351 第一王子の真意
「本当に、すまなかった」
ハウライト殿下が謝罪する。
王都郊外の森のほとり。別荘地の外れにあるキレイなお屋敷。
それが今、私と彼が居る場所だった。
ハウライト殿下の説明によれば、所有者は叔母上様で、私と2人で話すためにわざわざ借り受けたらしい。
通されたリビングもキレイで居心地が良く、窓辺にはレースのカーテンが揺れている。その向こうには、美しい森の景色が広がっていた。
「どうぞ、お召し上がりください」
別荘の管理人だという老婦人が、優しくほほえみながら紅茶とお菓子を出してくれる。
先程までとは真逆の扱いに頭が追いつかず、いささか困惑しながら、私は目の前の王子様に問いかけた。
「私とお話しになりたかったとのことですが……」
「ああ、その通りだ」
とハウライト殿下。
「そして、このことは弟には秘密にしておきたかった。君が故郷に戻ると聞いて、ちょうどいい機会だと思った」
帰り道の途中でこっそり寄ってもらえば、カイヤ殿下には知られずに済むだろうと考え、
「あの男に、君を連れてくるようにと命じたのだが……。結果的にひどい目にあわせてしまったな。すまない」
「いえ、そんな」
私は慌てて首を振った。そしてクロムをぶん殴ってしまった件について、
「私の方こそ、すみませんでした」
と一応、謝罪した。
「君が詫びる必要は全くないと思うが? 完全な自業自得だろう」
や、そうなんだけど。誰が悪いかと言ったら、クロムが悪いんだけども。
腰の入ったパンチが、まともに入ったからね。鈍い音を立てて、後頭部から倒れ込んでいたし。……ぶっちゃけ、気絶してたし。さすがにちょっと、やり過ぎたかなー、って。
「カイヤが君を好いていると聞いて、嫉妬したのだろうな。だからわざと手荒な真似をした」
私はぱちくりとまばたきした。
「え、ってことはやっぱり……。あの人、殿下のことを……?」
ハウライト殿下は少し考えてから否定した。
「いや。おそらく、恋情とは違う。あの男はカイヤに信用されている。戦場では寝食を共にしていたほどだ」
仮にそんな気があったら、とっくの昔に手を出しているだろうと怖いことを言う。
「忠義というほど堅苦しいものではなく、友情よりは重い。強いて言えば身内の情に近いが――」
身内だったら、恋人ができたからって、いちいち嫉妬したりはしませんけどね。私が故郷で幼なじみと付き合ってた時も、弟や妹は我関せずだったし、母と祖母は普通に見守ってくれた。
祖父だけは露骨に機嫌が悪く、祖母によれば「可愛い孫娘をとられたのが面白くないんだよ」とのことだったが。
殿下はクロムの孫でも子供でも弟でもないし。やっぱり身内の情とは違うのでは? と首をひねるしかない。
「それは置くとして、本題に入ろう」
疑問の答えは得られなかった。まあ、あの人の話ばっかりしててもしょうがないしね。
「本題というのは、先日の――」
あの儀式の日、動く魔女の像やら見えない魔女やらと戦った後で、殿下が私に好意を告げた件、なのだろうか。
姿勢を正して問いかければ、
「そうだ。あの時は悪かったな」
とまた謝罪された。
「えと、悪かったな、というのは……?」
あの時、ハウライト殿下に何かされたっけ? 記憶を辿ってみても、特に思い当たることがない。
殿下は白い陶製のティーカップを持ち上げ、私にも紅茶を勧めてから答えを口にした。
「そもそもカイヤが君に好意を告げたのは、私があれに尋ねたからだ」
――女性として好いているのか、恋愛感情を持っているのか。
「本来、あんな場所で聞くべきことではなかった。結果的に、弟の想いは知れ渡り、君は隠れ住むことを余儀なくされた」
「それは……」
そういう言い方をすれば確かにハウライト殿下の責任みたいだけど、別にわざとそうしたわけじゃないんだし。
「いや。私はわざとそうした」
「は?」
「敢えて人目のある場所で問いただした、という意味だ。私が聞けば、どんな問いであれ、弟が答えざるを得ないことを知りながら――あれが君への想いを隠し、人知れず封じてしまわないように。弟の退路を断つためにそうした」
知的な鳶色の瞳が、クリア姫によく似たまなざしが、まっすぐに私の瞳の奥をのぞき込む。
「同時に、君の本心を知るためでもあった。大勢の人間に知られ、逃げ場のない状況に追い込まれた時、君がどうするのか。それでも想いをつらぬく覚悟があるのかどうかを確かめたかった」
って、ちょっと? 何か誤解してません?
「私と殿下は、別に恋仲というわけでは……」
「ああ、わかっている」
と遮るハウライト殿下。
「カイヤには君と恋仲になるつもりはないし、君の方はそれ以前にカイヤへの恋情がない。そういう認識でいいのだろう?」
「……はい。仰る通りです」
「だが、その気持ちは今後も変わらないものなのか?」
「え?」
「どうしても、あれではダメなのか? 立ち入った質問をして悪いが、何としてでも添い遂げたいと思っている相手が居るわけではないのだろう?」
居ませんよ。居ませんけどね。だからちょっと待ってくださいってば。
話の流れがおかしい。
まるで、私と殿下にそういう仲になってほしいと希望しているみたいな――普通に考えれば、そんなことありえないのに。
「私はただのメイドです。一般人です」
名家の出身じゃないし、後ろ盾も居ない。政略結婚とか嫌な話だが、私と殿下が結ばれることに政治的な意味はなく、この国にとってプラスになることもない、というのは単に事実である。
「普通は反対されますよね? たとえば、その、宰相閣下とか――」
私が殿下と付き合いたいなんて言ったら、きっと、いや確実に消されるだろう。実際クロムに誘拐された時は、その可能性が真っ先に浮かんだし。
「確かに、叔父は目的のためなら手段を選ばない人間だからな。君がそう考えるのも無理からぬことと言える」
ハウライト殿下は私の言葉を認めた後で、「だが、それは誤解だ」と続けた。
「まず、前提として。叔父はカイヤと君の仲に反対していない」
「ご冗談を」
「本当の話だよ。ずっと前に、叔父とは約束している。カイヤには政略結婚をさせない。あれが誰を選ぼうとも邪魔しないとね」
殿下には心から添い遂げたいと思える相手と幸せになってほしい。それが宰相閣下とハウライト殿下の共通の願いだったからだと説明する。
「私たちはカイヤに借りがある。幼いあれを救うことができず、一生消えない傷を負わせた。それは今さら取り返しのつかないことだが――」
せめてこの先の人生で、少しでもその痛みを贖えるように。
「あれの幸福のために、できることがあるならしようと決めている。そして想う相手と結ばれるというのは、一般的には幸福なことだろう?」
「……それは、まあ……」
口ごもる私に、ハウライト殿下はふっと笑って見せた。
「もっとも、弟はあの通り、いささか常識の通じない人間だ。一生恋愛などしないかもしれないし、仮にしたとしても、どんな相手を選ぶかわからない」
カイヤ殿下の笑顔もレアだけど、この人の笑った顔というのも、そういえばあまり見た記憶がない。
いつもはもっとこう、厳しい表情を浮かべてることの方が多いんだよね。とっつきにくいというより、厳格でスキのない感じ?
そんな親しみやすさとは無縁の人が、ふいに浮かべた気さくなほほえみは、もともと顔立ちが整っているせいもあって、かなりの破壊力だった。ショックで倒れる人が居るんじゃないかってくらいのレベルだった。
「果たして、カイヤがどんな相手を連れてくるのか。私も叔父も、不安に思っていた面があることは否めない。敵国の王女と添い遂げたいと言い出すかもしれない。ずっと年上の相手を選ぶかもしれない。そもそも、連れてくる相手が人間とは限らない」
その点、君は普通だなと言って、殿下はまた少し笑った。
「敵国人ではない。年頃もカイヤと合っている。人外の何かでもない」
人外って。いったい殿下が何を連れてくると想定してたんだろう。
護衛はカラスで、剣の師匠はドラゴン・ライダーで、ついでにご先祖は白い魔女で。
兄殿下の言葉通り、行動の読めない人でもある。結婚相手に人類以外の種族を選ぶことだって、絶対にないとは言い切れないけど……。
「重要なのは、カイヤが選んだ相手だということだ。私も叔父叔母も、それ以外の条件を求めることはない」
そこですうっと温度のない無表情になって、
「無論のこと、私たちの両親である現国王と王妃は、この件について口出しできる立場ではない」
外野のことは考えなくていい。ただ殿下と私、2人の問題として考えてほしいと告げる。
うーん、そう言われても。というのが正直な気持ちだった。
「私などでは全く、殿下と釣り合いませんし」
「それは弟が決めることだろう。……それとも、逆か? カイヤでは君にふさわしくないと暗に言っているのだろうか」
「違います! 全く言っていませんし、考えてもおりません!」
「気を遣わなくていい。あれは変わり者だからな。真っ当な女性には必ずしも好かれない」
「お言葉ですが、それは違うかと! 確かに常識に縛られない方ではありますが、とてもお優しいですし、人をよく見ていますし!」
真っ当な女なら、むしろその良さがわかるはずだ。
殿下は女性に対して威張ったり、怒鳴ったり、暴力を振るったりしない。このたった3つの条件だって、満たしていない男性の何と多いことか。
「その様子だと、あれを嫌っているわけではないんだな。……ならば」
1度、考えてみてくれないかとハウライト殿下は続けた。ひどく真剣な顔で、庶民娘の私に「頼む」とまで言った。
「私にできることがあれば何でもする。今後の生活は当然保証するし、君の家族の問題についても、力を尽くすと約束しよう。……だから、どうか。あれを、カイヤを、救ってやってはくれないだろうか」