378 塔の外では
……何だか、温かい。
優しい手が、私の体をそっと抱きかかえている。大丈夫か、しっかりしろ、という声もする。
父さんだ。父が助けてくれた。もう大丈夫、何も怖いことなんてない――。
そう思って目を開けた私は、直後、「ぎゃーっ!」と悲鳴を上げた。
そこにあったのは、父の顔ではなく。
救国の英雄、クロサイト・ローズ様が。
私の体を横抱きにして、のぞき込むように顔を近づけていたのである。
「気がつかれましたか」
「く、くくく、クロサイト様っ!?」
「はい、立てますか? どこかおケガなどは?」
「大丈夫ですっ!!」
とっさにそう答えたものの、石の床をごろんごろん転がされたのである。
全身打撲の上、骨折箇所も多数――。
と、なっていてもおかしくないはずなのに、なぜか私は普通に立ち上がることができたし、どこも痛いところはなかった。
びっくりしすぎて、胸が苦しいけどね。気づいたら推しの顔が目の前にって、心臓に悪いにも程がある。
「どうやら無事のようだな」
と、言ったのはクロサイト様ではなかった。
第一王子のハウライト殿下が、クロサイト様の後ろからこちらを見下ろしていた。
「え?」
私は今更のように周囲を見回した。
そこは、先程の薄暗い通路ではなく。
やけに明るくて、広くて、立派な廊下だった。
白い石造りの壁に、天井にはシャンデリア。まるでお城の中みたいなキレイな場所。
「ここは……?」
私の疑問に、ハウライト殿下は落ち着いた声でこう言った。
「王都の北に、突如現れた塔の中だ」
あ、そうですか。意識を失っているうちに塔から出られたとか、実は夢だったというわけではなかったんですね。
「え、でも。どうしてハウライト殿下が塔の中に?」
よもや、またニセモノでは……と不安に駆られる私に、ハウライト殿下はやはり落ち着いた声でこう言った。
「その疑問はもっともだ。しかし状況を整理するために、まずは君の方からこちらの質問に答えてもらいたい」
「はあ」
「君はなぜ、この場所に居る? 順を追って話してくれ」
穏やかだが有無を言わさぬ口調で命じられ、私は素直に説明を始めた。
午前0時を迎えた瞬間、世界が回り始めてこの塔に招かれたこと。
塔の外では、木の枝でできた人型の群れに。塔の中では、まるで操り人形のようになったラズワルドと騎士たちに襲われたこと。
ついさっきまでは「巨人殺し」や先代国王と一緒に居たが、どうやらはぐれてしまったらしいことも。
あらかた話し終えると、ハウライト殿下は「……なるほどな」と小さくうなずいて。
それから、自分も説明を始めた。
なぜ彼がここに居るのか。私がこの塔の中で迷っている間に、王都では何が起きていたのか、ということを。
「君が『魔女の憩い亭』から消えたのと同時刻。私の弟、カイヤも王都から消えた」
深夜0時。あの脅迫状で定められていた通りに。
ちなみにその時、殿下はケイン・レイテッドの屋敷に居たらしい。例の脅迫状のこととか、国母が怪しいという話とか、色々相談するために幼なじみのもとを訪れていたのだ。
話しているうちに日も暮れて、「今夜は泊まっていけば?」とケインが提案した。「君も忙しいだろうけど、たまには2人で飲もうよ」と上等なワインを貯蔵庫から持ち出して。
そうして2人で飲んでいた時、異変が起きたのだという。
「0時を迎えた瞬間、カイヤの体が奇妙な光に包まれ、応接間の鏡に吸い込まれて消えた――というのがケインの証言だ」
「鏡に、吸い込まれて……」
「それについては、君が消えるところを見たという『魔女の憩い亭』の職員も同じ証言をしている」
職員ことセドニスいわく、私は「光の粒子になって、厨房の鏡に吸い込まれた」らしい。
彼もケインも、当然のことながら何が起きたのかなんてわからなかった。
しかし2人とも、わからないからといって手をこまねいているタイプじゃない。すぐに関係先に連絡を入れ、その夜のうちにハウライト殿下も宰相閣下も事情を知ることになった。
「話を聞いて、私と叔父は考えた。例の脅迫状で期限とされていた時刻に、『姿なき魔女』から名指しされていたカイヤと君が消えた。偶然のわけがない。おそらく、いや確実にこの塔が関係している」
直ちに救出部隊が組織され、腕利きの騎士たちが塔に向かうことになった。
「ハウライト殿下もご一緒に?」
「……ああ。叔父には反対されたが」
一夜にして現れた謎の塔である。中に入ったら、無事に帰ってこられる保証がない。
第一王子と第二王子が、現王国で最も王位継承順位の高い2人が、同時に命の危険にさらされるのはリスクが高すぎる、と。
「叔父の言葉はもっともだ。とはいえ私は、妹に頼まれたからな」
「……姫様に?」
「ああ。君とカイヤがそろって消えたと聞いて、あの子はダンビュラと共に屋敷を抜け出そうとしたんだ」
「!」
「叔母がすぐに気づいて、止めることができたが……。放っておいたらまた同じことをする可能性が高かった。だから私は――」
自分が行く、必ず2人を連れて帰るから、信じて待っているようにと言い聞かせたのだという。
私は「あれ?」と思った。
ファイは姫様もこの塔に来てるって言わなかったっけ?
……や、違う。直接会ったわけじゃないんだ。
ファイが見掛けたのはカイヤ殿下だけで、その殿下が「妹がさらわれた」という話をしていて……。
「私たちが塔に入ったのは、君とカイヤが消えてからおよそ半日後。翌日の昼過ぎのことだ。塔の扉は開いていた。まるで我々を招くかのように」
やっぱり開いてたんですか。あと、塔の周りには人型の怪物が居たはずですが……。
「我々が遭遇したのは、木の枝や土塊が集まってできたと思しき巨人だ。あの動く魔女の像と変わらぬほどの大きさがあったな」
「…………」
「ここで半数の騎士が脱落した。その巨人を倒し、塔に入った後も、さまざまな仕掛けや敵に襲われた」
敵、というのは私たちが遭遇したのと同じ、操り人形と化した騎士たちだったり、塔の外で会ったのと似た、土塊と木切れを集めた怪物だったりしたらしい。
「何もない通路を何時間も歩いたこともあった。そのうちに同行していた騎士たちが1人、また1人と姿を消していき――」
今現在は、クロサイト様と2人きりになってしまった?
「その通りだ。が、つい先程まではあと2人、同行者が居た」
「あと2人?」
「そう。そしてその2人は騎士ではない。警官隊のジャスパー・リウスと、その曾孫のユナだった」
「え……」
「2人はカイヤが行方知れずとなり、私が助けに行ったまま戻らないと聞いて、他の警官たちと共に塔に入ったらしい。そしてこの先が重要なところだが、彼らが言うには、王都では既に3日が経過していると」
「みっ……」
「あくまでも、彼らが塔に入った時点での話だ。ジャスパー・リウスも塔の中で多少迷ったと言っていたから、実際にはもっと過ぎているかもな」
「…………」
「この奇妙な現象について、何か心当たりは? ……と、君に聞いても仕方ないのかもしれないが――」
「……いえ」
心当たりはある。
この塔の中では、時間も空間も歪んでいるというファイの話。
さらには、この事態を引き起こしているのが魔女の七つ道具のひとつ、「魔法の鏡」かもしれないことを説明すると。
ハウライト殿下は、また「なるほど」と言って小さく嘆息した。
「王家の秘宝が原因かもしれないということは、この事態を引き起こした下手人は、すなわち王家の関係者である可能性が高い――ということだな」
そうなりますね。たとえば、国王陛下の母親エメラ・クォーツのように。
「たとえば、王の愛妾アクア・リマのように」
って、……え?
「彼女も容疑者だったんですか?」
「むしろ、その筆頭だ。養父のラズワルドはカイヤの暗殺を企て、娘のルチルは魔女の杖を盗んだ容疑者だ」
言われてみれば、確かにそうだけど。
さっき聞いた声の主が、実はアクア・リマ……というのはだいぶ違和感があった。
彼女がファイを恨む理由もないし。それとも私が知らないだけで、実はあるのかな?
「あの女は王の執務室にも、私室にも出入りを許されていた。魔女の七つ道具が保管されている宝物庫の鍵を、持ち出す機会も十二分にあっただろう」
…………。
「国母との共犯、とも考えられる。エメラはフローラに肩入れしていたからな。ラズワルドが行方知れずになった後、国母の遣いがひそかにフローラのもとを訪れていた、という証言もある」
ってことは、フローラ姫もグルなんですか?
それはアクア・リマよりさらにないんじゃないかなあ。どっちかといえば気弱で、悪事を企むなんてできそうもないお姫様だし。
「以前2人で話した時にも思ったが……。君は随分と考えていることが顔に出るんだな」
あ、いけない。ハウライト殿下の話を、露骨に疑うような顔をしてしまっていただろうか。
「……ご無礼を致しました」
私が頭を下げると、殿下は「いや、構わない」と首を振った。
「おかげで助かった。君がアクアやフローラと結託し、私の弟を欺いた可能性は低いと判断できたからな」
…………。
「時間を食ったな。行こう、クロサイト。こうしている間にも、塔の外ではどれほど時間が経過しているかわからん」
「は。承知致しました」
戸惑う私を置いて、お2人が歩き出す。
はぐれてはまずいので追いかけようとして、ようやく理解が追いついた。
メイドの私ごときに、やけに時間をかけて説明してくれると思ったら。
要は、私も容疑者だったんだな。
先に説明させたのも、私の話に矛盾がないか、怪しいところがないかを見極めるためで。
……まあ、仕方ない。カイヤ殿下と違って、ハウライト殿下とは個人的に親しくしているわけじゃないし。
前に腹を割った過去話を聞かせてくれたのも、あくまで弟のためで、私を信用してくれたわけではなかったのかも。
「あまりお気を悪くなさいませんように」
私が少しへこんでいたら、クロサイト様がそっと隣に来て、耳打ちしてきた。
「ハウライト殿下は、常に最悪のことを想定して動いているだけです。あなた1人を特別疑ったわけではない」
「……はい。大丈夫です」
正直にいえば、疑われたのは少し悲しくもあったが。
不快感はなかった。ハウライト殿下って、やっぱりすごく慎重な人なんだな、とあらためて思っただけだ。
それは正しいことなんだろう。こんなわけのわからない事態に巻き込まれて、冷静に行動できるのもすごいと思うし。
私の答えに、クロサイト様は小さくうなずいて、それからまた足を速めて殿下のもとに戻った。