358 それぞれの想い
ゴトゴト。馬車が揺れる。
クロムに押し込まれた粗末な荷馬車とは違う、ふかふかの座席がついた立派な馬車である。
4、5人は楽に乗れる広さだが、乗客は私しか居ない。
御者台には武装した騎士が1人。馬車の周りには、馬に乗った騎士が数人。
まるで貴族のお姫様みたいに守られて、私は王都に引き返しているところだった。
ハウライト殿下は約束通り故郷まで送ると言ってくれたのだが、私は今すぐ帰るつもりをなくしていた。
頭の中がぐちゃぐちゃで、どこか落ち着ける場所で感情の整理がしたかったのだ。
だから、ひとまず「魔女の憩い亭」に戻らせてほしいと頼んだ。
あそこなら落ち着けるし、今夜一晩でいいから泊めてもらって、明日以降のことは明日また考えよう。そう思っていた。
しかし、出発してからおよそ30分後。ゴトンと車輪が揺れて、馬車が止まった。
騎士たちが騒いでいる。
何だろう、またトラブル? と不安に思いつつ窓の外をのぞくと、護衛の騎士が1人、馬を寄せてきた。……何だか困ったような顔をしている。
「申し訳ありません。少々お待ちください」
「何かあったんですか?」
「それが――」
言いよどむ彼の視線は、馬車が向かおうとしていた王都の方角を向いている。
「?」
私は窓から首を出し、そして彼が困っている理由を知った。
赤い夕焼けをバックに、街道を走ってくる人影が2つ。1人は馬に乗り、もう1人はその後ろを駆けている。
どちらも私の知った顔だった。
「エル・ジェイド!」
馬上から声高らかに私を呼ぶのはカイヤ殿下で、
「やっと見つけました――」
馬とほぼ同じ速度で走りながら、平然とつぶやいたのはジェーン・レイテッド。本日、私の護衛を務めるはずだった騎士である。
カラスが1羽、彼らの頭上を飛んでいた。あれは多分、殿下の護衛の「使い魔の末裔」だ。
殿下は騎士たちをスルーしてこちらに駆け寄ってくると、
「よかった。無事だったか」
と表情を緩めた。「おまえが連れ去られたと聞いて、助けに来た」
「その連れ去った相手は、恥知らずにも近衛騎士を名乗っている、あのならず者なのでしょう?」
ジェーンが割り込んでくる。
「どこに居るのですか? ただちに斬り捨てましょう。これでようやく、後顧の憂いを断つことができます」
多分クロムのことを言ってるんだと思うけど、一応、同僚だよね? 斬り捨てちゃっていいの?
「……さすがに命だけは勘弁してやってくれないか」
殿下が控えめにかばうと、ジェーンは無表情のまま不満を表明した。
「ですが、あの男が殿下を裏切ることがあった時には始末してもよいと、クロサイト隊長からも許可をいただいております」
「裏切ったわけではないのだろう? 事情はよくわからんが」
殿下は説明を求めるように私の方を見る。
「まあ、その……。裏切ったというか、命令されたことを自分の都合で解釈しただけというか……」
ジェーンがぽんと手を打った。
「なるほど、命令無視ですね。それも広義の裏切りと言えます。やはり斬り捨てましょう」
何が何でもクロムを始末したいらしい。仲の悪そうな2人だとは思ってたけど、本当にそうなんだなあ。
「その『命令』というのは誰が――叔父上が出したのか?」
「あ、いえ」
宰相閣下は関係ない。
でも、どうしようかな。今日、私と会ったことは、「可能なら秘密にしたい」とハウライト殿下は仰っていた。
ただし「弟に知られてしまった時は仕方ない。あれに嘘は通用しないからな。全て話しても構わない」とも言われている。
正直、その日のうちにバレるとは思ってなかったけどね。いくら何でも早すぎじゃない?
「どうして、私が連れ去られたってわかったんですか?」
「それは……」
殿下は頭上を舞うカラスにちらりと視線を投げた。
あのカラスか。実は影からこっそり、私のことを護衛してくれてたとか?
「本人の希望でな。おまえの故郷まで、隠れてついていく手はずだった」
わざわざ故郷まで?
驚く私の横で、ジェーンが首をひねった。
「なぜ『隠れて』なのですか?」
同じ護衛の自分に、なぜ隠す必要があるのかと聞いてから、すぐに答えがわかったらしく手を打って、
「なるほど。本気で働くつもりがあったわけではなく、単に仕事をサボるための口実にする気だったのですね。あの職務怠慢なカラスの考えそうなことです」
「……そうかもしれんが、今回は働いてくれただろう」
殿下もかばうだけで否定はしない。もうちょっと、まともな護衛を雇う気はないのかな。多分ないんだろうな。
とにかくサボり癖のあるカラスが珍しく仕事をしたおかげで、殿下は私が誘拐されたことを即座に知ることができたと。
「それで、クロムは誰に命令されたと言った?」
うーん。やっぱり話さないとダメか……。
微妙な顔で口ごもる私を見て、殿下は「ひとまず場所を変えるか」と言い出した。
「すまんが、今日のところは王都に戻ってくれるか。『緊急の用件』とやらで親父殿に呼び出されていてな。1度、城に顔を出さなければならん」
「あ、はい。わかりました」
もともと帰るつもりだったから、それは問題ない。
そんなわけで、私は馬車から下り、殿下が乗ってきた馬に同乗させてもらって、王都に引き返すことになった。
様子を見ていた騎士たちも、来た道を戻っていく。多分ハウライト殿下に報告に行くんだろう。少し心配そうに、カイヤ殿下の方を見ている騎士様も居る。
「それで、何があった?」
殿下が聞いてくる。
馬の速度は、非常にゆったりした常足だ。王様に呼び出されたと言っていたのに、急がなくていいんだろうか?
「構わん。呼ばれたから一応、城には行くが、あの男の『緊急の用件』が本当に急ぎだったことなど数えるほどだ」
「……そうですか、わかりました」
観念して、私は話し始めた。
とはいえ15年前の事件のことをくわしく聞いた、と言うのは気が進まない。そんなつらい話を、殿下に思い出してほしくない。
まずは「ハウライト殿下に話がしたいと呼び出された」とだけ告げると、殿下はすぐに納得の表情を浮かべた。
「叔父上ではなく、兄上の方だったか。見掛けによらず過保護なところがあるからな」
過保護、の一言で済ませられるレベルの話ではなかったと思う。
もっと重くて、深刻で――。
「気を遣わせて悪かったな。兄上には後で俺の方から言っておく」
いや、私のことはいいから。
「ハウライト殿下は、その、すごく心配していらっしゃるご様子で――」
過去に弟を救えなかったという後悔のためなんだろう。殿下の幸せのために、自分が何かしなければ、みたいな気持ちが強いように見えた。
「殿下は幸せになりたいとは思わないんですか?」
「?」
「えっと、たとえば恋をかなえたい、とか……」
小声で尋ねると、殿下はぎょっとしたように身を引いた。
「意味がわかった上で聞いているのか? 何やら他人事のような顔をしているが、俺が好意を持っているのは――」
「それは置いといて! この先、別の誰かを好きになる可能性もあるわけですし!」
「……何度も言っているだろう。俺は誰とも婚姻を結ぶ気はないと」
でもそれは、後継ぎ問題で兄上様と揉めたくないっていうのが理由だったよね。いや、婚姻そのものに魅力を感じていないとも言ったっけ?
「ですが、恋愛と結婚は違うものではないでしょうか?」
「……俺に親父殿のような真似をしろというのか」
「全然違います! 主義として結婚しない人だって居るという話です!」
同じく子供を望まない人だって居る。後継ぎ問題のことだけを理由に、恋をあきらめてしまうのはどうかと思う。
「それは居るだろうが……、おまえは子供好きなのでは?」
「だから私のことは考えないでください! 確かに子供は好きですけど、実子であることにこだわりはありません! そもそも出産って怖いんですよ、修羅場なんですよ。女ならみんな子供を産みたいと思うわけじゃありません!」
一瞬落ちた沈黙に、「確かにそうですね」と同意を挟んだのはジェーンだった。
少し離れて徒歩でついてきていた彼女は、私の言葉に軽くうなずいて、
「私の身内にも、産褥で命を落としかけた者がおります。兄と2人で手伝いに行ったのですが、産院はまるで戦場のように血まみれでした。血を見慣れていない兄は、ショックで倒れてしまったほどです」
怖い話を平然としないでほしいが、まあそういうことだ。
私も、似たような場面を故郷で経験したことがある。子供は好きでも、お産にはトラウマがあったりするのだ。
「そうなのか。クリアの時は安産だったが、それは運が良かっただけなのだな」
殿下は何やら難しい顔でうなずいている。
ズレてしまった会話を元に戻すため、私は少しだけ声を張った。
「殿下が結婚なんて絶対したくない、というお考えならば何も申しません。個人の自由ですし」
ただ、そうじゃないなら、色々理由があって考えないようにしているだけなら、ちょっと考えてみてはどうか、と言っているのだ。
「……いったい兄上に何を言われたんだ?」
殿下はおそるおそるという感じで聞いてくる。
それは言えない。重たい過去話を聞かせて、私が殿下の気持ちを拒みにくいようにした、なんて聞いたら、いくら仲の良い兄弟でもケンカになってしまうかもしれないし。
「理由はいいので、とにかく考えてみてください」
我ながら無茶な要求に、殿下は戸惑い顔になって、
「本当にいいのか? 今の俺がそれを考えたら、必然的におまえとの将来を夢想することになるぞ」
「できれば他の人でお願いします!」
「無理だ。正直、目を閉じればすぐにおまえの顔が浮かぶし、毎夜のように夢に見るほど焦がれている」
「そこを何とか!」
殿下はあきれ顔になった。そこまで必死になるくらいなら、最初から言い出さなければいいだろうと言って、ふっと口元を緩める。
「おまえは人がいいな」
うぎゃあ。天性のお人よしにそう言われてしまった。しかもジェーンまで「その通りですね」とうなずいてるし。
どうしてこうなったと頭を抱えながら馬に揺られる私を見て、殿下が笑っている。
……前より笑顔が出るようになったよね、この人。
それは多分いいことなんだろうけど、柔らかくてあったかいその笑みを見ると、あんまり人には見せない方がいいかも、と思ってしまう。
だって、あんまり魅力的だったから。そのつもりがない私でも、多少ぐらつく程度には素敵だったから――。
※次回は他者視点の間章になります。