を口止めした。妹には話すな、君も忘れてくれと」

「そうだったのですか……」

 エルが自分に隠し事を。ならば罪悪感を抱えて、苦しんでいたのではないだろうか?

「いや、当人は本当に忘れていたそうだ。あの男からの贈り物など、どうせろくなものではない。深く考える価値もないと割り切っていたようだな」

「そ、そうだったのですか……」

 それもまた、エルらしいといえばらしい話だった。


「彼女は賢明だな。あの男と出会って日も浅いというのに、よくわかっている」

「…………」

「事実、あの男のすることに深い意味などない。他人の気持ちを揺さぶって、反応を見て、面白がっているだけ。タチの悪い娯楽であり、暇つぶしだ」

「……娯楽……」


 父親が娘の恋情を知り、揺さぶるのが娯楽。

 兄の言う通り、実にタチの悪い話だが……。ファーデン・クォーツは確かにそういう男だった。

 対処法としては、エルがしたように深く考えない、相手にしない。それが1番良いのである。


「おまえも、あまり深刻にならないようにしなさい。あの父親に秘密を知られていると思えば、さぞ不安だろうが……。仮にファーデンがこの件をカイヤに告げたとしても問題ない」


 なぜなら次兄は、父親の言うことを基本信じないと決めているからだと言い切られて。


 すぐに「わかりました」とうなずく気にはなれなかった。

 父のことは、確かに兄の言う通りだと思うが……、クリアには他に気になることがあったのだ。


「カイヤ兄様は、本当に何もお気づきではないのでしょうか?」

 自分の、想いについて。これまでは全く気づいていなかったが、

「兄様は『王女の呪い』のことを気にしていました。ダンの話によれば、王室図書館のセレナに教えを乞いに行ったと」

 その後少し、様子がおかしかったとも言っていた。


 もしも、兄にこの想いを知られてしまったら。自分の気持ちが、あの優しい兄を苦しめることになったら。

 それはクリアにとって身の内が凍るような恐ろしい想像だった。


 しかし長兄は、「ああ、それは心配ない」と静かに首を振った。


「カイヤが気にしていたのは全く別のことだからな。幼いおまえが一族の闇を知り、そのせいで苦しんでいるのかもしれないと案じ、私に相談しに来た」

「一族の闇?」


 意味がわからず繰り返すと、長兄の瞳に暗い影が落ちた。


「これから話すことを、カイヤに言ってはならない。話の内容ではなく、『おまえがそれを聞いた』という事実そのものを秘密にしてほしい」


 口調も重くなる。まるで罪の告白でもするように。


「本来であれば、幼いおまえに聞かせるような話ではない。それでも話すと決めたのは、私の独断だ。おまえが踏み越えてはならない一線を越えずにいるために、その理由を深く理解するために。……必要なことだと、私が判断した」

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