36 忘れられた王妃と忘れられた姫君2
「そうねえ……。どこから話せばいいかなあ……」
パイラは考え込んでいる。その間にも、せっせと洗濯桶の中のシーツを洗いつつ。
聞いている私もそれは同じ。何やらキナ臭そうな王家の事情と、お洗濯とが同時進行である。
「やっぱり、まずは王妃様のことかな」
この国の正妃。クリスタリア姫とカイヤ殿下、それに第一王子であるハウライト殿下の母君。
彼女は王都ではなく、ノコギリ山のふもとに建てられた離宮で暮らしている。理由は確か、お体が弱いから、静養のために――。
パイラは「それも嘘じゃないみたいだけど」と急に声をひそめた。
「本当のところは、国王陛下とうまくいかなかった、ってのが原因らしいのよ」
私はちょっと息を飲んだ。
今の王様は、先々代国王陛下の孫姫である王妃様との婚姻によって、王位に就いた人だ。
言い換えれば、王妃様こそが、王を王たらしめた。
しかし2人の夫婦生活は、幸せなものではなかった……?
「それって、国王陛下の浮気癖のせいですか?」
私もパイラに合わせて声をひそめた。こんな話が、お部屋で本を読んでいるクリスタリア姫の耳に入っては大変である。
「浮気、だったらまだ良かったんだけどねえ……」
パイラは眉間にしわを寄せて難しい顔を作った。「もともと夫婦の情がなかったのかも……」
「え」
「噂よ? 私も王妃様のことはよく知らないし、王宮のメイド友達に聞いた噂ね。今の王様って女好きで有名な人だけど、王妃様にだけは妙に冷たいって……」
王様の女好きについては、確かにすごく有名だ。身分や年齢を問わず、美しい女性に目がない、と。
……もしかして、王妃様はあんまり美人じゃないとか?
私の想像は、続くパイラの言葉であっさり打ち消された。
「王妃様ってね、カイヤ殿下にそっくりなんだって」
「ってことは、ものすっごい美人ですよね?」
いわゆる「絶世の美女」であるはずだ。しかしパイラが言うには、美女に目がないはずの王様が、彼女にだけはなぜか冷たかった。
「やっぱり王妃様の方が身分は上、って辺りが原因なのかしら。男って、自分が夫婦の主導権を握りたがるものでしょ。王様にしてみれば、窮屈だったのかも」
……そうかな。そういうのは、人によりけりじゃないかと。
うちの祖父は頑固で昔気質の男だが、亭主関白というわけじゃない。
しっかり者の女房に尻に敷かれるのが男の理想だ、なんて酔って口走っていたこともあるし、実際うちの祖母はしっかり者である。
父は穏やかで優しい人だった。母も気性がおっとりしている方だから、夫婦げんかもほとんど見たことがない。
あの2人の場合、「どっちが主導権を握るか」なんてこと、そもそも問題にすらならなかったんじゃないかと思う。
話を王妃様に戻すと、結婚してしばらくの間は、わりと平和だったらしい。
繰り返すが、王様は王妃様との婚姻によって王になった。だから、自分の地位が磐石になるまでは、他の女性に手を出すどころじゃない。
数年の間、夫婦は仲睦まじく暮らした。ハウライト殿下とカイヤ殿下、2人の王子にも恵まれて――だが、自分の治世が徐々に落ち着いてくると、王様は少しずつ王妃様と距離を置くようになった。
酒場に通いつめて射止めた歌姫や、3人の側室たちの方を寵愛するようになり、王妃様は王城の中で次第に孤立していく。
悪いことに、彼女には後ろ盾も少なかった。
なぜか。そこには今の王様が即位することになった、もうひとつの事情が関係している。
およそ30年前に起きた「血の政変」だ。
偉大な先々代国王が病没して間もなく、王位を継ぐはずだった王太子(王妃様の父君だ)を暗殺し、即位を宣言した先王アダムス・クォーツ。
のちに王国史上屈指の暗君と呼ばれる彼は、自分の邪魔になる者、逆らう者を捕らえ、幽閉し、最後には処刑した。
2人居た王妃様の兄上や、王太子の弟たちも。
先々代国王の信任が厚かった側近たちも、多くが犠牲となった。
アダムスは即位からわずか数年で謎の死を遂げ、恐怖政治は終わったが……。この政変により、王宮内の勢力図は大きく塗り替えられることになる。
生きていれば王妃様の後ろ盾となったはずの人々の代わりに、先々代の治世では鳴かず飛ばずだった貴族や騎士たちが力をのばした。
彼らが出世のために利用したのが、他でもない、国王陛下の「女好き」である。王が寵愛する女性たちに近づき、彼女たちを使って己の地位を高めようとしたのだ。
特に、3人の側室と血縁や姻戚関係のある貴族らは、この動きが顕著だった。
いずれは側室の王子を国王にして、自分たちはその後ろ盾として権力を握ろうというわけである。
王妃様との仲が冷えていた王様は、この動きに同調した。
今から15年ほど前、王妃様は王宮からノコギリ山のふもとにある離宮へと移り住み、2人の王子も城を出て、後見人のもとで育てられることになった。名目は次代の王を養育するためだが、実際は体よく追い出されたのである。
「そんなことがあったんですか?」
私は今度こそ本気で驚いた。
あの殿下に、そんなヘビーな過去があったなんて信じられない。
いや、まだ会ったばかりだし、そんなよく知ってるわけじゃないけど。
年に似合わず落ち着いているのは、それだけ修羅場をくぐってきたからなのかもしれないし。
だけど、苦労した人特有の暗さとか、陰りとか、そういうものは感じなかった。もっとわかりやすくいえば、不幸そうな人には全然見えなかった。
しかしパイラは、私の驚きが十分理解できるという顔をしながらも、「カイヤ殿下も、子供の頃は随分苦労したみたいよ」と言った。
お城を追い出され、2人の息子とも引き離されてしまった王妃様は、孤独と失望から病みがちになる。
なんだかんだで女性に甘く、極悪人というわけでもない王様は、世間体を保つためだったのかもしれないが、たまに彼女のもとを見舞った。
そして12年前、クリスタリア姫が生まれる。
姫君の誕生を、王妃様はとても喜んだそうだ。
もしかしたら、冷え切っていた夫婦関係を変えるきっかけになるかもしれない、という希望があったのかも――とは、パイラの推測である。
だが、現実には王妃様の立場が変わることはなく、クリスタリア姫もそのまま離宮で成長する。
正統な王家の血を引きながら、誰にも顧みられることのない姫と王妃。
当時のクリスタリア姫は、その存在自体、国民にほとんど知られておらず、「忘れられた姫君」なんて呼ばれたりもしたそうだ。……かくいう私も、殿下に会うまで、クリスタリア姫の名前すら知らなかった。
「カイヤ殿下はその頃どうしてたんですか?」
妹姫が生まれて間もなくというなら、殿下は10代前半か。さっきの話だと、王宮を出された後は、後見人とやらのもとで生活してたんだっけ?
パイラの答えは、「殿下も王妃様の離宮に居たそうよ」だった。
「……後見人の所じゃなくて?」
「よく知らないけど……、とにかくそうらしいの。身重の王妃様のお見舞いに行って、そのまま離宮で暮らしたとか何とか……」
パイラは本当によく知らないらしく、自分でも首をかしげている。
ともかくカイヤ殿下は母親の離宮で妹姫の誕生に立ち会い、その後も共に暮らした。
「殿下と姫様にとっては、1番平和な時期だったみたいね」
パイラはそう言って、ふっと肩を落とした。
「でも、長くは続かなかった。殿下が戦争に行くことになったから」




