345 姫君の決意2
「この国を……、離れる……?」
唖然として、たった今聞いた言葉をただ繰り返す私。
それってどういうことですか。姫様はまだ12歳ですよね? なのに、国を離れるって。
……まさか、禁断の恋に悩むあまり、世を儚んでしまわれたとか?
その年で修道院に入るとか言わないですよね。兄殿下への想いを断ち切るために、俗世を離れようと……?
「姫様……、そんなにも思いつめて……」
自分の想像にショックを受ける私に、
「いや、そうではない」
と冷静に否定するクリア姫。
「順番に話すのだ。まず、私と兄様は今、叔母様たちのお屋敷で暮らしている。兄様のお屋敷が壊されてしまったから、修理が終わるまではそうした方がいいと説得されて」
それ自体はもっともな話だ。
しかし宰相閣下と叔母上様には別の思惑もあった。
幼いクリア姫はもちろん、殿下の方も、もう少し安全性が高い、かつ第二王位継承者にふさわしい場所に住まいを移すべきだと。
「あのお屋敷はもう引き払った方がいいと叔父様たちは考えているようなのだ。時間があれば兄様を説得しようとして……」
その際、説得の材料として使われたのが、クリア姫の居住問題だった。
「クリアちゃんの住む場所をちゃんと決めてあげなくちゃ」と言われると、殿下は弱い。「クリアちゃんはまだ小さいのだもの。あなたも一緒に居てあげた方がいいわ」と言われると、もっと弱い。
「ってことは、このままお2人そろって宰相閣下のお屋敷に住むことになりそうなんですか?」
クリア姫は静かに首を振った。
「そうなったら、オジロ殿たちの仕事がなくなってしまうだろう?」
「あ、そっか……」
執事のオジロ、メイドのアイシェル、蔵書の整理・分類が仕事のニルスと、雑用係? のサーヴァイン。
彼らは非常に重たい事情を抱えていて、次の仕事を探そうにも、そう簡単にはいかないという話だった。
部下思いの殿下が、そうと知っていて彼らを放り出すはずがない。しかし妹姫のことも何とかしなければと悩み――それを見たクリア姫もまた、兄殿下に迷惑をかけてはいけないと悩むことになって。
「私は、兄様の負担になりたくない。どうすればいいのか、考えていた時だった」
宰相閣下のお屋敷に、一通の文が届いた。
差出人はマーガレット嬢。あの儀式の当日、従兄のアルフレッド・ギベオンと共に、「巨人が殿下を狙っている」という情報を持って訪ねてきたギベオン家のお嬢様だった。
「マーガレット様は今、どちらにいらっしゃるんですか?」
彼女がその後どうしているのか、私は知らない。儀式の翌日からずっと隠れ住んでいるので、政治的な動きについてはほとんど何も聞いていない。
「お屋敷に戻られたそうだ。兄様の話では、ご家族も一緒だと」
マーガレット嬢の伯父・ギベオン卿は逮捕された。
容疑は、王族の暗殺未遂事件への関与だ。ギベオン卿の弟で、マーガレット嬢の父親も身柄を拘束され、重要参考人として取り調べを受けている。
マーガレット嬢と姉2人と母親は、お屋敷に軟禁中。外部との接触を禁じられ、厳重に見張りをつけられた上で暮らしている。
「マーガレット殿とご家族は、おそらく国外追放になるだろうという話だ」
王国貴族の地位を剥奪され、強制的に異国に送られる。
「と言っても、形だけの処分だ。行き先は王国の友邦である東の国で、ほぼ今まで通りの生活ができるらしい」
身の安全は保証する。財産没収もしない。
それがあの儀式の日、殿下とアルフレッドが交わした約束だからだ。
寛大過ぎるほど寛大な処置だが、宰相閣下も認めたらしい。殿下が「自分の名に賭けて」誓いを立ててしまったため、仕方がない、と渋々折れたそうだ。
「マーガレット殿の手紙も、文面は明るかった」
そこには「まだ気が早い」としながらも、異国への憧れが綴られていた。
殿下の暗殺未遂事件については、まだわかっていないことも多いし、ギベオン家の処分だって確定したわけじゃない。
正直、本気で気が早いとは思うけど、まあポジティブなのは別に悪いことじゃないか。
貴族の地位も、五大家の名誉も失って追放されるのだ。普通のご令嬢なら、絶望して自死を考えたとしてもおかしくないくらいだし。
何ていうか、たくましいお嬢様だよな、と思う。
私があきれたり感心したりしている間も、クリア姫のお話は続いている。
「東の国といえば、エンジェラ姉様が留学していたこともある。音楽だけでなく、学術も盛んな国だ」
宰相閣下のご息女・エンジェラ嬢は、プロの演奏家である。東の国でひらかれた音楽コンクールで、優秀な成績を収めたこともあると聞く。
「もしかして、姫様も留学を考えていらっしゃるとか?」
さっき言っていた「国を離れる」とはそういう意味かと問えば、クリア姫はこくんとうなずいた。
「私は世間が狭すぎる。もっとたくさんのことを知り、学ぶため。……それに兄様と距離を置くためにも、悪い選択ではないと思う」
それは仰る通りかもしれませんが、姫様はまだ12歳ですし。今は色々と面倒な問題も起きていて――。
「無論、今すぐの話ではないのだ。兄様たちが大変な時に、自分だけ外国に行こうなどとは思わない」
先日の事件も含めて、国内のゴタゴタがある程度、落ち着いたら、兄殿下や叔母上様に相談しようと考えている、とのこと。
「早くても来年か、さ来年の話になるだろうか」
や、それでも早くないですか。くどいようだけど、クリア姫はまだ12歳なのに。
「エンジェラ姉様が初めて東の国に渡ったのは14歳の時だ。その時は3ヶ月ほどの短期留学だったそうだが、その気になればもっと早い時期から、もっと長期間の留学もできると聞いている」
王都の貴族の中には、10代前半で留学する人も居るらしい。無論、ある程度の財力があって、将来有望な子息・子女に限られるが。
「でも、そんな……。お1人で外国へ……?」
「1人ではない。ダンが一緒に来てくれると言った」
退屈したのか、私たちの足元で寝ていたダンビュラは、そこでわずかに顔だけ起こし、
「別に、俺はどこでも同じだからな。王国だろうが、東の国だろうが」
そっけないセリフに、しかしクリア姫は嬉しそうに笑って――それからすぐに真面目な表情に戻った。
「私は一応王族だから、留学となったら身の回りの世話をしてくれる侍女を連れて行くことになると思う」
当然、付き合いの長い、気心の知れた侍女がいい。
だが困ったことに、クリア姫にはそういう存在が居ない。王妃様の離宮のメイドたちとは親しくしているものの、彼女たちは皆、隣村の主婦だ。さすがに遠い異国まで引っ張っていくわけにはいかない。
「もしも、エルが一緒に来てくれたら――」
何気なく、本当に何気なく口にされた言葉に、私は息を飲んだ。
「私はとても嬉しい。心からそう思っている」
「姫様……」
思わず両の目を見開くと、クリア姫は慌てたように首を振った。
「ああ、誤解しないでほしい。一緒に来てくれ、と頼みに来たわけではないのだ」
知っているから、とクリア姫は続けた。
私がメイドになったのは、メイドの仕事そのものがしたかったからではなく、父親を探すという目的があってのことだと。
「今はまだ、先のことを考えるどころではない、ということもわかっている。まずはファイ殿を見つけて、父上の体を取り戻さなくてはならないからな」
今、殿下の部下の人たちが逃げたファイの行方を追っている。
それにダンビュラも、儀式の翌日に「魔女の霊廟」に出向き、匂いを手がかりにあの男の足取りを追ってくれたんだそうだ。
「途中までな。あの野郎、王都の周りを無駄にうろうろしやがって――」
どこかに留まっていてくれれば追いつめることもできたのだが、なまじ長距離を移動したために途中で匂いが薄れて、追えなくなってしまった。
ただ、足取りがわかれば、それを元に聞き込みもできる。
ダンビュラが匂いを感じた場所を殿下の部下たちが探したところ、いくつかの目撃情報が出てきたらしく。
「待っていてくれ。今、兄様にくわしい話をしていただくのだ」
ダンビュラを連れて、部屋から出て行こうとするクリア姫。その後ろ姿を見つめながら。
留学、留学かあ、と私は頭の中で繰り返していた。
姫君に仕える侍女として外国に行くだなんて、そんな選択肢が自分にあるとは思わなかった。
確かに、今すぐ答えを出せることではないけれど。
姫様は私を信頼して打ち明けてくださったのだ。ならば私も、ちゃんと真面目に考えなきゃいけないだろう。
いろんな問題が片付いて、先のことを決められる時が来たら、きっと――。