369 慌ただしい再会
信じがたい事態に直面した私は、ひとまず常識的な対処を試みた。
目をこすって、景色を2度見するとか。これは夢なんじゃないかと、自分の頬をつねってみるとかだ。
しかし何度見ようがそこは夜の森で、目の前にはやたら大きな塔があるし、いくら頬をつねっても痛いだけで目が覚めることはない。
信じがたい事態は、どうやら現実らしいと理解した私は、あらためて周囲を見回した。
「この塔って……」
もしかしなくても、あの塔だよね。王都の北にいきなり現れた、「姿なき魔女」が来いと指定していた場所。
ってことは、これは魔法の力? 来いと言われたのに行かなかったから、無理やり連れて来られたとか?
――と、悠長に思考を巡らせていられたのはそこまでだった。
私をこの場所に招待した何者かは、私をもてなすための準備をしてくれていたらしい。
私を退屈させない、それどころか落ち着いて状況を確かめる暇もない、物騒で迷惑極まりないおもてなしを。
それは奇妙な音から始まった。
パキ、ポキ、ベキ。
周囲の木々の枝が、折れていく。
ポキポキと。
まるで見えない巨人の腕にへし折られてでもいるかのように、簡単に木の幹から離れて、落下していく。
ちょっと、ちょっと、ちょっと。
この光景、しばらく前にも見たことあるんですけど!?
何かの冗談だと言って、という私の願いも虚しく、やがてこんもりと地面に山を作るほどの量になった木の枝は、次の瞬間、集まって人型を作り――。
ギイイイイイイッ!!
奇声を発して、いっせいに襲いかかってきた。
同じだ。あの魔女オタクの元王様が、「白い魔女の杖」を使って殿下のお屋敷を襲撃してきた時と。
ただ、あの時と今とで決定的に違うのは、私が1人だということ。
戦える人は居ない。助けてくれる人も居ない。抗おうにも武器はなく、逃げ出そうにも既に囲まれている。
あまりのことに頭が真っ白になって、呆然とただ立ち尽くしている間に、人型の群れが目の前に迫り――。
ガツンという衝撃音が聞こえて、世界が反転した。
最初は殴られたんだと思った。
しかし、体のどこにも痛みはない。
代わりに、お腹の辺りが何だか圧迫されて苦しい――と思ったら、誰かが私の体を抱えて、夜の森を走っていた。
「!?」
とっさにもがこうとする。が、即座に「じっとしてろ!」と怒鳴られた。
……この声。
まさか、巨人殺しの――。
視線を上げて相手の姿を確かめた私は、ぎゃっと悲鳴を上げた。
それは確かに「巨人殺し」だった。父の友人である、不死身の元暗殺者のゼオだった。
だけど問題はそこじゃない。彼の顔面が血だらけだったことだ。顔の右半分、ちょうど右目の少し上辺りからダラダラ出血している。
「って、ちょっとお!?」
思わず叫んだら、「黙ってろ、舌噛むぞ!」とまた怒鳴られた。
そのままゼオは私を抱えて走り続け、行く手を阻もうとする人型の群れをすり抜け、あるいは飛び越えて、驚異的な身体能力を発揮しながら、扉の中に駆け込んだ。
あの塔の扉だ。「魔女の霊廟」にあったのとそっくりな、今は開きっぱなしになっている観音開きの扉。
中は広々としたエントランスホールだった。
吹き抜けになった高い天井。正面に立派な階段。奥に続く長い廊下。
無骨な石造りで、調度品のひとつも置いてはいないが、造りそのものは貴族のお屋敷みたいだった。
明かりもついている。高い天井にぽつぽつと、薄ぼんやりしたオレンジ色の照明が……。さっき外から見た時には真っ暗だったはずなのに。
きょろきょろしているうちに、床に下ろされた。
「ここまで来れば大丈夫だ。あいつら、扉の中には入ってこないからな」
ゼオの言う通り、人型たちはなぜか追ってこない。扉の外にうじゃうじゃ集まって、こちらの様子を窺うかのように蠢いている。
「って、それよりケガ! 手当てしないと!」
ゼオは「あ?」と眉をひそめた。
「……ああ、俺の話か。手当てなんていらねえよ」
そう言って、服のそでで額の傷をぬぐう。
あんなに血が出ていたのに、そこにあったのはごく小さな傷だった。しかも見る間にふさがっていく。……そのうち、消えてしまった。
「前にも見せただろ、俺は不死身だ。このくらいの傷、どうってことねえよ」
「…………」
私は無言で彼に歩み寄り、取り出したハンカチでその顔を拭こうとした。
「おい、やめろ」
ゼオの腰が引ける。戸惑った顔で、「何やってんだ」と聞いてくる。
「まだ血がついてますよ」
「んなもん、自分で――」
また腕を上げて顔を拭こうとしたので、ぺしっとその手を叩く。
「汚いそでで拭かない! 傷口からバイ菌が入ったらどうするんですか!」
「……汚くて悪かったな。……あ、おい、やめろ。さわるな」
ゼオの抗議を無視して血をぬぐう。
「消毒薬は持ってませんか? 傷口にあてるガーゼとか、包帯とか」
ちゃんと手当てしようと思ったのに、ゼオは及び腰になるばかりだった。
「そんなことより! あんた、何か俺に聞きたいことはないのか?」
ゼオに聞きたいこと。あるかないかで言ったら、もちろんある。
「……父はどこですか」
「それだよ。普通は真っ先に聞くはずだろ」
そんなこと言ったって、自分をかばってケガした人を放っておけないじゃないか。
「ついさっきまでは、シムもここに居たんだよ。動くなって言ったのに、あの野郎が奥に連れて行っちまった」
「あの野郎?」
ゼオは思いきり顔をしかめて、吐き捨てるようにその名を口にした。
「だから、ファイとか名乗ってたあいつだよ。あんたも知ってるだろ」