353 兄弟の過去2
襲撃、と私は繰り返す。
「そう、襲撃だ。襲ってきた賊は20人近く居た。対するこちらは子供2人と御者1人、護衛の騎士が3人だ」
城で冷遇され、ついには追放されることになった王子2人の護衛を任されたのは、家柄とかライバルとの出世争いに負けただとか、色々な理由で冷遇されていた騎士たちだったらしい。
「彼らは良く戦ってくれたよ」
とハウライト殿下は言った。
突然の襲撃、圧倒的な人数差の中、幼い兄弟を守り、賊の半数以上をその場で返り討ちにしてのけた。
「後でわかったことだが、賊のほとんどは金で雇われたその日暮らしのチンピラだったらしい。問題は彼らを指揮していた男。襲撃の首謀者だ」
その男は、チンピラたちを捨て駒にして騎士たちを疲弊させ、頃合いを見て、森の中に隠していた伏兵を投入。周囲の森から降りそそぐ矢の雨にまず御者が、次いで馬が倒れ、その弾みで馬車が横倒しになって――。
「気づいた時、私は地面に倒れていた」
起き上がろうとしても、体が言うことをきかない。
ふと見れば、右肩に矢が刺さっていた。
正確には、貫通していた。周囲に広がっている赤い水たまりが、自分の体から流れた血であることには遅れて気づいたそうだ。
死、という言葉が頭に浮かぶより早く、目に入ったのは弟の顔。
自分と同じく馬車から投げ出され、気を失っているらしいカイヤ殿下の顔だった。
名前を呼ぼうとした。しかし咳き込むばかりで声が出ない。
弟のもとに行こうにも、ほんの少し体を動かしただけで激痛が走る。
どうにもできずにいるうちに、ざくざくと森の地面を踏みしめて、何者かが近づいてきた。
――あー、やっちまったか……。
知らない声の主は、旅装束を着て、フードで顔半分を隠した見知らぬ男だった。
――こっちはもうダメっぽいな。
彼は重傷を負ったハウライト殿下を見て、何とも軽い口調でそう言ったのだという。
――まあ、本命は手に入ったから、いいことにするか。
男は自分に言い訳するようにつぶやいて、意識のないカイヤ殿下を荷物のように担ぎ上げた。
そして、もはやハウライト殿下には目もくれず、その場から立ち去った。
「次に目が覚めた時、私はベッドの上だった」
襲撃の日から10日が経過していた。医者の話によれば相当危ないところだったらしく、助かったのは奇跡だと何度も繰り返された。
「私と共に襲撃された人間のうち、騎士1人がその場で戦死。御者も残念ながら矢傷が深く、助からなかった。残る騎士2人も深手を負わされていた」
が、うち1人が傷ついた体を引きずり、助けを呼びに行ったことで、ハウライト殿下の運命は少しだけ好転する。
「私たち兄弟は城で疎まれていた。この『襲撃』の背後に誰が居るのか、彼は考えたのだろう」
城の人間は信用できない。傷ついたハウライト殿下を連れ帰っても、まともな手当ては受けられないかもしれない。最悪、死ぬまで放置されるかもしれない。
ならば、とその騎士が駆け込んだのが施療院だった。
治療代が払えない、貧しい人でも医療を受けられる国立の診療所である。その責任者は、「王都の聖女」と呼ばれる王族の女性だ。
民のために尽くし、市井でつましい暮らしをしていた彼女は、お城の権力争いとかには興味がなかったらしく。
王妃の血を引く子供たちが城で冷遇されていることは噂で知っていたが、幽閉じみた生活を送っていることまでは知らずにいた。
意識が戻ったハウライト殿下から直接その話を聞き、しかも何者かに命を奪われかけたと知って大いに怒った彼女は、「事情聴取がしたい」とやってきた役人を追い返し、城からハウライト殿下を迎えに来た貴族も追い返し、ついには自ら足を運んできたファーデン国王も叩き出した。
「王様が来たんですか」
黙って話を聞いていた私は、そこでつい口を挟んでしまった。
だって、すごく意外だったからだ。
自分で追放しておいて、まさか心配になったわけでもないだろうしね。いったい何しに来たんだろう??
「先に言っておくと、あの男が襲撃を命じた犯人で、証拠隠滅や口封じを図った、というわけではない」
や、さすがにそこまでひどいことは……、考えてなかったんですが……。
「あの男の側室や、その背後に居る貴族たちが犯人だったわけでもない。あの男が自ら足を運んでまで私の身柄を城に引き取ろうとしたのは、事件そのものをなかったことにしたかったからだ」
血のつながった王子2人を追放しただけでも大概なのに、その2人が王都のすぐ近くで襲撃されて死にかけたなんて話が広まったら――。
「さすがに外聞が悪い、と考えたのだろうな」
そんなレベルの話ではないと思う。人間失格、親失格、ついでに王様失格だ。国民としては、即刻玉座を降りていただきたくなる。
「その頃、叔父夫婦もまた施療院を訪ねてきた」
現・宰相閣下と奥方様。五大家のひとつ、オーソクレーズ家の当主夫妻がそろってハウライト殿下のもとを訪れて、
「さんざん謝られたよ。2人には何の責任もないことだというのに、叔父には土下座までされた」
2人は甥たちが城でどんな扱いを受けているのか知っていた。世情に疎い「王都の聖女」とは違い、ほぼ正確に事実を把握していた。
だが、当時オーソクレーズ家の力はラズワルドやレイテッドに比べて弱く、宰相閣下もまだ「宰相」ではなかった。
甥たちが追放されると聞いた時も、できれば止めてやりたいと考えはしたが、結局は家を、家族を、我が身を守ることを優先してしまった。
「今は後悔している、これからはきっと力になる、と叔父は言ってくれた。……さすがに、その言葉をすぐに信じる気にはなれなかったが」
それはそうですよねぇ。ずっと味方も居なくて、ひどい目にあって、死にかけた直後で。
いくら身内とはいえ、今までろくに会ったこともなかったのだ。すぐに信用できなくても無理はないと思う。
「それでも、その時の私には、叔父夫婦の言葉にすがる以外の選択肢はなかった」
連れ去られた弟を助けてほしい、とハウライト殿下は頼んだ。2人は必ず何とかすると約束してくれた。
「しばらくして、私の傷が癒え、ベッドから起き上がれるようになった頃、叔父が引き合わせてくれたのが警官隊のジャスパー・リウスだった」
「王都の聖女」と同じく、彼は王子2人が受けた非道な扱いに心底怒っていた。
ちょうどその頃、懲りもせずハウライト殿下の身柄を引き取りに来た王様を施療院から叩き出し、ハウライト殿下から事件のことをくわしく聞いた上で、「必ずやカイヤ殿下をお救い致しましょう」と、老いて痩せた胸を叩いて見せた。
「傷の癒えた騎士2人も、城の仕事を辞め、警官隊に協力することになった」
うち1人は今も警官隊に居るそうだ。襲撃の際に負ったケガの後遺症で、2度と剣を持つことができなくなってしまった彼は、やむなく事務職に転向したら自分でも驚くほどの適性があったらしく、今では総隊長のカイト・リウスにも重用されているんだとか。
では、もう1人の騎士は?
「彼は今でも私のもとに居る。あの事件から15年、ずっと仕えてくれている」
腹心の部下と呼んでもいいくらい信頼できる存在だと聞いて、私は胸が熱くなった。それってちょっと、いやかなり、感動的な話だと思ったからだ。
「全く感動的ではない。ここ数年こそ、多少は恩を返せたが――」
それ以前は貧乏くじを引かせ通しだったと、ハウライト殿下は軽く肩をすくめて見せた。
「無駄に責任感の強い男でな。襲撃の際、私たち兄弟を守り切れなかったことを気に病んで、その後はひたすら忠義を捧げてくれた。私が偽りの謀反の罪で幽閉された時も」
おかげで実家からは縁を切られ、奥方を迎える機会もなく、40歳を過ぎてもいまだ独身。
「私が国王候補になってからは、その実家の方からすり寄ってきて辟易しているようだがな」
ハウライト殿下が王様になったら、ずっと忠義を尽くしてきた騎士様が出世しないわけないものね。何とも調子の良い実家である。
「彼と、叔父叔母。王都の聖女とジャスパー・リウス」
頼りになる大人たちと出会い、ハウライト殿下を取り巻く世界は少しずつ変わり始めていた。
「幼なじみたちと出会ったのもその頃だ。ジャスパー・リウスの曾孫であるユナ。レイテッド家の長男レイルズ。ラズワルドの長男ケイン」
ユナの名前を聞いて、私は少なからずどきっとした。カイヤ殿下に聞いた2人の恋バナを思い出したからだが、当のハウライト殿下は全く表情を変えることなく話を続ける。
「特にレイルズとケイン。2人とも、自分の父親に対して、少なくない不信感を持っていた。ケインの方は、いずれ寝首をかいてやると公言していたほどだ」
今の王国の上層部は、自分たちの親も含めてろくでもない奴ばかり。いつか代替わりしたら、この国を変えてやろう。親世代などお払い箱にしてやろう。
2人の話を聞いて、ハウライト殿下の胸にも未来への希望が芽生え始めた。
「本当に、あの頃の自分は楽観的だったと思うよ」
明るくなりかけた空気を、冬の冷気のように冷たい声で凍らせて、ハウライト殿下は最大級に重たいため息をついた。
「自分が信頼できる大人と友人たちに出会い、安穏と暮らしていた時に、血を分けた弟がどうなっていたのか、まるで知らずにいた」
私は身を固くした。……ひどい話が出てくることはたやすく予想がついたからだ。
連れ去られた殿下は、どこでどうして居たのか。犯人は誰なのか。その目的は?
息をつめ、話の続きを待っている私の前で、ハウライト殿下は特に口調を変えるでもなく淡々と言った。
「弟を誘拐した下手人――襲撃の実行犯ではなく、それを命じた男という意味だが、名はフェリオ・クォーツという」
クォーツ。王家の姓。つまり、その人の正体は?
「王妃の実弟。私とカイヤにとっては、血のつながった叔父。あの30年前の政変で兄たちと共に幽閉され、生きのびた唯一の王子だよ」