37 英雄の裏事情
カイヤ殿下が従軍することになったのは、今から7年ほど前だという。
王族に兵役はない。……ってか、国民にもないけど。
この国の場合、従軍するには、まず騎士精錬所か士官学校に入る必要がある。
入所資格は王国民であること。身分は問われないが、学費はけっこう高くつくので、貴族や金持ちの子弟、それも家を継ぐ必要のない次男以下が大半らしい。
もちろんそれだけでは兵士の数が足りないから、実際の戦場では傭兵を雇ったりする。
彼らは必ずしも王国民ではない。多くが隣国の、それも貧しい国の出だ。
中でも多いのが、王国の仇敵であるはずの南の国出身者だったりするのだが……、その辺の話をすると長くなってしまうので、今は省く。
王族のカイヤ殿下が、兵役の義務もないのに戦場に行くことになったのは、当時悪化していた戦況を立て直すため――というのが理由、いや建前だったんだそうだ。
「カイヤ殿下は救国の英雄なんて呼ばれてるし、国を救うような活躍をしたのも本当のことみたいだけどね」
パイラは1度言葉を切り、洗濯の手も止めて、私を見た。その目は静かに怒っていた。
「要は、それだけ戦況の厳しい所に送られたってことなのよ」
カイヤ殿下の赴任先は、南の国との国境沿いにある砦だった。
国のため国民のため、身を挺して戦う兵士たちの士気向上のためという大義名分のもと、危険な最前線に送り込まれたのである。
実質は、以前と同じ厄介払い。……いや、前の時よりさらにタチが悪い。
殿下を戦場に送った者たちにしてみれば、仮に殿下が戦いで命を落とすことになっても構わない。それどころか、好都合でさえあったのだ。
殿下は王妃様の、偉大な先々代国王の直系。
たとえ政治的には無力でも、王位を狙う者たちにとってみれば、邪魔な存在であることに変わりない。
うまく始末できればよし。ついでに、国のために犠牲になった王子を英雄として祀り上げれば、国民の戦意高揚にも役立つ。まさに一石二鳥。
「…………」
私は沈黙した。いつのまにか、洗濯の手が止まっていたことにも気づかなかった。
自分は別にその場に居たわけじゃないし、殿下とはまだそれほど親しい間柄でもない。だから、怒ったり同情したりするのはおかしい。
ただ、「救国の英雄」なんて耳障りのいい言葉をそのまま信じていたことが、急に嫌になった。
カイヤ殿下は、好きでそんなものになったわけじゃないのかもしれない。
7年前なら、殿下は10代半ば。
そんな年頃の少年が、好んで戦場なんか行くはずがない。
行かなきゃならない事情なり状況なりがあって、生きるために戦い、運良く戦いに勝って英雄と呼ばれた。そんなところだったのかも。
殿下を戦場に送り込んだ人たち――その中に実の父親が居たとは思いたくないが、今の話を聞く限り、全く関わっていないという可能性はかなり低い気がする。
もう1度、殿下の顔を思い出してみる。
自分の父親に、厄介払いで殺されかけたなんて。
そんな重たい過去を背負っているようには全然見えなかったけどなあ。
「でも、その悪巧みはうまくいかなかったのよね」
パイラはいい気味だという風に笑って見せた。「おかげで、カイヤ殿下は英雄になったんだもの」
そう、その通りだ。
彼らの「悪巧み」はうまくいかなかった。むしろ、真逆の結果をもたらすことになったのだ。
それは戦況の悪化が、誰も予想しなかったほど深刻化したせいだった。
もともと南の国との戦争は、はるか昔から続いている、恒常的な国境紛争である。
両国の「小競り合い」が、たまに紛争状態に突入し、何年も戦い続けた後、曖昧に和睦を結ぶ――それをずっと繰り返してきた。
付け加えると、国力の差は明白だった。
豊かな資源に恵まれ、交通の要衝として栄えてきた王国に比べ、南の国は国土こそ広いが、これといった産業もなく、交通の便も悪い。
山や湿地が多い土地柄で、農作物の恵みは少なく、古くから風土病にも悩まされてきた。
だからこそ、豊かな王国にたびたび侵略の手をのばしてきたわけだが、結果は前述の通り。互いに実のない戦をだらだらと繰り返してきた。
そのため、油断があったのかもしれない。国民にも、お城の偉い人たちにも、兵士たちにも。
とある指揮官の失態が、国境線での大敗を招き、主力部隊は壊滅、指揮系統は断絶、勢いに乗った敵軍は国境を越えて首都に迫り、千年の歴史を持つ王国は危機に瀕した。
それを救ったのが、カイヤ殿下とクロサイト様、それに前線の兵士たちだった、というわけ。
この出来事によって、王宮内での勢力図はまた大きく塗り変えられることになる。
国を救った英雄を、王都の民は熱狂的に迎えた。その功績は途方もなく、当然のことながらカイヤ殿下の立場、発言権を強める結果となった。
それはまた、同母兄のハウライト殿下の地位を高めることにもなったのだ。
終戦から1年後、ハウライト殿下は「第一王位継承者」の地位を正式に認められた。そこには国王陛下の血を引く成人男子が、他には居なかったという事情もあるそうだが――。
「え、居ないって……」
思わず聞き返すと、パイラは意味ありげに声をひそめた。
「そう、居ないの。ハウライト殿下とカイヤ殿下以外は」
3人の側室が産んだ王子たちは、「どういうわけか」そのほとんどが短命だった。
あるいは事故で、あるいは病で。
10歳を数えることなく、この世を去った。
……なんか、陰謀の匂いがぷんぷんする話だ……。
「や、でも。確か王子様って、他にも居たはずじゃ」
私の記憶違いでなければ、カイヤ殿下と兄王子の他にも、5、6人か、それ以上。側室ではなく愛人の子供だったかもしれないが、中には成人している王子も居たはずだ。
「王様の血を引く子供、っていう意味の王子様なら、確かに居るみたいだけどね」
パイラはまた意味ありげに声をひそめた。
「カイヤ殿下が王都に戻ってきた後に、王族の権利を剥奪された、って人がなぜだかけっこう居てね」
表向きには、何らかの不祥事を起こし、罰を受けたということになっている。……ただし、真偽は定かじゃないとのこと。
それもまた、陰謀の匂いが色濃くただよう話である。
では、その陰謀を仕掛けたのは誰かといえば、王妃様と関わりの深い貴族たち――「血の政変」後に弱体化し、日陰に追いやられていた派閥が、カイヤ殿下の活躍によって息を吹き返しているのだという。
筆頭は、現・宰相。彼は王妃様の妹姫を妻にしている。40代半ばで宰相に抜擢された、やり手の政治家だそうだ。
彼は戦後のゴタゴタも利用し、政敵を何人も退けた。かつて、彼らの敵だった者たちがそうしたように――立場の弱くなった「王族」を、王宮から追い出したのだ。
「その『宰相』って、カイヤ殿下の……」
「叔父様ってことになるわね、一応」
つまり殿下にとっては味方? なのか?
パイラは「そんな単純でもないみたいよ」と鼻の頭にしわを寄せた。「有能な政治家だっていうけれど、人としてはあんまり……、良い噂を聞かないし」
確かに、今聞いた話から想像すると、敵対する者には容赦ない、って感じの怖い人が思い浮かぶ。
「目的のためには手段を選ばないタイプ、っていうのかしら。凄腕の暗殺者を何人も召し抱えてるって噂だし」
想像よりもさらに怖くなった。本当にあの殿下の叔父さんなんだろうか。
「ずっと離宮で暮らしてたうちの姫様が王都に呼ばれたのは、戦争が終わって、少し後なんだって」
話がようやくクリスタリア姫の所に戻ってきた。
ちょうどその頃、お体の弱い王妃様がさらに体調を崩し――パイラははっきり言わなかったが、体の不調よりも気鬱が原因らしい――心配した王様が、自ら使者を遣わして娘を王宮に呼び寄せた。公式にはそういうことになっているそうだ。
「心配って……。ずっと放っておいたのに、今更?」
私が言うと、パイラも「本当、今更よね」と力を込めて同意した。
「大方、世間体とか気にしたんじゃないの。カイヤ殿下が国民に注目されるようになって、その妹姫のことも少しは大事にしてるように見せなきゃいけなくなったとか」
世間体って、それこそ今更では……。
「呼び寄せた後は、また放ったらかしにしてるけどね。このお屋敷に1人で住まわせて、ろくに会いにも来ないし」
パイラはぷりぷり怒っている。
今の王様って、女癖を除けば、そんな評判の悪い人でもないんだけど。
パイラの話が本当だとしたら、血のつながった自分の子供たちに対しては、あんまり優しい方ではなかったようだ。
……正直に言えば、ひどい、と思う。
王様にも立場があったのかもしれないが、それにしたって――。
「そういうわけで、姫様の『立場』っていうのはけっこう微妙なの」
洗い上げた洗濯物をよいしょと持ち上げながら、パイラは結論付けた。
離宮で暮らしていた頃に比べればだいぶマシ。
ただ、ハウライト殿下にしろ、カイヤ殿下にしろ、その地位は磐石とまではいかない。
かつて3人の側室を盛り立てていた勢力は後退した。
代わりに、有力な後継者候補として台頭しているのが、国王陛下の愛妾であるアクア・リマの娘、フローラ姫だ。
彼女に血筋のよい婿を迎え、ゆくゆくはその子供に国を継がせよう、という貴族たちの派閥が存在するのだという。
平民生まれ、もとは酒場の歌姫のアクア・リマだが、今現在は名門貴族・ラズワルド家の養女という立場になっている。
ラズワルドは武門の家柄で、建国当時から王国を支えてきた名家だ。その後ろ盾があれば、フローラ姫の即位もけして絵空事ではない。
たとえ、「酒場女の娘に国を継がせる? 正気か?」というのが、大方の地位ある人の意見だとしても。
王様の気持ちはそっちに傾いているので、情勢は微妙なんだとか。
「話はこんなところかな。なんとなくでも理解した?」
「多分……どうにか……」
正直、たった今聞いた話を全て飲み込めたという自信はない。情報量過多で、頭がパンクしそうである。
ただ、押さえおくべきポイントは理解した、つもりだ。
お仕えする姫君の立場は微妙。
一応、後継ぎ候補筆頭のハウライト殿下の妹だから、極端に軽んじられているわけじゃない。いずれ本当にハウライト殿下が王様になったら、もっといい暮らしができるだろう。
ただ、現状は放っておかれている、と。
そういうことね、とパイラはうなずいて見せた。
「姫様はまだ小さいし、さっき話したように人前に出ることも少ない。だから、私たちが気をつけなきゃいけないことって言ったら、ひとつだけ」
パイラは美しい顔を可能な限りひん曲げて、
「ずばり、ルチルの馬鹿よ」
「あー……」
例の異母姉か。クリスタリア姫をいじめてるっていう――。




