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359 昔なじみ

 その日は朝から胸騒ぎがした。


 セレナ・アジュールは勘がいい。特にトラブルの気配や身の危険に関わることなど、「何か悪いことが起きる」という勘については外れたことがない。


「あら、まあ。今日は何が起きるのかしらねえ」

 うきうきしながら身支度を整え、寝室を出て執務室へと向かう。

 ちなみに、どちらの部屋も王室図書館の1階にある。本好きの先々代国王が趣味で作った、王族専用の図書館だ。

 もう何十年も、セレナはここに住み、ここで働いている。滅多に訪れる者もない静謐せいひつな本の城で、敬愛する主人がのこしたものを守り続けている。


「おはよう、ピッピちゃんたち」

 執務室に着くと、セレナはまっすぐに窓辺へと向かった。

 そこに鳥かごがある。連絡用に飼っている鳥たちが、セレナの姿に気づいてピィピィと鳴いている。

「はいはい。まずはお食事にしましょうね」

 エサと水をやり、十分に体力をつけさせてやってから、そのうちの1羽――長い尾羽を持つ黄色い小鳥をかごから出して、足に手紙をつけて窓から飛ばす。

「さて、戻ってくるまで、私も朝食にしましょうか」

 お湯をわかし、温かい紅茶を淹れ、昨日焼いたスコーンを頬張りながら、優雅な朝の一時ひとときを過ごし。


 返信があったのは小1時間後だった。

「あいかわらず、仕事が早いわねえ」

 手紙の贈り主は、アジュール家の密偵である。実家が没落した後も自分に仕えてくれている、物好きだが有能な男だ。

 文面はごく短かった。『何か変わったことはないかしら?』というセレナの問いかけに対し、『ありました』と端的に回答している。

『百聞は一見に如かず。まずは王城から北の方角をご覧ください』

「まあ、これだけ?」

 何が起きたのか、具体的な情報は何も記されていない。

 それでかえって好奇心を刺激されたセレナは、またうきうきしながら席を立ち、王室図書館の大扉へと向かった。


 城は小高い丘の上に建てられている。王室図書館の位置からだと、見たい方角によっては城の建物が邪魔になってしまうが、北ならば特に視界を遮るものはなかったはずだ。

 最上階の窓か、いっそ屋根に上がってみるか。できるだけ高い場所がいいだろう。早く確かめたい――。


 と、思っていたのに、蔵書室に入ってすぐに足止めを食った。予想外の事態がそこで待ち受けていたためだ。

 人が居る。滅多に人が訪れることもないはずの王室図書館に。

 男だ。年は30代前半から半ば、中肉中背、どこにでも居そうな茶髪で、顔立ちにもこれといった特徴はない。

 貴族ではないだろう。城の文官にも、騎士にも見えない。

 目立たない地味な色合い、かつ動きやすそうな服は、旅人や行商人――あるいは密偵や盗賊などが好んで身につける物だ。


 ぱっと見は怪しい男である。

 しかしセレナは人を呼ぼうとは思わなかった。

 その闖入者は本を読んでいた。立ち並ぶ書架の狭間で、手に取った本を熱心に読みふけっていた。

 セレナがやってきたことには気づいていたらしく、

「どちらさまかしら?」

と声をかけると、すぐに顔を上げ、口の端を持ち上げて見せた。

「久しいのう、我が友よ。達者にしておったか?」

 セレナはすっと瞳を細めて、冷たい表情を作った。

「……どちらさまかしら?」

「何と。我の顔を見忘れたと申すか?」

 大仰に驚いて見せる男の顔は、見忘れる以前にまず間違いなく初対面だが。

「知人の女性に面影が似ていらっしゃるわねえ。エル・ジェイドさんというメイドさんなのだけど」

「ほう? おぬしもあの娘と面識があったのか」

 なかなか興味深い娘よなと笑って、手にした本を書架に戻し、こちらに向き直る。


 沈黙が数秒。男は悠然とセレナを見ているだけで、名乗ろうとも事情説明をしようともしない。

 そんな必要はない、と確信しているかのような態度が腹立たしかった。

「……それで、どちらさまなのかしら?」

 3度目の問いかけに対し、男が浮かべたのはかすかな失望だった。

「何だ、本当にわからんのか?」

 わからないわけがあるか。その不遜な話し方。世の中を舐めきった態度。声は知らない男のものでも、もうひとつの――まるでエコーのようにかぶさって聞こえる声には聞き覚えがあった。

 最後に聞いたのは、30年も前のことであるはずなのに。


「アダムス」

 敢えて本名の方で呼んでやると、男はあからさまに嫌そうな顔をした。

「その名を呼ぶな。我が不快に思うと知っておろうが」

 対照的に、セレナはにっこりした。

「もちろん、知っているから呼んでいるのよ。随分と面変おもがわりしたのね? すっかり姿勢も良くなって、健康そうで」

 セレナが知っている「アダムス」は、読書と研究ばかりしていたせいで、いつも猫背で顔色が悪かった。

 今は別人のようだ。別人にしか見えない。


「その姿はいったいどうしたの? なぜ30年前に死んだはずのあなたが、ここにこうして立っているのかしら?」

 疑問は尽きない。……しかし驚きはなかった。

 そもそも、予感はあったのだ。

 クリア姫の庭園で起きた火災の現場検証に立ち会い、地面に描き残された焼き印をこの目で見た時から。

 雑に描き殴ったかに見えて、伝承にある「魔女の紋章」を執拗なほど完璧に再現していた。

 火事の現場で、下手したら自分が炎に巻かれかねない状況下で、そんな無意味なことをする人間がこの男以外に居るとは思えなかった。


「我は死んでおらぬ。リシアの魔法で、魂と肉体を切り離されたのだ」

「まあ」

「その後は水晶の牢獄にずっと囚われておった。解放されたのはつい最近のことだ」

「それは、それは」

 全く同情する気になれない。むしろ、随分と寛大な処置をしたものだと思う。王妃の立場なら、殺しても飽き足らぬ相手であったろうに。

「殺しても飽き足らぬからこそ、ではないか? 死という終わりのない、永劫の苦しみを与えようとしたのだろう」

 どうだろう。王妃は血を見ることを極端に嫌う人だ。いくら憎い仇でも、殺すという手段に嫌悪感があっただけかもしれない。


「今のあなたは、永劫の苦しみの中に居るのかしら?」

 全くそうは見えない、という皮肉は通じなかったらしい。男はなぜか自慢げに胸を張って、

「色々あってな。我はこうして、健康な男の肉体を手に入れることができたわけだ」

 まこと僥倖ぎょうこうであったと繰り返す。その体の持ち主にとっては、災難以外の何物でもないだろうに。


 あまりに昔と変わらぬ態度に辟易へきえきしつつ、

「ここには何をしに来たの?」

と聞いてみる。

 友人と呼ぶ相手にさえ、理由なしに会いに来るような男ではない。先々代の思い出が残るこの場所を、懐かしむために来たというのもありえない。

「おぬしに聞きたいことがあってな」

 さて、何だろう。自分が「変死」した後で、彼の親族をはじめ、関係者がどれだけひどい目にあったか――たとえば先代の王妃だった女性( セレナが可愛がっていた従妹いとこである)の最期を聞きたがるような男なら、まだ救いもあるけれど。


「我は数十年ぶりに現世うつしよに戻ってきた。ゆえに、今の王国のことはよく知らぬ」

「……それで?」

「リシアの魔法を破り、我を水晶の牢獄から解き放った人間が居る。果たして何者であるのか、その目的は何なのか」

 情報通のセレナなら心当たりがあるのではないかと言って、期待を込めた目で見つめてくる。

「……なぜ、それを知りたいの?」

 聞かれたセレナは納得がいかなかった。自分の興味・関心でしか動かないこの男なら、解き放たれたことを喜びこそすれ、それを為した人間の思惑などどうでもいい、と考えそうなものだ。

「魔法を破るのは、魔法の力以外にありえん。今の王国には、リシア以上の魔法使いが居るのか?」

 なるほど。そこが気になるのか。

「私の知る限りでは、居ないわねえ」

 近衛騎士副隊長のクロサイト・ローズが、魔女の血を引いているがゆえの特異体質だが、それは人間離れした強さと強靱な肉体を持っているという意味で、魔法が使えるわけではない。


「リシアの子にも使えんのだな? カイヤは男だから置くとして、あやつには確か妹もおっただろう?」

 なぜ、殿下の名を知っている。

 この男は他人の名前など覚えない。実際に会って言葉を交わし、興味関心を引かれない限りは。

 ……要するに、会ったのだ。

 悪名高き先代国王が、自分の身内の仇でもある男の正体がこんなふざけた魔女オタクだと知って、あの聡明な兄妹は何を思っただろうか……。

「姫様に魔法は使えませんよ。フィラ様にも1人、女のお子様が居るけれど」

 父親似で、魔法の才はない。


「用がそれだけなら、帰ってもらえるかしら? 私も暇ではないの」

 30年前の政変では、セレナの知己も山ほど死んだ。

 アジュール家の人間については自業自得だから文句もないが、その関係者も、ただ家に仕えていただけの人間も巻き添えで不幸になった。

 自分はさっさとこの世から消えて、後始末の苦労もしていない。その恨み言を、この男に突きつけても意味がないことは知っている。

 どうせ、自分のことにしか興味がないのだから。好きにすればいい。


 男の返事を待たずに、セレナは歩き出した。

 蔵書室の奥の階段から、最上階へ。「王城の北」に何があるのか、当初の予定通り、確かめに行くつもりだった。

「そうつれないことを申すでない」

 男がついてくる。

「我を解き放った何者かは、おそらく王国に悪意を持っておるぞ。あるいは王家にか、リシア個人に対してか」

 それはそうだろう。セレナは王妃に対しては何の思い入れもない。……が、その子供たちのことはわりと好意的に見ている。

 敬愛する陛下の親族だからではなく、王族としてはありえないくらい性格が良いからだ。

 王妃への悪意が、あの子供たちに向けられる可能性があるとしたら――確かに、無関心でも居られない。


「あなたの魂とやらが封じられたことを、知っていたのは誰?」

 知らなければ解き放つこともできないのだから、怪しいのはそこだ。

「それは――リシア本人であろうな。他は知らん。カイヤも初耳のようであった。実子にすら話さぬことを、あの人嫌いのリシアが誰に話すというのか、見当もつかん」

 セレナも同意見だった。

 王妃は人付き合いの幅が極端に狭い。そんな彼女が心をひらいて秘密を打ち明ける相手と言ったら、慕っていた祖父か、次兄のシャムロックか――どちらも故人である。


「あなたが現世に戻ってきた後で、接触してきた人間は居ないの?」

 何か目的があって解き放ったなら、当然あって然るべきだ。

「それが面白いことに、1人もおらん」

 全く面白くはないし、不可解だった。

 悪名高き先代国王をわざわざ復活させておいて、ただ放置しておくなんて意味不明だ。


「……たまたま何かのきっかけで魔法が解けた、という可能性は?」

 男の顔が歪んだ。

「何だ、それは。つまらん」

 つまらなくても、ひとつの可能性だ。

 男が「死んだ」のは30年も前。それだけの時間が過ぎていれば、単に魔法の効果が切れただけということもあり得る。


 そんな興ざめな真実は受け入れがたかったらしく、男は自分で頭をひねって答えを考え始めた。

「ああ、そうだ。手がかりになるかはわからんが――」

 自分は1度、体を取り替えている。最初に現世に戻ってきた時は、見知らぬ少女の体に入っていたのだと言い出した。

「少女?」

「うむ。カイヤの知己らしいぞ。名は、ルティだったかルビーだったか」

「……もしかして、ルチル姫のこと?」

「忘れた。年は13かそこらの、茶髪で頭の悪そうな、非常にやかましい娘だ」

 それはルチル姫でほぼ間違いない。

「なぜ、彼女の中に――」

「わからん。我を封じ込めておった水晶の指輪が、あの娘の指にはまっておったのだ」

 妙な話である。30年前に死んだ(ことになっている)この男と、13歳のルチル姫に当然面識はない。母親のアクア・リマが城に招かれたのも、政変よりずっと後のことだ。


「指輪……」

 この男の魂を封じた指輪。普通に考えれば、政変後も王妃が持っていたのだろう。

 だが、王妃と「王の女たち」の間に交流はない。この男とはまた違う意味で、あの人は他人のことに無関心だから。

 賭けてもいい。実は王妃とアクア・リマが友人だった――なんてことはありえない。


 つまりは、2人の間に「誰か」居るのだ。


 王家に悪意を持つ者。先代国王が実は死んでいないと、王妃の魔法によって魂だけを封じられたと知っている可能性がある者。そして本来接点がないはずの王妃とアクア・リマの間をつなぐことができる者。


 思い浮かぶ顔は、ないこともない。

「物語の世界では――」

 セレナがつぶやくと、男が「ん?」と聞き返してきた。

「悪役は時に主役をしのぐほど目立つ存在だけれど、真の悪というのはもっと狡猾で、けして自分が悪だとは悟らせないものよねえ」

「何の話をしている?」

「別に。一般論よ」

 セレナは足を止めた。話しているうちに、最上階に着いたからだ。


 今日は天気が良い。北向きの窓を押し開けば、はるか遠方の山々まで見渡すことができた。

 だが、問題のものはもっと手前にあった。

 王城の北にある丘陵地帯。ちょうど「魔女の霊廟」と呼ばれる石室がある辺りに。

「何だ、あれは?」

 男が窓から身を乗り出す。その目は信じられないものを目の当たりにした驚きと、抑えきれない好奇心に輝いていた。


※次回更新日は未定です。できれば1~2ヶ月後に戻ってこられれば……と考えています。

 残るは16章と後日談的な最終章のみ。ここまで読んでくださった方に満足して頂けるよう、頑張って書き上げたいと思います。

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