389 狭間の世界3
それは確かに問題だった。私たち全員の身の安全に関わる大問題だった。
まず、ここはどこか? という点について。
先程ファイは言った。この場所はかつて彼が閉じ込められていた「水晶の牢獄」と同じだと。
王妃様の魔法によって肉体と魂を切り離されたファイのように、今の私たちもまた、魂だけの存在になっているのだと。
「……本当にそうなんですか?」
私はなんとなく自分の顔にふれてみた。
さわった感触はあるし、何もおかしなところはない。普通に体があるようにしか思えないんだけど。
「まあ、それについては推測に過ぎん」
とファイも認めた。
「国母のメイドだとかいうあの女が、最後に『魔法の鏡』に願ったのは――はっきりとは聞き取れなんだが、『呪われし王家の血筋をこの世から消せ』といったようなことだったはずだ」
「……そうですね」
私も全部は聞こえなかったが、だいたいそんなような感じだったと思う。
「とはいえ、願いには代償がいる。王家の血を全て根絶やしにするほどの代償を、あの時、あの女が用意できたとは思えん」
……でしょうね。王家の血を引く人なんて大勢居るし。
あの場だけでも、カイヤ殿下とハウライト殿下とフローラ姫とファイ、それにクロサイト様だって実は王家の縁者である。
「結果、鏡の力はカイヤにのみ向かった。おそらく、あの場に居た『王家の人間』の中で、女が最も恨んでいた相手がカイヤだったのだろう」
悪名高き先代国王のファイよりも? そんなのあんまりじゃないか。
くどいようだが、殿下は何も悪いことなんてしてない。国母エメラ・クォーツはもちろん、そのメイドだった女にまで恨まれる理由なんてないはずなのに。
「母への恨みを子にぶつけたのではないか? リシアが離宮に引きこもって手が出せぬゆえ、息子のカイヤを狙ったのだろう」
ファイは簡単に言うけど、王妃様が国母に恨まれる理由もよくわからない。
2人とも、三十年前の政変の被害者だよね? 大切な家族を亡くして、自分も捕まって。同じ苦しみを共有してるはずじゃないか。
「さて、な。そこまでは知らんが……。理由として考えられるとしたら、リシアが魔法使いだからか」
「?」
「あやつは兄のシャムロックの言いつけで、魔法を使うことを禁じられていた。ゆえに家族と共に為すすべもなく捕らわれ、数年に及ぶ幽閉生活を余儀なくされたわけだ。……が、そのシャムロックが獄死したことで箍が外れたのだろう」
過酷な幽閉生活のストレス。自分の親戚や仕えた人々が、惨たらしく殺されるのを見せつけられたこと。
何より愛する兄の死にショックを受けた王妃様は、精神の均衡を失い、魔法の力を暴走させた。
具体的には、塔に雷が落ちたり、暴風が吹き荒れたり、植物が異常繁殖したり、数千、数万という数の鳥や小動物がどこかから現れたり……。とにかく大変なことになったらしい。
「城は大混乱に陥った。その隙をついて反体制派が城に雪崩れ込み、当時の支配者層を討ち取った」
「…………」
「故にリシアこそが、我が治世を終わらせた立役者ということになるが……。その反応を見るに、この話は国民に伏せられているのだな?」
「……はい。初耳です」
念のため父の方を見ると、やはり聞いたことがないという風に首を振っている。
「リシアの性格を考えれば、それが自然だな。あやつは己が魔法を使えることを隠していた。この先も隠し続けたいと当然のように考えただろう」
とはいえ、その状況では、完全に隠し切ることは難しく。
城に乗り込んできた反体制派はもちろん、その後、国政を牛耳ることになった偉い人たちは真実を知ることになった。
たとえば、王様とか。……その母親とか。
「だったら余計にわからないんですが……」
王妃様の魔法で、恐怖政治が終わりを告げたんだよね? 感謝するならまだしも、なんで恨みを持つことに??
その疑問に答えたのは、なぜかファイではなくて父だった。
「えっと、そんな便利な力があるならもっと早くに使ってくれてたら、自分の家族は死なずにすんだのに……って思ったとか?」
「えええ……」
そんな理不尽な。王妃様の力は、無制限に使えるわけじゃない。常に代償が必要で、しかも何を代償にするかは自分で選べない。
便利どころか、恐ろしい力なのだ。だから兄のシャムロック王子だって使用を禁じたのに。
「おそらくは、それが正解だろう。シム・ジェイドよ」
「そんな」
「当事者の事情など、わかる者にしかわからぬ。大方の人間にとって、魔法は奇跡の力だ。力があるなら使えばいいと考える単純な輩には、その恐ろしさなど想像もつかぬのだろうよ」
「はあ……」
私が言葉をなくしていると、父は心配したのか、フォローのようなことを口にした。
「えっと、そのエメラって人? 誰でもいいから、恨む相手がほしかったんじゃないかな」
家族を失ったつらさ、苦しさをまぎらわせるために? そりゃ息子さんを亡くしたのは心底気の毒だと思うけど……。
「感情のはけ口にするなら、身近な相手の方が便利だからね。その人にとって、王妃様は息子の嫁でしょ? いじめやすいっていうか、責任を押しつけやすい相手だったのかも」
フォローではなかったらしい。むしろわりと容赦のない批判になっている。
私が再び絶句していると、父は誤解したようだった。
「あ、違うよ。私はお義父さんやお義母さんにいじめられたことなんて1度もないからね?」
「……わかってるから」
一般的には、義理の両親との関係は難しいってされがちだけどね。
我が家の場合はそうじゃなかった。
父は祖父母のことを慕っていたし、信頼していた。2人に叱られることさえ喜んでいたほどだ。
祖父母も、何だかんだで父のことを可愛がっていたと思う。だからこそ、7年前の件はより許せなかったんじゃないだろうか。
「話がそれておるぞ」
とファイが言った。
そもそも話が横道にそれたのは誰のせいって気もするが、確かに今、話し合うべきなのは王妃様と国母の嫁姑問題ではない。
「仮に我らが――いや、我の肉体は元より存在せぬゆえ、おぬしら親子が生身の体であると仮定するならば、だ」
いずれはお腹がすくし喉も乾く。しかしここには食糧も水もない。
「魂だけの存在だったとしても安泰ではない。なぜなら人の体というものは、魂を失うと緩やかに朽ちていくからだ」
それは、かつてのファイのように。
王妃様の魔法で魂と切り離された先代国王の体は、時間経過と共に朽ち果てた。
原因不明の死、いわゆる「変死」として扱われ、その体は埋葬されたのか、あるいは悪王の骸として晒されたのか。どちらにせよ、既にこの世には残っていないわけで。
話を聞いた父は真っ青になった。
「早くここから出ないと、エルが死んでしまうってこと?」
「そうだ。娘だけではなく、おぬしも、魂を共有している我も――」
「出る方法は!? 何かないのかい!?」
ずいずいと父に迫られて、その語気の強さに若干引きつつ、
「あー、そうだな。魔法の鏡はあの罰当たりに割られてしまったようであるし、可能性があるとしたら『白い魔女の杖』辺りか」
私たちが生身のままこの場所に飛ばされたのだとしても、あるいは魂だけを封じられたのだとしても。
あの状況を目撃した人たち――ハウライト殿下やクロサイト様が塔を出て、何らかの対処をしてくれれば助かる可能性もある、とファイは言った。
「だけど、それって……」
ただの一庶民に過ぎない私たちのために、王家の秘宝を使ってくれれば、って話だよね。簡単に行くかなあ?
まあ、カイヤ殿下なら、部下を見捨てはしないか。簡単には行かないことでも、どうにかしてくれそうな気がする。
私はわりと楽観的にそう考えたのだが、殿下のことを知らない父の反応は違った。
「君は、今の王族に恨まれてるよね……? 先代国王なんだし」
「そうだな。かつて我を封じたのが、まさに今の王妃だ」
当然のことながら助けてくれるはずもなく、ファイの魂が入っているという時点で、父の方も見捨てられる可能性が高い。
「そんなことはどうでもいいから! エルは、エルだけでも助ける方法はないのかい!?」
父はファイの体をつかんで、がくがく揺さぶっている。
私は、私だけ助かっても全然嬉しくない。さっきあれほど怒って見せたのに、まだ理解していないらしい。
「少しは懲りろ、クソ親父ぃぃぃ!!」
ぶち切れて、再び拳を振り上げようとしたその時。
まるで私の怒りの叫びに呼応したかのように、何もない真っ暗な空間が割れて、砕けた。