355 兄弟の過去4
ふっと短く息を吐いて、ハウライト殿下は一旦、話をやめた。
「長くなってしまったな。少し休憩にしよう」
卓上のベルを持ち上げ、1度だけ鳴らす。すぐに先程の老婦人が現れ、新しいお茶とお菓子を用意してくれた。
「いいかげん疲れただろう。カイヤの話をするはずが、知らない男の話など聞かされて――いったいどこまで遡るつもりかとあきれているだろうな」
「いえ、そんなことは」
ないと思う。少なくとも、あきれてはいない。
ただ仰る通り、話が長くなって登場人物も増えたせいで、理解が追いついていない部分はあったりする。できれば少し、話を整理させてほしい。
「そのフェリオ・クォーツ……様が、15年前にカイヤ殿下を誘拐した犯人だったんですよね?」
「そうだ。敬称はいらない」
「と、いうことはその、ご病気の方は回復されたんでしょうか?」
心の病で静養中の人が、襲撃を指示して、甥のことを誘拐させた――って、ちょっと考えにくいし。
「いや、していない。むしろ悪化していた」
「はあ……」
「君の疑問はもっともだ。フェリオが流刑地に移ってから、襲撃事件が起きるまで、10年以上。その間、フェリオはただの1度も王都を訪れていない。当然、私たち兄弟とは会ったこともなく、拐かしを企てるほどの悪意など抱きようもない」
うん、そうですよね。
そのフェリオ様が、いや敬称はいらないと言われたから呼び捨てにさせてもらうけど、フェリオが王都を離れたのって政変の少し後。ってことは30年近く前のはずだ。ハウライト殿下もカイヤ殿下も生まれる前の話である。
「しかし現実には、カイヤを拐かしたのはフェリオだ。弟が見つかったのがフェリオの屋敷だったからな。そこは疑いようもない」
カイヤ殿下が救出されたのは、事件発生から半年以上が過ぎてからだった。
「捜査は難航した。賊の手際があまりに良すぎたためだ。たとえば、襲撃の実行犯――ほとんどが金で雇われたチンピラだったわけだが、彼らは事件の数日後、王都近郊の森で遺体となって発見された」
「……っ!」
「口封じ、というやつなのだろうな。護衛の騎士たちが現場で返り討ちにしたチンピラの中には、わずかながら生存者も居たが……」
彼らは何も知らなかった。襲撃の目的も、それ以前に自分たちを雇った人間が誰なのかも。
事件の何日か前に街中で声をかけられ、「仕事」に誘われただけ。現場に集まった人間の多くが初対面だったらしい。
「動機の面から容疑者を探すなら、私たち兄弟のことを疎ましく思っていた人間が怪しい。つまり国王の側室やその背後に居る貴族たちが最有力だ」
が、その場合、なぜ「拐かし」だったのかという疑問が残る。
「襲撃者たちを率いていた男は、確かに言った」
――本命は手に入ったから、いいことにするか。
「あの男の目的は、私たちの命ではなかった。仮にそれが目的なら、瀕死の私にとどめを刺さなかった理由がないからな。あくまで連れ去ることが目的で、しかも『本命』はカイヤだ。私はついでのようなものだった」
いったいなぜ? 捜査にあたっていたジャスパー・リウスも首をひねっていた。
目的は誘拐、しかも第一王子のハウライト殿下より弟のカイヤ殿下の方を優先するなんて。
下手人は何者だ? その目的は? 事件を起こした動機はいったい何なのか?
「それも結局は顔なのだろう、と私は考えているが」
「……またですか」
私はつい嫌そうに突っ込んでしまった。
「他に考えようがないからな。フェリオ・クォーツが会ったこともないカイヤを狙った理由など」
「それはつまり……、まさかと思いますけど……」
殿下の顔が、王妃様だけでなく、妹君のフィラ様にもよく似ているから、ですか。
「察しが良くて助かる」
と言って、ハウライト殿下は新しいお茶を一口飲んだ。
私も、それに倣った。さすがにちょっと、嫌な気持ちになったからだ。
さっき聞いた過去話の中では、フェリオは別に悪人という感じではなかった。政変のせいで心を病んでしまった、気の毒な王子様だ。
それが10年後には甥を誘拐して、しかも動機は妹に顔がそっくりだから、って。
意味がわからない。わからないけど、何だかひどく気分が悪い。
「1度も会ったことがないのなら、顔のことだって知らないはずでは?」
その気分のまま口をひらいたら、うっかり声が尖った。
ハウライト殿下はそんな私の無礼を咎めることもなく、「確かにその通りだな」とうなずいた。
「フェリオは世情に疎かった。王都の人間とも没交渉だった」
自分が王都を離れた後で生まれた、姉の子供の顔など知るはずがないし、
「あの日、私たちが追放されること、あの時間にあの場所を通ることも知りようがない」
だが現実には20人近い賊が森で待ち構えていた。あらかじめ情報を得て、準備を整えていた証拠だ。
「下手人は城の人間ではなかったと先程言ったが、私たちの情報をフェリオに流した人間が居ることはおそらく間違いない。それはかなりの確率で城の人間だろうと思うよ」
「騎士団長とか……、王様の側室とか……」
ハウライト殿下は「それは考えにくいな」と言った。
「彼らの目的は明白だ。『次の王位』。それによって得られる権力と地位と富。私たち兄弟を狙うなら、誘拐などという回りくどい手段は使わない」
賊の襲撃に見せかけて、殺せばよかったのだ。拐かしなんて意味がない。
「事件の背後に居る黒幕は、おそらく強い悪意を持っていたはずだ。私たち兄弟に。あるいは、フェリオや叔母も含めたクォーツ王家の血を引く者たちに」
王位などどうでもいい。ただ苦しめてやりたい。そういう極めてタチの悪い感情が事件の動機だったのではないか、とハウライト殿下は考えながら言葉を続けた。
「その、黒幕というのは誰なんですか?」
待ちきれずに、私は尋ねた。
早く教えてほしい。そして可能なら、今すぐそいつの顔をぶん殴りに行きたい。
しかしハウライト殿下は、私の問いに無念そうに首を振った。
「それは今に到るまでわからない。なぜなら、全てを知っていたはずの人間――フェリオ・クォーツが自ら命を絶ってしまったからだ」
「自ら……命を……」
「できることなら、この手で殺したかったよ」
静かな、あまりにも静かな声でハウライト殿下がつぶやく。その目は私の顔ではなく、手の届かない遠い過去を見つめていた。