380 螺旋階段
大広間から奥に進むと、突き当たりに1枚の扉があった。
観音開きの石の扉で、狼とトカゲの絵が彫ってある。
どちらも白い魔女の使い魔だ。あの「魔女の霊廟」の扉もそうだった。
大きさもほとんど同じだと思う。その扉に向かって、ガーンガーンとメイスを打ちつけているのは、近衛騎士のジェーン・レイテッドだった。
自分が出している騒音のせいで、気づくのが遅れたんだろう。私たちがかなり近づいてから振り向いて、
「ハウライト殿下! お待ち下さい、あと少しでこの扉を破壊できますので!」
扉にはヒビひとつ入っていなかったが、ジェーンのメイスで何度も殴られて、表面がボコボコになっていた。これ以上続けたら、扉が歪んでかえって開かなくなったりするかも。
ハウライト殿下もそう思ったのか、
「少し下がっていてくれ」
とジェーンに言って、取り出した霊廟の鍵を扉に押し当てた。
ギギィ……と重たい音を立てて、観音開きの扉が左右に開いていく。
その向こう側には、虚空が広がっていた。
そこは何もない円筒状の空間で、壁に沿うように細い螺旋階段がついている。
階段の先は、遙か頭上へと続いていた。
逆に見下ろせば、足元には底の見えない闇。まるで馬鹿でかい塔の内部のような――いや「ような」っていうか、実際にここは塔だった。
入ってすぐの場所には窓もある。
外が見えるのかな? と軽い気持ちでのぞいてみた私は、あまりの高さに足がすくんだ。
「ひえ……」
視界に広がるのは、青空と雲と、遙か遠くの山々。お城の露台から見た景色と似ているが、あれよりさらに高い場所のように感じる。
「すごい景色ですね」
私の後ろから窓をのぞいてきたジェーンも、「いつのまに、こんな高所まで来ていたのでしょうか?」と首をひねっている。
遭難しかけていたクロムと違って、彼女は元気そうだった。
試しに「塔に入ってからどのくらい時間がたったと思うか?」と質問してみると、「2時間弱でしょうか?」という信じがたい答えが返ってきた。
一緒に塔に入ったはずのクロムは「1週間」って言ったよね? もうわけがわからない。
「時間の歪みとやらについては、考えても仕方ないだろう」
とハウライト殿下が言った。
それより今は先に進むべきだというお言葉に、ジェーンも力強く同意した。
「殿下はここでお待ち下さい。危険がないかどうか、この先の様子を確認して参ります」
と、その時。
「おーい、待て待て」
聞き覚えのある声と共に、2人分の足音が近づいてきた。
クロムやクロサイト様が追いついてきたのかと思ったら、現れたのは怪しい男2人組。私の感覚としては、ついさっきはぐれたばかりのファイとゼオだった。
「おう、おぬし。無事であったのだな。この男がえらく心配しておったぞ」
後から駆けてきたゼオは、なぜかファイの頭を軽くはたくと、
「あんた、大丈夫か? ケガはないか」
と早口で問いかけてきた。
「…………」
私はじっと2人の顔を見比べた。
「? どうした?」
ファイは平然と見返してきたが、ゼオの方は明らかに目をそらした。
「お2人とも、私に何か隠してませんか」
「何のことだ?」
と聞き返してくるファイに、私はずいと顔を近づけて、
「さっき、はぐれた時。私の名前呼びましたよね? エル、って言いましたよね?」
「だから何だ?」
何だ、じゃない。ファイは私のことを「小娘」としか呼んだことがない。名前なんて、下手したら覚えてないんじゃないのか。
「見くびるな。名前くらい覚えておるわ。おぬしはエル・ジェイド。シム・ジェイドの娘だろう」
ファイは堂々と答えて見せたけど、おかしいのは名前の件だけじゃない。
「さっき、私のこと助けようとしましたよね。こう、こっちに手をのばして――」
「はあ? 何だそれは。夢でも見たのではないか?」
そんなことはない、確かに見た――と言いつのろうとしたら、ジェーンに邪魔されてしまった。メイスを構えてファイの前に立ち、
「生きていたのですね、悪しき先代国王。直ちに逮捕します」
問答無用、メイスを振り下ろそうとする。一般的に「逮捕」というのは、相手の頭を叩きつぶすことじゃないと思うのだが。
「ちょ、待てって」
ゼオが間に入っても、ジェーンのメイスは止まらない。彼女にとっては「巨人殺し」のゼオも、同じく「逮捕」の対象なんだろう。
「そこの人物が、カイヤが言っていた『ファイ・ジーレン』とやらか」
ハウライト殿下の一言には、さすがに止まった。メイスを構えたまま振り向いて、
「はい。カイヤ殿下には見つけ次第、拘束するようにと命じられております」
ジェーンの答えを聞いたハウライト殿下は、視線を私の方に移し、
「……体は、君の父親のものだという話だったな」
「はい。なので、あまり手荒なことは……」
一方、私たちのやり取りを聞いていたファイはといえば、脅えるでも逃げるでもなく、偉そうにハウライト殿下を見返した。
「そう言うおぬしは何者だ? 近衛騎士を従えておるということは、そこそこ身分が高い者か」
「こちらは第一王子のハウライト殿下です!」
だから失礼なことを言うな、というつもりで声を張り上げると、ファイはぽんと手を打って、
「ということは、おぬしもリシアの息子か。なるほど、薄暗い目付きがよく似ておるな」
さらに失礼なことを言うものだから、危うくジェーンのメイスが父の体を直撃するところだった。
ハウライト殿下は別に怒りもせず、
「……母に似ていると言われたのは初めてだな」
とつぶやいている。
お顔立ちは王様似ですしね。王妃様に似ているのは弟のカイヤ殿下の方で――。
「そうか? 実によく似ておるぞ。リシアだけでなく、カイヤにも」
ほんの少しだけ、ハウライト殿下が驚いた顔をした。
「つまりおぬしは、弟を救うためにこの塔に来たのだな?」
「……その通りだ」
「ならば、急いだ方がいい。おそらくこの階段の先に、この事態を引き起こした何者かが居るはずだ」
そう言って、ファイはすたすたと螺旋階段に足を踏み入れた。
「魔力の気配が、密度が濃くなっている。『魔法の鏡』があるのはきっとこの先だ」
ジェーンがかくんと首をかしげた。
「その『何者か』というのが、殿下に仇なす黒幕なのですか?」
「うむ、左様」
「わかりました。それでは、直ちに捕縛して首を取りましょう」
ジェーンはファイを追い越して螺旋階段を上っていく。
……先にハウライト殿下の指示を仰がなくてもいいのだろうか。
ああ、でも、その殿下も彼女の後から階段を上り始めたから、別にいいのか。
「さて、鬼が出るか、蛇が出るか」
わくわくしながら後に続くファイと、黙ってついていこうとするゼオ。
「あの!」
私は2人の背中に向かって声をかけた。「さっきの話の続きなんですが!」
ゼオは一瞬びくついたものの足を止めることはなく、ファイは「ええい、後にせぬか。今は忙しい」とにべもない。
そんな言葉でごまかされるわけにはいかない私は、自分も彼らの後について螺旋階段を上り始めた。