394 断罪2
「起きろ、親父殿」
呼ばれて、目を開ける。
長い追憶から覚めると、そこにはリシアそっくりの息子が――カイヤが居た。
ファーデンは池のほとりでベンチに座っていて、息子は目の前に立っている。奇しくも、あの時とは逆の形だ。
「探したぞ。こんな所で何をしていた?」
ああ、本当にそっくりだなあと思う。
髪の色、瞳の色、顔かたち。何もかもリシアに生き写しだ。
「……何の用?」
非難めいた声音で「探した」とか言われても、こっちは探される理由そのものがわからない――という表情を取りつくろって見せれば、カイヤは「とぼけるな」とさえ言わずに、ズバリ本題を告げた。
「祖母殿が白状したぞ」
「…………」
「魔女の七つ道具は、親父殿から手に入れたと。魔法の鏡、現し身のローブ、傀儡の糸巻きの3種。ルチルの時は杖だけだったものを、また随分と大盤振る舞いをしたものだな」
ちょっと待って、とファーデンは声を上げた。
「話が見えないんだけど。そもそも、うちのおふくろさまって行方不明じゃなかった?」
カイヤは「そこからか」と面倒くさそうな顔をした。
「祖母殿は『封印の剣』に捕らわれていた。例の儀式で俺の命を狙った、『姿なき魔女』の正体が祖母殿だった。魔法で姿を消していた上に、なぜか若返っていたせいで特定には手こずったが」
早口で事実を告げる。しかし情報量が多すぎて、頭がついていかない。
「えーと、それって本当にうちのおふくろさま?」
姿が見えないとか、若返っていたとか。そんな相手の正体が特定できるものなのだろうか。
「間違いない。封印の剣から出てきた女を、魔法の道具を取り上げた状態でしばらく監禁したところ、数日もたたないうちに元の姿に戻った」
「……あ、そう……」
「こちらの尋問にも素直に応じていたぞ。長年自分に仕えたメイドの最期を聞いて、心が折れた様子だった」
「そっかぁ……」
「で、祖母殿が言うには、魔女の七つ道具は親父殿から手に入れたと」
話が戻ってきた。カイヤの険しいまなざしから察するに、ファーデンこそが一連の事件の黒幕だと言いたいのだろう。
まあ、正解なのだが……。すぐに認めてしまうのもつまらないので、ファーデンはもう少しとぼけて見せることにした。
「えっと、それを信じるの?」
声に戸惑いを乗せて聞き返す。
「うちのおふくろさまは年だし、メンタルの方もだいぶヤバかったし」
根拠不明の妄想を垂れ流してもおかしくない。そんなあやふやな証言だけで、罪に問われてはたまったものではない。
「俺が忘れたとでも思っているのか?」
「……何を」
「幼い頃、親父殿に連れ出された時のことだ。あの時、俺に与えようとしたのも魔女の七つ道具だったな」
「あー、あれか」
あの時、カイヤは魔女のホウキを選んで空を飛び、高所から落ちてうっかり死にかけた。
ほほえましい、とは全く言えない父子の思い出話である。
「ルチルにも同じことをしたのだろう? クリアへの逆恨みを抱えたまま、アクアに監視されて身動きができなかったルチルに、親切にもストレス発散の手段を与えてやったわけだ」
いやいや待って、とファーデンは止めた。
宝物庫は厳重に見張られている。
鍵を管理しているのは確かにファーデンだが、だからといって、誰の目にもとまらず出入りができるわけではない。
「あの火事があった日のことを思い出してみてよ。私の行動に何かおかしなところがあった?」
最愛の妹が命の危険にさらされた大火災だ。当然くわしく調べたのだろう。
「見張りの誰かが、私の姿を見たとでも言ったのかな?」
ファーデンの弁明を、カイヤはどこまでも冷たく切って捨てた。
「杖が持ち出されたのが、あの火事の日だったかどうかなどわからない」
「…………」
「火事の翌朝、宝物庫の扉が開いたままになっていた。中を確かめてみれば、秘宝のひとつがなくなっていた。……事実はそれだけだ。実際にいつ、白い魔女の杖が持ち出されたのかを知っているのは、宝物庫の中に立ち入る権利を持っていた人間。つまり親父殿だけだ」
「…………」
「実際は事件より前に――何ヶ月も前にひそかに持ち出されていたのかもしれない。それを確かめる手段は、俺にはない」
だったら、とファーデンは薄く笑みを浮かべた。
「証拠はないってことだよね? 死にかけのおふくろさまの証言だけじゃ、おまえは私を断罪できない」
そうだな、とカイヤもあっさり認めた。
「だが、真っ当な手段では『できない』からと言って、俺がそれを『やらない』理由にはならない。いいかげん、親父殿の暇つぶしに付き合わされるのはうんざりだ。自ら身を引く気がないのなら、力づくでも引導を渡させてもらう」
それはつまり、自分を玉座から引きずり下ろす、という宣言なのだろう。
……首をとる、という意味ではないはずだ。
この子は基本、流血を嫌う。悪党が自業自得で命を落とす、といった結果にはあまり頓着しないが、主体的に他者の命を奪う行為には強い抵抗を示す。
たとえ天敵のような父親が相手でも、そこは例外ではないはずだが――。
「暇つぶし、かあ」
カイヤは言った。かつてこの場所で、ファーデン自身がそう言ったように。
「それ、おまえに話したことあったっけ? リシアに聞いた?」
「いいや、親父殿自身の口から聞いたぞ。7年前、兄上が無実の罪で幽閉された時に」
「あー、そっか。おまえが私に、ハウルのこと助けてくれって頼みに来た時ね」
「そうだ。今思えば、全く以て無駄の極みだったな」
あの頃、この子はまだ子供で、親に対して多少の期待は持っていたから。
いや、期待というほどではないか。多分、「だめで元々」くらいのものだ。
生まれてからろくに交流もなかったため父親の本性を知らず、おそらくはワラにもすがる思いで助けを求めてきたのだろう。
「権力に固執するラズワルドのような貴族も、寵愛を競う側室たちも、俺や兄上の存在も全て。親父殿にとっては意味も価値もない。眺めて楽しむだけの娯楽であり、暇つぶしなのだろう?」
そうだ、確かにそう言った。
……我ながらちょっと、ひどかったかな、とは思う。
ちょっとというのは言葉の綾で、実際はどんな悪党よりも理不尽でタチが悪いと知っている。
実の父親がそんな男だと知りながら、しかしカイヤは涼しい顔だった。
その黒い瞳には、リシアと違って意志の輝きがあり。
リシアと瓜二つなのに、リシアとは少しも似ていない顔でファーデンを見下ろして。
淡々と、冷静に、最後通牒を突きつけてきた。
「ラズワルドもギベオンも、クンツァイトも失脚した。もはや味方は居ないぞ。悪あがきはやめて、今すぐ退位しろ」
「えー、それは……」
気が進まないな、とファーデンは答えた。
本当に味方が居ないならあきらめるしかないが、実のところ、新しい支援者は既に見つけている。お気に入りの女性ができたという建前で足繁く通っていた、とある中級貴族の家だ。
王国ではこれまで、何だかんだで五大家の力が強かった。
能力も野心もあるのに頭を押さえつけられ、不満を募らせている貴族などいくらでも居る。
ラズワルドとギベオンの失脚は、そうした家々にとってチャンスなのだ。
彼らにしてみれば、オーソクレーズ家の宰相とべったりの第一王子に味方してもあまり旨みはない。
できれば他の候補者に即位してほしいはずだ。……まあ、ラズワルドの義理の孫にあたるフローラは、さすがに今回の件で即位の目がなくなったが。
「親父殿の新しい後ろ盾については、こちらでも調べがついている」
とカイヤは言った。
「叔父上によれば、『簡単に排除できる相手』らしいが?」
「……あいつはそう言うだろうね。でも、強引な手段を使うのはやめた方がいいと思うよ」
実際、今の息子たちと宰相の力ならどうとでもできる相手だ。
しかしながら、力づくで問題を解決するのはあまり良い手段ではない。一時的にはうまくいっても、長い目で見れば下策と評価せざるを得ない場合がほとんどだ。
「一理あるかもしれんな。だが、それでも俺は親父殿の排除を優先する」
「…………」
「猶予は1年だ。その間に身辺整理をすませろ」
「……あ、1年もくれるの?」
意外に思って尋ねれば、カイヤは不本意そうに顔をしかめた。
「仕方ないだろう。他でもない国王が、王家の秘宝を身内にばらまいて悪用させた、などという話をおおやけにするわけにはいかん。つまり表向きには、親父殿の治世に瑕疵はないわけだからな。性急に事を運ぼうとすれば民が混乱する」
ただし、1年が限度だ。
それ以上、時を稼ぐ気配でもあれば、「強引な手段」も迷わず使うと言い切った。
「それって、具体的には? 私の首をとるってことかな?」
おまえには無理だろう、と暗に言ってやる。
しかし返ってきた答えは、予想と違っていた。
カイヤはいかにも気が進まないという顔をしながらも、「他に手段がないなら、それも検討する」と言ったのだ。
「脅し、本気?」
「一応は本気だ。今回の件、人死には黒幕のメイドだけで済んだが、それはただ運が良かっただけだ。……何の罪もない人間が、巻き添えで死んでいてもおかしくなかった」
その顔に浮かぶ苦渋の表情と、かすかに熱を帯びたまなざしを見て。
それってあの子のことかな、とファーデンは思った。
クリアちゃんのメイド。白い長い髪の、一見地味な容姿ながら、やけに凜々しくて勇ましい女の子。
「親父殿を放置しておけば、いずれまた同じことが起きるだろう。それは看過できない、というのが俺の結論だ」
きっぱりとした口調に、迷いは感じられず。
「猶予は1年だ。その間に身辺整理をすませろ」
先程も言ったセリフを繰り返し、これで用は済んだとばかりに立ち去っていく。
その足音が遠ざかり、やがて消えるのを確かめてから。
ファーデンは池のほとりで1人、柔らかな風に目を細めた。
そういえばもう秋なんだなあと、ひどくのん気なことを考えながら。