370 当たり前のことでも
そもそも、どうしてゼオがここに居るのか、私は疑問だった。
例の「姿なき魔女」にも、お城に届いた脅迫状にも、誘拐された(かもしれない)人たちにも関係ないはずなのに。
「だから、それもあの野郎のせいだよ」
とゼオは言った。
「この馬鹿でかい塔を見て、魔法がどうとか大騒ぎしやがって」
ゼオが止めるのも聞かず、一目散にここまで走ってきたのだという。
……なるほど、納得した。
王都の北に忽然と現れた謎の塔なんてものに、あの魔法オタクが興味を示さないわけないものね。
むしろ、もっと早くに気づくべきだった。
殿下のお屋敷を襲撃した時にも、伝説の竜の姿をその目にするや、のこのこ出てきて捕まったファイのことである。
この塔の近くにワナでも仕掛けておけば、きっと簡単に拘束できただろうに。
「あんたこそ、なんでこんな場所に居る?」
ゼオに聞き返されて、私は説明に困った。
ついさっきまで王都の宿屋に居たんですけど、何だか魔法っぽい力でここまで来てしまって……、と言っても意味不明だろうし。
「話すと長くなるので。それより、今は――」
自分がやるべきことを優先したいが、そもそも「やるべきこと」とは何だろう?
ここから逃げる? 王都に戻って無事を知らせる? それはもちろん必要なことだが、
「父がここに居るなら……」
ついさっきまで近くに居たというなら、できれば連れて帰りたい。
私の希望に、ゼオは簡単にはいかないかもしれないと答えた。
「この塔、妙なんだよ。通路はめちゃくちゃだし、外から見たより広い。野郎は魔法がどうとか言ってやがったが」
それは私も変だと思ってた。
この塔が巨大なのは、主に縦方向の話だ。しかし中に入ってみれば、かなり奥行きのあるお屋敷のようにも見えるのが不可解だった。
「まあ、元が元だからな。何かあるんだろうが……」
元が元とは? ……本来であればこの場所に建っていたはずの、「魔女の霊廟」のことを言っているのだろうか。
王家が所有する石室。白い魔女の遺体が眠っているとされていた場所。
かつてゼオは、この場所に私を近づけまいとしていた。それはここに父の体があることを知っていたから、としか思えないけど――。
うちの父さんは王家の関係者じゃない。なのに、どうしてこの場所で眠りについていたのか、それもまた不可解だった。
「あの」
いつかはちゃんと確かめたいと思う。でも、今は先に聞くことがある。
「カルサは? 一緒じゃないんですか?」
さっきから話題にも出ないが、殿下の部下の人たちが集めてくれた目撃情報によれば、ゼオやファイと行動を共にしていたはずだ。
「ん? ああ。野郎を追いかけて奥に行っちまったよ」
簡単に言われて、腹が立った。
「どうして、カルサのこと帰してあげなかったんですか」
「あ?」
「まだ子供ですよ。王都には心配して待ってる人たちだって居るのに」
何日も家に帰さず、付き合わせるなんてありえない。
「俺に言われても知るかよ」
ゼオはあからさまに不本意そうな顔をした。「俺はあのガキの保護者じゃねえ。勝手についてきたのはあいつの方だし――」
「それが大人の言うことですか!?」
仮にカルサが帰ろうとしなかったのだとしても、ちゃんと家に連絡するよう言い聞かせるとか、やれることはあったでしょうに。
「あのなあ! あいつはよちよち歩きのガキか?」
ゼオが声を荒げた。
「だいたい、あいつが俺の所に転がり込んできたのは、仕事でドジ踏んでケガなんぞしたからだ! その仕事をさせたのは誰だ!? あんたの言う、『心配して待ってる人たち』なんじゃねえのか!?」
思わぬ反撃を受けて、私は怯んだ。
カルサが暗殺予告状の犯人探しをしていたことは知っている。そしてそれは言うまでもなく、危険な仕事だ。
「正直、俺も思ったよ。帰らなくていいのか、仲間に無事な顔を見せてやらなくていいのかってな。でも、あいつはそれより何より、てめえの仕事をやりとげることに妙にこだわってやがった」
ケガが治ってからも、何だかんだと理由をつけて帰ろうとしなかったらしく、
「ドジを挽回しないうちに帰ったら、今の場所に居られなくなるとでも思ってたんじゃねえのか?」
そんな、と反論しかけて、実際にカルサが警官隊から追い出されたことがあるのを思い出す。
まあ、その時はニックも一緒だったし、わりと洒落にならない失態をやらかした後だし、何より「手柄をあげるまでは帰ってくるな」という――つまりは復帰を前提とした失職だったのだが。
私が黙っていると、ゼオは若干イラついた顔でこう言った。
「あいつの雇い主――ジャスパー・リウスとかいうじいさんは、あいつのこと何だと思ってやがるんだ」
「何って」
「一応は人間のガキだと思って引き取ったのか、それとも使い捨ての便利な道具だと思って拾ったのか、どっちだよって聞いてんだ」
「なっ!」
あまりの言いぐさに絶句する。
「別に驚くことでもねえだろ。クンツァイトの連中のやり口を思えば――」
ゼオの言いたいことはわかるけど。
前にユナに聞いた話が事実なら、それは誤解だ。誤解のはずなのだ。
ジャスパー・リウスは、カルサのことを孫みたいに思ってるって。ちゃんと幸せにするつもりで、家族になるつもりで引き取ったって言ってたし。
カルサが警官隊の仕事を嫌がっているようにも見えなかった。
「ご隠居」ことジャスパー・リウスはもちろん、先輩のニックや、上司であるカメオへの態度を思い出す限りでも。
人間扱いされていない、なんてことはない。……と思う。
ゼオは不審そうに眉を寄せて、
「だったら、あいつにわかるように伝えてやれよ」
と言い出した。
「真っ当に育てられた奴にとっては当たり前のことでも、しつこいくらい言い聞かせてやらなきゃわからない奴も世の中には居るんだよ」
その言葉で、またユナの話を思い出した。
――カルサは『家族』っていうのがぴんとこなかったみたい。
ゼオが言うように、この世の中にはさまざまな事情を、生い立ちを背負った人間が居る。
両親に愛され、祖父母に大切にされ、親戚や近所の人にまで可愛がってもらった私は、多分かなり恵まれた方なのだ。
「……すみませんでした」
「いや、なんであんたが謝るんだ」
ゼオは一転、居心地の悪そうな顔をした。「あいつの事情とあんたは関係ねえだろ」
そうじゃなくて、さっき一方的にゼオを責めたことを謝っているのだ。
「考えが足りませんでした。生意気言って、ごめんなさい」
「いや、俺も別に深い考えがあったわけじゃ――」
ゼオがおろおろと言い訳しようとした時、広いエントランスホールの奥に続く廊下の先から、まるで悲鳴みたいな男の声が響いた。