363 優しくないお説教
宰相閣下の執務室を出た後で。
私は殿下と2人、立派な馬車に乗ってお城を後にした。
「ケインに呼び出されていてな。レイテッドの別邸に行く」
と言うので、脅迫状のことで相談に行くんですかと聞いたら、殿下はなぜか憂鬱そうな顔になった。
「……先程、叔母上たちと祖母殿の話をしていただろう?」
「あ、はい」
「ケインの用件はそれだ。しばらく前から、祖母殿のことを疑っていたらしくてな」
一連の事件の黒幕は、実はあの人だったんじゃないかと言い出した。
「……宰相閣下も似たようなことを仰ってましたね」
年齢と健康の問題さえなければ、という注釈付きだったが、「黒幕だったとしても驚かない」とは言っていた。
「それって、何か具体的な根拠があるんですか?」
ケインは、性格はともかくとして、頭は良さそうだし。前から疑っていたというのなら、単に「国母が王家を恨んでいるから」というだけの理由ではないのでは。
「ああ、その通りだ。あの儀式の日――魔女と戦うおまえを、ミケが助けてくれただろう?」
「はい」
「普通であれば、『姿の見えない魔女』が居るなどと言われてもすぐに対処できるものではないが……」
ケインは対処していた。ここには確かに見えない敵が居るんだと、レイルズたちを説得してくれた。
なぜ、そんなことができたのか。それはケインとミケがあの魔女に遭遇するのが、初めてのことではなかったから、らしい。
「儀式の前日に、ミケは別の場所で同じ女を見ている」
王都の郊外。身分が高い人々のお屋敷が建ち並ぶ別荘地。時刻は深夜で、ケインがレイテッドの本邸から帰る途中のことだった。
「強烈な悪寒を感じたため、その場は立ち去ったそうだ。が、翌日になって人をやり、確認してみたところ――」
現場は、国母の屋敷のすぐそばだった。
「それでケインは祖母殿のことを疑った。……いや、正確にはそれ以前から疑いを持って身辺を探っていたらしい」
ケインはラズワルドの出身だ。ひそかに実家に出入りして、父親である騎士団長の同行を探っていた。
その過程で、国母とラズワルドが実は裏でつながっている、という情報を得ていたのだという。
「それについては、叔父上も裏をとっている」
ラズワルドが姿を消した後、彼の関係先で家宅捜索を行った結果。
自宅のように頻繁に出入りしていた愛人の屋敷から、国母と交わした書簡が押収された。
そこには国母が王家を憎んでいたこと、王妃の血を引くハウライト殿下の即位を望んでいなかったこと、さらには儀式における第二王子の暗殺計画についてもほのめかす記述があった。
「叔父上にはああ言ったが……。俺も、祖母殿がただ誘拐されただけの被害者だとは思っていない」
はあ、とひとつため息をついて、
「昔から嫌われていたからな。それこそ蛇蝎の如く」
って、そんなにですか。魔女の宴で会ったエメラ様は、どちらかといえば気性の穏やかそうな人だったけど……。
「いじめられたりしたんですか? 何か、こう……。危害を加えられたりとか」
こわごわ尋ねると、殿下はそんなことはないと否定した。
「会うたびに嫌悪のまなざしを向けられただけだ。嫌悪というか、怨嗟というか、悪意というか。じっとりと湿った、何とも言えん目付きだ」
「…………」
「一方で、兄上のことは露骨に無視している。俺とはやり方が違うが、態度が悪いのは変わらん」
「……なのに、クリア姫には優しい?」
「そうだな。それだけは幸いだった」
幸い、かなあ? むしろ不気味じゃないのかなあ?
私は今更ながら思い出した。「魔女の宴」で祖母に会った時、クリア姫がひどく緊張していたことを。
いくら自分に好意的でも、兄2人に意味不明な悪感情を向けてくる祖母のことを、好ましく思えるわけがないものね。
「あの、できればそういう話は――」
事前に知らせておいてほしい、と言おうとしてやめた。
あの時、国母が宴に来たのは、予定外のことだったのかもしれないし。
何より、責めるようなことを言いたくなかったのだ。殿下が暗い顔をしていたから。
「……大丈夫ですか?」
「ああ、すまん。心配をかけたか」
また謝られてしまった。
「別に、祖母殿にどう思われようが俺は構わん。身に覚えのない恨みを向けられるのはうんざりするが、ならば顔を合わせなければいいだけの話だからな」
ただ、と殿下は続けた。
「あらためて思っていた。おまえには本当にすまないことをしたと」
はい? なんで今、私の話になりますか。
「おそらく、祖母殿はおまえのことも良くは思わない。俺がおまえを特別に思っていると知ったら、理不尽な恨みつらみをおまえにも向けるだろう」
殿下の一族には、王家には、そういう厄介なものが常にまとわりついている。
自分が誰かと特別な関係になるということは、そうした不条理に相手を巻きこむことに他ならないので、
「やはり俺は、誰にも恋情など持つべきではないな」
一足飛びにそう結論づけようとする殿下に、
「それこそ理不尽でしょうが」
と私は突っ込んでいた。
おそらく、祖母の件に限らず何だとは思う。
何の責任もないことで他人に嫌われる。疎まれる。敵意を向けられる。
正統な王家の血を引くこの人にとって、それは当たり前のことで、日常茶飯事で。
子供の頃からそんな経験ばかりしてきたら、誰だって多少は認識が歪むだろうけど。
「クリア姫も、ハウライト殿下も、宰相閣下も叔母上様も。それにクロサイト様やジェーンやクロムの馬鹿だって、みんな殿下に幸せになってほしいって思ってますよ」
国母のことなんて、どうだっていいじゃないか。あなたの大切な人たちがどう思うかの方が大事じゃないか。
「クソババアのやつあたりみたいな恨みになんか負けないでくださいよ!」
「…………」
いきなり怒り出した私に、殿下は若干脅えた顔で後ずさりしていたが、
「もちろん、私だって思ってますからね! 殿下に幸せになってほしいって、心の底から!」
そう声を張り上げると、小さく息を飲んだ。
「おまえが、俺の幸福を願ってくれるのか?」
「当然でしょう!? これだけお世話になってるんですから!」
「…………」
「何ですか、何か文句でも!?」
「…………。……いや。文句は、ない」
そう言って、殿下はなぜか座席から身を乗り出し、御者台の方に声をかけた。
「すまん、止めてくれ」
コンコンと壁を叩く。
程なく、馬車が減速した。
完全に止まるのを待って殿下が出入り口を開けると、護衛のクロサイト様が馬を寄せてきた。
「どうかなさいましたか?」
「……少し外の風を浴びたくてな」
と殿下は答えた。その顔が、熱を帯びたようにほんのり赤くなっている。
「頭を冷やしたかった。……何やら熱烈な愛の言葉を聞かされた気がしてな」
クロサイト様の視線が、こっちを向く。
私はぶんぶんと必死で首を振った。
言ってない。愛の言葉なんて言ってない。
「すまん、誤解を招く発言だったな。恋愛の愛ではない。親愛や友愛の方だ」
クロサイト様の視線はまだ私の方を向いている。
しかし私はリアクションに困った。肯定するのも変だし、否定するのも何か悪い気がするし。どっちつかずでいるうちに、
「ありがとう、エル・ジェイド。今の言葉、一生の宝にする」
と殿下が笑いかけてきた。
「……っ!」
傾国傾城の美貌で、それは嬉しそうに、かつ幸せそうにほほえまれて、私は言葉を失ってしまった。
本当はまだ、確かめたいことがあったのに。
頭がショートして、聞けないままになってしまった。