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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第十五章 新米メイドと呪われた王子
357/410

356 兄弟の過去5

 ――ずっと、叔父上と一緒に居た。


 フェリオ・クォーツの屋敷から救出されたカイヤ殿下は、助けに来た大人たちにそう言ったらしい。


「半年以上、弟は監禁されていた」


 王都のはるか北。かつて王族の流刑地だった場所に建つ、古いお屋敷に。


「弟は7歳だった。当時から既に変わり者の片鱗を見せていたが、それでも子供らしい無邪気さや可愛らしさもあった。笑うことも、泣くことも普通にあったんだ」


 それが救出された時には、いっさいの感情と表情を失っていた。


「10年の月日が、フェリオを変えていた。ジャスパー・リウスが屋敷に踏み込んだ時、そこは地獄のような有様だったそうだ」


 外観は古いながらも立派なお屋敷だった。しかし内部は異様なほど荒れ果て、ネズミや虫が這い回り、正体不明の異臭が立ちこめていた。

 生きた住人は、捕らえられていたカイヤ殿下を除くと、たったの1人しか残っていなかった。

 フェリオ・クォーツその人――ではなく、彼に仕えたメイドが1人。


「メイドですか」

と聞き返す私に、

「そう、メイドだ」

とうなずいて、ハウライト殿下はじっと暗い目付きで私を見つめた。

「そのメイドとフェリオの2人から、カイヤは日常的に虐待を受けていた」

「!」

「救出され、王都に戻った後も、メイド服を着た女を見ると事件のトラウマが蘇るほどだった」

 そのためハウライト殿下とカイヤ殿下が一時、身を寄せることになったオーソクレーズ家のお屋敷では、殿下が怖がるからという理由で暇を出されたメイドさんも居たそうだ。


「え、でも、あの……。殿下は、その……」

 王妃様の離宮のメイドさんたちのことを家族みたいに思っていて、特にメイド長さんが憧れの人で、恩師として尊敬してるって。

 叔母上様も言ってたよね?

「あの子、メイドさんが大好きだから!」

とか何とか。

 ……私にもずっと親切にしてくれたし。

 なのに、そんな。知らないところで自分の仕事が、服装が、殿下のトラウマを刺激してたなんて言われたらかなりショックなんですが……。


「ああ、すまない。昔の話だよ」

と言いつつ、ハウライト殿下はまだどこか暗いまなざしで私を見ている。

「カイヤが脅えるのは、そのメイドに似た容姿を持つ者だけだった。長い黒髪で、細身で背が高く、目鼻立ちの整った女」

 フェリオ・クォーツのメイドは、年は30を過ぎた頃。美女ではあったが、何年も酒浸りで、良くない薬にも手を出していたらしく、痩せて顔色が悪かった。

「フェリオもまた女と同様、酒浸りの上、薬漬けだった。カイヤの話では、昼間はなぜか正気に戻っていたらしいが……。夜になると怪物になる。奇声を上げ、屋敷を徘徊し、動く者を見れば襲いかかる」

 フェリオに見つからないよう、殿下は毎夜、息を殺して耐えていた。だが実際には、うまくやり過ごせたことの方がまれだったらしい。


「どれほどの目にあわされたのか、私は知らない」

 ハウライト殿下も当時10歳の子供である。カイヤ殿下の救出に関わった大人たち――宰相閣下もジャスパー・リウスも、彼にはくわしいことを話さなかった。

「ただ、弟の体に無数の傷痕があることは知っている」

 ……私も、知ってる。

 殿下の首から背中にかけて、ひどい火傷やけどの痕があること。

 真夏でも、あの人が厚着をしていること。顔と手以外の肌をいっさい露出しないこと。

「いまだに弟が、事件の悪夢にうなされることがあるのも知っている。そういう時、ほぼ必ずと言っていいほど、眠ったまま私を呼ぶことも」

 ……それも多分、聞いた。

 あの人が悪夢にうなされる姿を見た。繰り返し「兄上」と呼ぶのを聞いた。


 過去の悪夢を見ているはずなのに、なぜ、その場には居なかったはずのハウライト殿下を呼ぶのか。

 それは多分、小さい頃の殿下にとって、助けを求められる相手が他に居なかったからではないだろうか。

 叔父叔母とはまだ親しくなる前で、両親との関係性を考えるなら、父上とも母上とも呼ぶはずがない。

 つらい時、苦しい時、思い浮かぶ唯一の顔がお兄さんだったんじゃないのかな。「親代わりだった」とか、前に言ってたし。


「いくら呼ばれたところで、私は助けに行ってやれないのにな」

 過去には手が届かない、と。

 感情が全て抜け落ちたような声でつぶやいて、ハウライト殿下はなぜかハンカチを取り出し、私に手渡してきた。

「?」

「顔を拭いてくれ。……本当に、こんな話を聞かせてすまないと思っている」

 とっさに自分の顔にふれ、それでようやく頬が濡れていることに気づいた。

「……ごめんなさい」

 私が泣くようなことじゃないのに。ただ話を聞いているだけなのに。

 でも、正直たまらなかった。

 子供の頃から、今まで。この人は何度、弟が悪夢にうなされる姿を見たんだろう。

 そのたびに助けを求められて、だけど、どうすることもできなくて。どれほど苦しかったか。悔しかったのか。

 私にはわからない。想像することさえできない。

 ただ、無性に――腹が立った。


「なんで、そんなことになってしまったんですか」

 フェリオ・クォーツはどうしてそこまで壊れてしまったんだ。

 静養のために王都を離れたんじゃなかったのか。お医者様はいったい何をしてたんだ。

「医者は、数年の間はフェリオのもとを訪れていたようだな」

 しかしフェリオ自身が暇を出してしまった。症状が落ち着いたから、もう往診の必要はないと言って。

「叔母はまめにふみのやり取りをしていた。田舎暮らしで不自由がないよう、必要な物は何でも送った」

 離れて暮らす兄のために、できる限りのことはしていた、とハウライト殿下は断言した。

「でも……」

 でも、である。

 現実にはフェリオは壊れてしまったわけで、そうなる前にどうにかできなかったのかとつい思ってしまう。何か異変の兆候とか、つかめなかったんだろうか?


「この件に関しては、どうか叔母のことを責めないでやってほしい」

 なぜなら、他でもない叔母上様こそが、最も自分を責めているからだとハウライト殿下は言った。

「叔父も同じだよ。義兄であるフェリオを救えず、何の罪もないカイヤが傷つけられる事態を防げなかった。2人とも後悔している。それも気が狂いそうなほど深く」

「…………」

「2人がフェリオのために手を尽くしたのは本当だ。10年間、会いに行くことをしなかったのも、フェリオの側が拒み続けたからだ」


 会いに行きたいと、妹夫妻がいくら手紙に書いて送っても、フェリオはそのたびに同じ答えを返した。

 今はまだ、合わせる顔がない。病状が落ち着いたら必ず連絡するから、それまでどうか待ってほしいと。


 宰相閣下は多忙の身である。

 そして彼と結婚し、名家の奥方となった叔母上様もまた多忙だった。

 長女のエンジェラ嬢を授かり、やがては長男のミランを授かり、2人の子供の母にもなって。

 兄のことがいくら心配でも、けして忘れたわけではなくても、遠く離れていればできることは限られる。誰にだって、自分の生活がある。


「でも、10年ですよね?」

 肉親と1度も顔を合わせないまま過ごす年月としては、さすがにちょっと長過ぎるような気が……。

「君はまだ若いから、ぴんと来ないのかもしれないな」

 大人にとっては、10年など、ふと気がつけば過ぎてしまう程度の年月だと、まだ20代半ばであるはずのハウライト殿下は達観した表情で言う。


「妻として、オーソクレーズの家政を取り仕切るだけではない。叔母にはクォーツ本家の生き残りとして、やらなければならない雑事もあった」

 もう1人の生き残りである王妃様は、離宮に引きこもってしまい、アテにできなかったから。

「フェリオは王妃の実弟でもあるわけだが……。共に幽閉され、つらい体験を共有した家族なわけだが……」

 そういえば、そうだよね。心を病んでしまった弟のために、何かしてあげようとは思わなかったのかな。


「私の知る限りでは、何もしていない」

「何も」

「全く、何も」

「何も……」

「そういう母親の姿を見ているから、私は叔父夫婦を責められない。むしろ深く感謝している」

「…………」

 まあ、それはそうなる……かな? 色々と頑張った人が責められて、何もしなかった人が責任を問われないっていうのも変な話だし……。


「10年間、ただ放置していたわけでもない。叔父は近くの村の者たちに話を通していた」

 何か変わったことがあればすぐに知らせるようにと。ちゃんと謝礼を渡し、月に1度の割合で連絡を取り合っていた。

 もしものための備えをしていたわけだが、結果的にはそれが機能していなかった。


「最初のうちはうまくいっていたようだ。フェリオの静養生活も、村人たちとの関係も」

 ひなびた田舎で、素朴な村人たちと交流し、フェリオの病も一時は快方に向かっていた。

「説明が遅くなったが、フェリオが王都からその地に移り住んだ時、彼には同行者が居た。かつて乳母だった女性と、その息子。それに学問の師にあたる貴族と、使用人が数人」

 彼らは誰に命じられたわけでもなく、自主的にフェリオについていったのだそうだ。もとは物静かで優しい性格だった彼は、目下の人間に好かれやすいタチだったのである。


「しかし数年後、乳母が流行病はやりやまいで亡くなった。この病は村人たちの間にも広まって、少なくない死者を出すことになった」


 別にお屋敷の人たちが病気を持ち込んだと決まったわけではない。

 ただ、フェリオが静養に来てから、妹君の手紙やら物資やらが頻繁に届くようになり、外部との交流が増えていたのは事実だった。


 以来、村人たちはあまりお屋敷に近づかなくなった。

 お屋敷の住人たちの方も、なんとなく閉じこもりがちになり、気持ちが後ろ向きになる。

 亡くなった乳母が明るい人で、彼らにとって精神的支柱のような存在だったことも大きかった。

 慣れない田舎暮らしのストレスもあったのだろう。何しろ、元は流刑地だった場所だ。基本的には閉鎖的で、娯楽の乏しい環境だったのである。


 それから、さらに数年。

 フェリオに仕えた者たちは、ある者は酒浸りになって体を壊し、ある者は不慮の事故で亡くなり、ある者は村の若い娘と手に手を取って逃げてしまった。それがまた、村人たちとの間に軋轢あつれきを生むことにもなって。

 10年が経過する頃には、フェリオとメイド以外の住人は誰も居なくなっていた。

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