362 国母の事情
王家のことを恨んでた? 他でもない、王様のお母様が?
初めて聞く話に私は戸惑ったが、殿下はけろりとしていた。
「それは事実だが、寝たきりの祖母殿が黒幕、というのはさすがに無理がないか?」
「だから、年齢と健康の問題さえなければ、って言ったでしょ」
その時、フィラ様がそっと私に話しかけてきた。
「私もあの方にはすっごく嫌われてるのよ」
すっごくの部分を強調しつつ、どこか他人事のような、世間話のような口調で彼女は言った。
「あの人は本当に王家のことがお嫌いなの。ファーデン閣下とお姉様の結婚にも猛反対したのよ」
「確か、自分が意に染まない結婚をさせられたから――だっけ?」
エンジェラ嬢も話をあわせてくる。
「……どういうことなんですか?」
殿下と宰相閣下はあっちで意見を戦わせている様子だったので、私は母娘の話を聞くことにした。
「つまり、ね」
わずかに声をひそめて、お2人が説明してくれたところによれば。
国母エメラ・クォーツ様は、地方貴族のご令嬢だった。
ひなびた田舎町で暮らしていたところに、お忍びでやってきたクォーツ家の分家筋の若者に見初められ、結婚して王都に移り住むことになった。
と、ここまでだと何やら夢のある話のようだが、実は当時、彼女には既に婚約者が居たのに、クォーツとの婚姻に目がくらんだ父親に無理やり別れさせられたのだという。
思わず「ひどい……」とつぶやくと、2人も即座にうなずいた。
「そんな風に力づくで結婚させたところで、幸せになれるわけないのにね」
と、エンジェラ嬢が言う通り。
夫婦仲は最悪で、夫は早々に愛人を作り、女遊びを重ねた挙げ句に40手前で世を去った。一応は病のためだが、彼を恨んだ浮気相手がひそかに毒を盛り続けていたことも寿命を縮めたらしい。
憎い夫が、絵に描いたような自業自得の最期を遂げた頃。エメラ様もまた、不幸な結婚生活のストレスから病気がちになっていた。
そんな母親を支えたのは、まだ10代半ばで家を継ぐことになった彼女の長男だった。
愛のない婚姻で授かった子供だったが、なぜか彼女は長男のことだけは溺愛していたらしく。
息子の方も、幸いにして父親の悪い所は受け継がず、母親思いの真面目な青年に成長した。
「その人ってつまり、王様のお兄様ですよね……」
前にちらっと聞いたことがある気がする。父親が早死にして、若くして家を継いだとか。年の離れた弟のことを、かなり厳しく養育しただとか。
あとは、そう。彼もまた、30年前の政変の犠牲者だとか……。
フィラ様は「そうね」と静かにうなずいて、
「ご病気のせいもあって、エメラ様はもともとお屋敷に閉じこもりがちだったのだけど。あの政変でご長男を亡くされてからは余計に、ね。私も、直接お目にかかったことはほとんどないの」
それでも「すっごく嫌われている」とわかるのはなぜか。
「1度、お見舞いの手紙を書いたことがあるのよ。そしたらすぐに返事が来てね?」
そこには気遣いに対する謝辞も、貴族らしい社交辞令の言葉すらなく、ただ分家筋も含めたクォーツへの恨みつらみが延々と書きつらねてあった。
「呪いの手紙かと思ったわよねえ」
と、エンジェラ嬢も恐れおののくほどの長文で。
国母とはいえ、さすがに無礼が過ぎると、宰相閣下が抗議するより早く。
「ごめんね~、うちのおふくろさま、ちょっと心の具合が悪くてさ~」
と、王様から直接謝罪されて、お茶を濁された。
「望まぬ結婚をさせられたことも、ご長男を亡くしたことも、あの人の中では全部王家のせい、ってことになってるみたいなのね」
前者はともかく、後者は違うのでは?
あの政変を起こしたのって先代――いや正確にはその義父にあたるアジュール家の当主だって聞いたし。
王家はむしろ被害者なんじゃないのかな。王妃様とフィラ様のお父上にあたる王太子も、兄上様2人も殺されてしまったのに。
「そういうまともな理屈が通じないくらい、色々と拗らせちゃってるんでしょうね」
エンジェラ嬢はそう言って軽く肩をすくめた。
「王家のことは嫌い、母さんのことも嫌い、カイヤのことも嫌い。……でも、なぜかクリアとフローラ姫のことだけは可愛がるのよ、あの人。ドレスとかアクセサリーとか、何度もプレゼントしたりして」
それは、もしかしなくても、お2人が父親似だからでは?
結局はまた顔なのかとうんざりする私に、母と娘は「どうかしら」とそろって首をかしげた。
「だったら、ハウルも当てはまるはずだけど」
「そもそも、ファーデン閣下とはそこまで仲がよろしくもないのよねえ」
「むしろ悪いでしょ。反対を押し切って結婚して以来、ほとんど絶縁されてるって聞いたけど?」
「噂でね。エメラ様はあまり人前で話さない方だから」
ぽんぽんと息の合った母娘の会話に耳を傾けていたら、「エル・ジェイド……」と控えめに名前を呼ばれた。
いつのまにか、殿下が私のそばに立っている。議論を戦わせていたはずの宰相閣下はといえば、なぜか席を立って1人、窓の方を向いていた。
「話が終わったので、そろそろ帰ろうかと思うのだが……」
「終わったの?」
と問い返したのはエンジェラ嬢だった。「つまり、どうすることにしたわけ?」
殿下は微妙に申し訳なさそうな顔をして、
「ひとまず、相手の出方を見ることになった」
と答えた。
「くわしいことは叔父上に聞いてくれ。俺はこれから行く所がある」
「ふーん?」
じっと見返すエンジェラ嬢から目をそらし、
「行こう、エル・ジェイド」
と殿下が促してきた。
雇い主にそう言われては従うしかなく、私は席を立ち、室内の人々に頭を下げた。
「えと、失礼します……」
「またね、エルさん」
と気安くあいさつしてくるエンジェラ嬢。
「今度カタログを送るわ。指輪とか、ドレスとか、式場とか。決めなければいけないことがたくさんあるものね」
自然な笑顔で、不自然極まりないことを口にするフィラ様。
宰相閣下は無言だった。窓の方に顔を向けたまま、チラリとこちらを見ることもしなかった。