391 王妃の返礼1
「ここは叔父上の屋敷だ」
と、殿下はまずそれを教えてくれた。
「話さなければならないことは多々あるが……。先に謝罪させてくれ。おまえが危険な目にあっている時、何の役にも立てずにすまなかった」
本気ですまないと思っているような、深い後悔をにじませた顔で頭を下げられて、私は困惑した。
しかもクリア姫まで兄殿下そっくりの表情を浮かべて、
「……それは私もなのだ。エルが、兄様たちが危険な目にあっている時、私はこのお屋敷でただ待っていただけなのだ……」
すまなかった、と同じように頭を下げてくる。
「いやいや! お2人が謝ることじゃないでしょう!?」
悪いのはあのガイコツ女だ。国母エメラ・クォーツのメイドだ。
「殿下は被害者じゃないですか。姫様だって、ずっと心配していらしたんでしょう?」
私と殿下が、あの塔にさらわれてから。何だか顔色も悪いし、もしかしてろくに眠っていないのでは?
「よくわかったな。あんたと殿下が消えてからずっと、嬢ちゃんは飯もまともに食わずに祈ってばかりいた」
「ダン」
「事実だろ。ちなみに、あんたらが消えた日から、今日でだいたい2週間たってる」
「2週間……?」
絶句する私と、「それはまことか?」と興味深そうに身を乗り出すファイ。
殿下が小さく首肯して、説明を補足した。
「正確には、俺とエル・ジェイドが塔に招かれたのが今から13日前。兄上とクロサイトが塔に入ったのがその翌日。ジャスパー・リウスが警官隊の者たちを引き連れて救出に来たのがその3日後で――」
私たちがあの大広間にたどりつき、ガイコツ女が倒されたのがさらにその2日後らしい。
何だか、計算があわなくない?
今が13日後だというなら……、残りの1週間くらい? はどこに消えたんだろう。
「話が散らかっていますよ」
と、横から口を挟んだのは王妃様だった。「もう少し順を追って説明しておやりなさい」
彼女はベッド脇にある立派な椅子に座って、メイドさんが淹れてきた紅茶を優雅に嗜んでいる。
何より理解できないのは、彼女がこの場に居ることなんだけども。
さっき殿下が言った通りなら、ここは宰相閣下のお屋敷。つまりは王都なんだよね?
この15年、何があっても――我が子の命が危ない時ですら離宮に引きこもっていた王妃様が、いったいぜんたい、どうしてここに居るのか。
声には出さずに考えていたら、
「そう言うおぬしは、なぜここに居るのだ」
とファイが突っ込みを入れた。
王妃様は動じない。
「それも今から、カイヤが話すでしょう」
「…………」
母親に説明を押しつけられた殿下は、微妙に納得できないという顔をしつつも口をひらいた。
「俺はずっと眠っていたから、後で兄上たちに聞いた話だが――」
あのおかしな塔で。エメラのメイドが、最後の悪あがきで放った白い光。
それに打たれた私は、真っ白な光に全身を包まれて、その場から消えようとしていた。
が、そこに駆け寄ったファイが――正確には父が――私の体を抱きしめた瞬間、変化が起きた。
私の体を包んでいた光が、唐突にかき消えて。
直後、私たちは倒れた。糸が切れた操り人形のように、その場にぶっ倒れた。
「おい!? しっかりしろ!」
と、ゼオがいくら呼んでも揺すっても反応はなく、まるで魂が抜けてしまったみたいに脱力していたんだそうだ。
「なるほど。傍目にはそう見えたわけか」
殿下の話を聞いたファイは、合点がいったという風に手を打った。「おそらくは、代償が足りなくなったのだな」
「……? どういう意味だ?」
聞き返す殿下に、ファイは得意げに腕を組んで、
「あの女は、カイヤよ。おぬしを狙っていた」
「……そのようだな」
「しかしながら、実際に光に打たれたのは、身を挺しておぬしをかばったそこの小娘だった」
「……っ!」
「それだけなら、小娘がおぬしの身代わりになって終わりだっただろう。あの女が最後に魔法の鏡に願った『この世から消せ』という言葉の通りに、異界にでも飛ばされていたのか、単に命を落としただけか」
「……っ! ……っ!」
声もなく苦悩する殿下に構うことなく、ファイは話を続ける。
「が、そこに邪魔が入った。シム・ジェイドが娘に駆け寄り、つかまえた。この世から消えかけていた娘を、何としても放すまいとする強い意志をもって抱きしめたのだ」
あの女に残された寿命や意志の力では、2人まとめてこの世から消し去るほどの代償にはなり得なかった。
「結果、我らは魂だけを異界に持っていかれたわけだな。なるほど、なるほど。実に興味深い」
興味深い、ですむ話じゃないと思う。
要はかなり危ないところだったんだよね? ファイ自身も巻き込まれたというのに、全然危機感がない。
「本当に、すまなかった……」
殿下はほとんど死にそうな顔で謝罪を繰り返す。
「好意がある、などと告げておきながら、肝心な時におまえを守ることもできず、逆にかばわれて、命の危険にさらした……っ!」
や、くどいようだけど、それは殿下のせいじゃないし。
あと、好意云々の話は今しないでほしい。
ファイだけじゃなくて、父も聞いてるはずだから。そこに居るんだよね? さっきからファイしかしゃべってないけど。
「えーと、その後はどうなったんですか?」
ひとまず話の先を促す。
私たちが倒れた後。カイヤ殿下やハウライト殿下は、すぐに塔から出ることができたのだろうか?
殿下は死にそうな表情のまま顔だけ上げて、私の問いに答えてくれた。
「兄上の話では、白光が消えて程なく、辺りの景色が歪んで消えて……、気がついたら、森の中に立っていたそうだ」
操り人形にされていた騎士たちを含めた全員が、「魔女の霊廟」を囲む森の中に。
「あの巨大な塔は影も形もなく、魔女の霊廟は元通りの場所に建っていた」
そうなんだ。つまり魔法が解けたってことなのかな?
「……俺が目を覚ましたのはその時だ。兄上から事情を聞かされて、すぐに王都に戻ることにした」
それは王都で待っている人たちに無事を知らせるためでもあったし、倒れたまま意識が戻らない私と父を医者に診せるためでもあった。
「医者は匙を投げた。こんな症例は見たことがない、と言って。もっとも、それは診せる前から予想できたことだ」
倒れた時の状況からして、何らかの魔法が原因であることは間違いなかったからだ。
助けるためには、同じく魔法の力に頼るしかない、という結論になって。
「白い魔女の杖を使うことも考えたが……。叔父上と兄上にそろって反対されてな」
あの杖は「使用者の体力」という代償を支払えば、魔法を使うことができる。
しかし、人1人の体力では足りないレベルの魔法を使おうとした場合、願いの大きさに見合った「別の代償」を奪われてしまうこともある。
ルチル姫はそのせいで抜け殻のようになってしまった。早い話が、危険な代物なのだ。
「おまえを目覚めさせるという願いの代償が、果たしてどれ程のものになるのか予想できない以上……、使用は許可できない、と2人に言われて」
それでも、殿下は粘った。「彼女が倒れたのは自分をかばったからだ」「命の恩人を見捨てるわけにはいかない」と。
それについては、ハウライト殿下も同意見だった。
彼は私が殿下をかばう所をその目で見ていたために、「王族の命を救った民を見殺しにしては、信義に反する」と宰相閣下を説得してくれた。
「それで? おぬしらは結局、リシアの魔法に頼ることにしたわけか」
ファイが口を挟んだ。
「確かに、杖を使うのは問題があるやもしれぬが……。こやつを離宮から引っ張り出してくるのも簡単ではなかっただろう?」
いったいどんな手を使ったのかと言って、殿下と王妃様の顔を見比べる。
「……特別なことは何もしていない」
と殿下は答えた。
「俺と、兄上と、クリアで離宮を訪ねて、どうか力を貸してくれ、と母上に頭を下げた」
「はああ??」
ファイは唖然とした表情になった。「まさか、たったそれだけで、こやつが重い腰を上げたとは言うまい?」
「……いや、それだけだ」
「馬鹿な。左様なことがあるわけがない!」
「確かに、俺たちも信じられなかった。母上が無条件で助けてくれることなどありえんからな。取引に使えそうな材料をあらかじめ用意して、それでもダメなら脅迫という手段を使うことも考えていた」
殿下、例によってぶっちゃけ過ぎ。
当の王妃様が横で聞いてるのに。王妃様は涼しい顔で紅茶を飲んでるけど……。あー、でも、横顔がちょっと引きつってるかも。
「いったい何を企んでおるのだ」
ファイは疑惑と不審の目を王妃様に向けて、「さては我を蘇らせて、今一度復讐せんとでも考えたか」
「おまえのことなど、どうでもよい」
王妃様がティーカップを置く。貴人らしくない乱暴な所作で、ガチャンと音を立てて。
「私はただ、そこの娘に用があっただけです」
そう言って、彼女が視線を向けたのは――他でもない、私の顔だった。




