361 家族会議
その書簡はきのうの朝、王様の執務机の上に忽然と姿を現していた。
内容は至極単純。国母の身柄は預かった。返してほしければ第二王子が「塔」まで来ること。その際、護衛は伴わないこと。
「事実、祖母殿は姿を消していた」
郊外のお屋敷から。賊に押し入られた形跡もなく、こちらも忽然と消えてしまったらしい。
「さらに、書簡を受け取ったのは親父殿だけではないこともわかった」
「うん。うちにも来たね」
また露台の入り口から、声。
今度現れたのは、王様ではなく宰相閣下だった。殿下がちょっとうんざりした顔をして、王様にも言ったセリフを繰り返す。
「叔父上。彼女には俺から説明すると言っただろう。もう少し待ってくれ」
宰相閣下は「2度手間でしょ」と顔をしかめた。
「それに、おまえ1人に任せておいたら、肝心なことは何も話さないだろうし」
決めつめられた殿下は、きっぱりと否定した。
「そんなことはない。『肝心なこと』を隠す気があるなら、そもそもあの塔のことを話したりはしない」
何も知らせず、最初からこの件には関わらせないようにした、と断言する。
宰相閣下の口元に浮かぶ冷笑。
「へえ? だったら協力を頼むつもりがあるんだ?」
挑発的に問われて、今度はきっぱりと殿下は首を振った。
「ない。彼女を危険な目にあわせることはできない」
「……じゃあ、どうするのさ」
「全ての情報を開示した上で、安全な場所で待機してもらう。何も知らないままでいるのが1番危険だからな」
「あのね、カイヤ……」
宰相閣下があきれ顔で何か言いかけるのと同時、「いや、それはちょっと」と私も声を上げた。
何やらさっぱりわからないが、自分だけ安全な場所に居るというのはどうかと思う。まずは事情を聞かせてもらった上で、自分で判断する機会をいただけないだろうか。
「すまん、エル・ジェイド」
だから謝らないでくださいってば。殿下が悪いわけじゃないんでしょうに。
そんな私たちのやり取りを冷めた目付きで見ていた宰相閣下は、
「なら、場所を変えるよ」
と言い出した。
「うちの家族も待ってるからさ。2人とも私の部屋まで来てくれる?」
というわけで連れて行かれた、同じ城内にある閣下の執務室。
そこには奥方のフィラ様と娘のエンジェラ嬢が待っていた。
黒髪の中年女性( 年を経てもなお絶世の美女)と、ふんわりした茶髪のふっくらした若い女性。
少しも似ていない母娘は、黒い革張りのソファーにゆったり腰掛けて、お茶とお菓子を楽しんでいるところだった。
脅迫状がどうとかいう話のわりに緊張感がない。しかもフィラ様の方は、私の顔を見るなり「ああ、エルさん」とにっこりして、
「花嫁修業の件、考えてくれたかしら?」
と来た。
「母さん、ちょっと黙ってて」
娘のエンジェラ嬢が立ち上がり、「お久しぶりね」と私にあいさつしてきた。
「迷惑かけちゃってごめんなさい。うちの愚弟がやらかしたみたいで――」
愚弟というのは、あのミラン・オーソクレーズのことだよね。宰相閣下と仲が悪くて、騎士団に所属している。真面目そうで、ちょっと堅物そうな印象の青年だった。
で、そのミランが「やらかした」?
「説明が途中だから、ちょっと待って」
と宰相閣下。
まずは座るようにと私と殿下に声をかけてから、自身は部屋の奥にある執務机に移動し、その場の全員を見回した。
「わかりやすいように、最初から説明するけど――」
件の脅迫状は、昨日、この部屋に届けられた。
宰相閣下が昼休憩を終えて戻ってみると、執務机の上に置いてあったのだそうだ。
その間、執務室には誰も出入りしていない。護衛も使用人も、怪しい人間は見ていない。
書簡の内容は、王様が受け取った物とほぼ同じ。
長男を預かった。返してほしければ第二王子が「塔」まで来ること。その際、護衛は伴わないこと。
「代わりに、白い髪のメイドを同行させること」
さらりと付け足された一言に、私は「はい?」と首をひねった。
「白い髪のメイドを同行させること」
宰相閣下はそう繰り返し、その脅迫状らしきものをひらひらと振って見せた。
まるで血文字みたいな赤インクで綴られた、悪趣味な手紙だ。確かに、メイドがどうとか書いてあるみたいだけど……。
「その条件だけでは、彼女のことだと決まったわけではない」
殿下の発言に、宰相閣下も同意した。
「そうだね。ただ、差出人は『姿なき魔女』を名乗ってるんだけど」
心当たりはない? と私に聞いてくる。
姿なき魔女。
それがあの儀式の場に現れ、白い魔女の像を操って見せた女のことだとしたら、心当たりは大いにあると言わざるを得なかった。
何しろ、戦ったからね。扇でぶん殴ったり、小石をぶつけちゃったりしたからね。
名指しされるほど恨みを買っていたとしても全然おかしくはない。……ただ、あの魔女はあの日、「封印の剣」に吸い込まれて消えたはずだ。
「その話はカイヤに聞いたよ。もっとも、それが事実だと証言できるのはクリアだけで、そのクリアにしても魔女の姿は見てないようだけど」
そうなんですよね。見てないんですよ。
たとえ事実だとわかっていても、「自分しか見ていない」という状況は頼りないものだ。あれは本当に本当のことだったのかと、つい弱気になってしまう。
私が言葉につまっていると、殿下が助け船を出してくれた。
「倒した現場は見ていないが、魔女の存在については他にも証人が居る」
レイテッド家のリハルトとリーライ、それにケインの飼い猫のミケも、あの日、あの場所に魔女が居たと証言している。
「子供と猫の言うことでしょ。そこまで信用できる?」
「叔父上は信用できないと思っているのか」
真っ向から問い返されて、宰相閣下は首を横に振った。
「……いや。思っていないよ」
レイテッドは常識の通じない一族だが、逆に言えば非常識な事態に直面しても動じない一族である。恐怖のあまり幻覚を見た、なんてことはないだろう。
だいたい、石像が動き回るなんてありえないことが現に起きているのに、見えない魔女が居たなんて信じられない、と言い張るのもナンセンスだ。
「脅迫状には続きがあってね。その『封印の剣』とやらを必ず持ってくるようにってさ」
「え」
「仮に、この脅迫状の差出人がその『姿なき魔女』の僕か何かだとしたら――」
封じられた主人を解き放つために、今回のことを企てたとも考えられる。
「なるほど……」
ようやく少し、話が見えてきた。
殿下のことを狙ってきた、あの正体不明の魔女に実は仲間が居て、王様のお母様や宰相閣下のご子息を誘拐し、代わりに要求を突きつけてきたってことね。
「うちの弟の場合は、誘拐されたわけじゃないかもしれないんだけどね」
と、そこで口をひらいたのはエンジェラ嬢だった。
「もしかすると、自主的に協力してるのかも」
その発言に対する反応はさまざまだった。
「さすがに、ありえんだろう」
と否定する殿下。無言のまま苦い顔をする宰相閣下。
そしてミランの母親であるフィラ様は、「素直な良い子なのよ。悪い人に誘われて、知らずについていっただけかもしれないわ」と我が子をかばった。
や、小さな子供じゃないんだから、と私は思った。
思うだけで口には出さずにいたのだが、娘のエンジェラ嬢は容赦なく突っ込みを入れた。
「ミランは子供じゃないのよ。騎士団の隊舎に居たのに、誰も気づかないうちにあっさり誘拐されるなんて」
ありえないでしょ、と断言して見せる。
「それに、消えたのはあの子だけじゃないのよね?」
娘に話を振られた宰相閣下は、苦い顔のままうなずいた。
「騎士団長ラズワルドは、あの儀式の日以来、行方不明になっている」
同様に、彼に仕える人間、彼と同じくフローラ姫を次の王位に推す派閥の中にも、不自然な形で姿を消している者が複数居るんだそうだ。
ギベオン近衛隊長は逮捕され、彼らの協力者だったクンツァイトは失脚した。
フローラ派はもはや風前の灯火だ。なので、一部は既にハウライト派への寝返りを目論んでいる。
そうした貴族の中には、「うちの跡取り息子が姿を消して……」と宰相閣下に泣きついてきた人も居るらしい。
「その人たちの所にも脅迫状が届いてるんですか?」
私の質問に、宰相閣下は軽く首をひねった。
「そういう話は聞いてないよ。さすがにきのうの今日で、裏はとってないけどさ」
今のところ、「姿なき魔女」からの書簡が届いたとはっきりしているのは、王様と宰相閣下、それにレイテッド家のみだという。
「レイテッドにも?」
ってことは、何だ。あの家の人も誰か誘拐されたの?
「父親の身柄を預かった、って手紙が来たらしいね。返してほしければ――の後は以下同文」
父親。……はて、誰の父親だろう。
「当主のレイルズ・レイテッドの父親に決まってるでしょ。急病で当主の座を降りて、その後はずっと僻地で療養してる前当主だよ」
ああ、思い出した。毒を盛られたとかいう噂のある前当主ね。日和見で、かなりやる気のない人だったっていう。
「脅迫状が届いたのは昨日。療養先は馬車で何週間もかかるような山奥だから、本当にさらわれたのかどうかもわからないってさ。……まあ、別にどっちでもいいそうだけど」
「?」
「レイテッドとしては、前当主の身柄にこだわる理由がないって」
仮に誘拐の事実があったとしても、第二王子を危険にさらしてまで救出する必要はない、とはっきり言われたらしい。
「そんな」
さすがに薄情じゃないかと思ったのが顔に出たのだろう。殿下がフォローを入れた。
「父君とは色々あったからな。特にレイリアとレイシャは」
前当主はわりと男性優位、女は黙って従え的な思想の持ち主で、家庭内では特にその傾向が強く、気の強い女性、物言う女性、有能な女性を毛嫌いしていた。
って、レイリアはまさにそのタイプだよね。レイシャだって、男性に従順なタイプとは全く違うし。
「かなり険悪な仲だったらしいね。前当主の引退にしても、身内に毒を盛られたなんて風評があるくらいだし」
宰相閣下も相槌を打つ。
それってただの風評なんですか? とは聞くべきじゃないんだろうな。世の中には、曖昧なままにしておいた方がいいこともある。
宰相閣下もそう思っているのか、そこはスルーして話の先を続けた。
「そもそも、この『脅迫状』には不自然な点が多い、というのがレイテッドの意見だよ」
本気でレイテッドに要求を突きつけたいなら、それを通したいと考えているのなら、引退した前当主など狙うはずがない。
リハルトやリーライのような、幼い子供とか。
あるいはレイルズがずっと片想いしているユナ・リウスを狙うとかした方がずっと効果が高い。
では、そうしなかった理由は何なのか?
「レイテッドの読みはこうだ。おそらく、この書簡の差出人には、要人誘拐なんてしでかすほどの力はない」
自分たちに味方する人間の中から、ミランのように敵への脅迫にも使える人材を選んで、誘拐に見せかけているだけ。そんな苦しまぎれの策に違いないと。
「ってことは、狂言なのね」
とエンジェラ嬢。
「そう言い切っていいのかどうかはまだ……」
迷いを見せる殿下に、
「私もレイテッドと同意見だよ」
と、宰相閣下は普通に言い切って見せた。
仮に脅迫状の要求に従わなかったとしても、ミランや王様のお母様が今すぐ危険にさらされる可能性は低いし、
「この姿なき魔女とやらが何をしたいのかは知らないけど、おまえに悪意を持ってることだけは絶対確実だからね」
殿下が「塔」に行くのはダメだ。そんな選択は愚の骨頂だと結論づける。
短い沈黙を挟んで、殿下は「しかし……」と反論した。
「ほとんど寝たきりだった祖母殿が、狂言誘拐に協力するとは考えにくいが……」
確かにそうだ。「魔女の宴」で1度だけ会ったことがある殿下のお祖母様は、弱々しい老人だった。
彼女の場合は普通に誘拐されたんだろうなと思っていたら、
「私はそう思わない」
宰相閣下がぴしゃりと否定した。
「あの人はずっと王家のことを恨んでいたからね。年齢と健康の問題さえなければ、今回の事件の黒幕だったとしても全く驚かないよ」