343 無法者の弱み2
椅子から立ち上がったアイオラは、無言でずんずん距離をつめてきた。
そのままつかみかかってくるかと思いきや、私の横を通り過ぎ、再び酒蔵へと下りていってしまう。
程なく戻ってきた彼女の手には、ウイスキーが片手に2本ずつ、計4本。
またどっかりと椅子に腰を下ろし、両足をテーブルに上げて、酒瓶を傾ける。
……どうやら、私の存在自体を無視することに決めたようだ。
その態度には腹が立つが、殴られずに済んだのは幸運だったと思うべきなのかもしれない。
歴戦の傭兵の拳をくらったら、私など一撃で昏倒、下手したら即死だろうし。
ここは黙って立ち去ることにしよう。……ああ、でも、あの美味しそうなケーキ……。
後ろ髪を引かれながら食堂を出ようとすると、
「待ちな」
アイオラが呼び止めてきた。
「あんた、あの男と会ったんだってね」
そう尋ねるアイオラの顔には、先程までの揶揄するような色はなく、既に酒瓶を2本空けているにも関わらず、酔っ払っているようにも見えなかった。
真顔で普通に問いかけられて、
「……あの男?」
と私は首をひねった。
アイオラは構わず話し続ける。
「あいつが隠したがってたことも全部バレちまったんだってね。……まったく、馬鹿なことをしたもんだよ。聞き出して落ち込むくらいなら、おとなしく騙されとけばよかったのにさ」
「あの……」
何の話だかわからない。そもそも、あの男とはどの男だと尋ねれば、
「察しの悪い小娘だねえ」
とわざとらしく嘆息された。
「例の賞金首だよ。『巨人殺し』とかいう大層な名で呼ばれてた」
ああ、と私は理解した。
アイオラは「巨人殺し」のゼオと会っている。1度は捕まえて、賞金は自分のものだと息巻いていた。
なのに、ゼオは逃げてしまった。閉じ込められていた倉庫から――その所有者はアイオラである――忽然と姿を消したのだ。
その経緯には、殿下も首をひねっていた。
あのアイオラが、みすみす賞金首を逃がすなんておかしいと。
セドニスはおかしいというだけでなく、多分わざと逃がしたんだろうとも言っていた。その理由については不明だが、
――逃げた男によほどの事情でもあれば、万にひとつ、情に流されたということもありえますが――
確か、そんな風には言ってたっけ。
ゼオの事情、あの男が抱え込んでいた秘密は、確かに「よほどの事情」と呼ぶにふさわしいものだ。
でも、それが果たしてアイオラに通じるだろうか? セドニスの言うように「情に流されて」なんてあり得るだろうか?
それ以前に、ゼオがぺらぺらと秘密をしゃべるとは思えない。
全てが腑に落ちなくて、
「あの人に何か聞いたんですか」
と話を振ってみる。
アイオラは驚くほどあっさりうなずいた。また酒瓶を傾けながら、
「言ってやったのさ。あんたがいくら秘密を守ろうとしても、王族連中には通用しないってね」
なぜなら王城の奥、王族のみが立ち入ることのできる宝物庫に、全ての偽りを見抜く「真実の鏡」があるからだ。
その鏡の前では、偽証も沈黙も意味を為さない。あらゆる真実が白日のもとにさらされる――。
話を聞いて、私は興奮した。
「それって、魔女の七つ道具ですか!?」
あの白い魔女の杖と同じ王家の秘宝なのかと問えば、アイオラは軽く眉をひそめて「何だい、そりゃあ」と聞き返してきた。
「そんなヤバイもんがあるわけないだろう。仮にあったとしても、とっくの昔に叩き割られてるだろうさ」
お偉いさんほど、後ろ暗い秘密を山ほど抱えているものだから――と肩をすくめて見せる。
「……え? ってことはつまり……。口からデマカセ……?」
「嘘も方便って言うだろうが」
「…………。あの人、それを信じたんですか」
「アタシの話術が巧みだったからねえ。そりゃもう、真っ青になって許しを乞うてきたよ」
意外にマヌケだな、ゼオ。世慣れて見えたけど、そうでもないんだろうか。あるいは単にアイオラの方が上手だっただけか……。
「絶対に本当のことを知られるわけにはいかない、何でもするからどうか見逃してくれってね」
アイオラは全く応じる気などなかった。その「本当のこと」とやらにも興味はなかったが、
「あの時は暇だったしね。退屈しのぎに聞いてやろうと思ったのさ」
酒瓶を傾けながら、ゼオの告白に耳を傾け――そして7年前の顛末を知ることになったのだ。
「……どうして、今まで黙ってたんですか」
こちとら当事者だぞ。他人の家の事情を暇つぶしに聞き出したというのもさることながら、そんな重大な秘密を知りながら、今の今まで知らん顔をしていたというのが許せない。
アイオラは私の怒りに冷たく目を細めて、
「やれやれ。親の心子知らずとはこのことだね」
と吐き捨てた。
「あんたの親父は、何の理由も考えもなしに秘密を作ったのかい? そうじゃないだろう?」
「…………」
「自分が親を犠牲にして生きのびたとか、くよくよ悩むあんたを見たくなかったんじゃないのかねえ」
ちょうど今みたいにと指差されて、私はぐっと下唇を噛んだ。
……そのくらい、偉そうに言われなくたってわかってる。
父は私に重荷を背負わせたくなかったんだろう。
何も知らなければ、娘は普通に暮らせる。自分のことなど忘れて、幸せになってほしいと。
父はそう願った。……わかってる。わかっていますとも。
それでも、納得できるかどうかといったら――。
「アイオラさんの目には、私が親不孝な娘に見えるのかもしれませんけど」
見えるだけでなく、事実そうなのだとしても、
「子供にだって心はあるんです。何も知らずに助けられるだけ、なんて受け入れられませんよ」
はん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らすアイオラ。その憎たらしい横顔を見ていたら、ついさっきセドニスに言われたセリフが頭に浮かんできた。
「うちの父は、別に死んでしまったわけじゃないんです」
昏睡状態になった上、迷惑な魔女オタクの元王様に体を持ち逃げされただけだ。
「そのくらいであきらめたりしません。必ず、助けてみせます。そのための方法だってどこかに――」
ある、と信じたい。
ぶはっとアイオラが吹き出した。
「ついさっきまで暗い顔して落ち込んでたくせに、言うもんだねえ」
「はあ!?」
「しかも、全部うちの息子の受け売りじゃないか。自分の頭じゃ何も考えられないのかい?」
……は? 今なんて言った。
全部うちの息子の受け売り? ……なんで、この人にそんなことがわかるんだ。
セドニスから話を聞いた、わけがない。時間的に、そんな余裕はない。
「まさか……」
さっき、来客用の個室で、私が話したこと。
実は盗み聞きしてたとか言わないだろうな。仮にも客のプライバシーを何だと思って……。
「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ」
アイオラは全く悪びれない。どころか、私の方が悪い、と咎めるような目を向けてきた。
「あの第二王子をたらし込んだっていうヤバイ女が、今度はうちの息子にちょっかい出さないか、親として案じただけじゃないか」
盗み聞きではなく、正当な権利だと主張する。
うん、わかった。
この人にまともな理屈は通じない。
キレよう。キレてしまおう。もういいかげん、我慢も限界だ――。
私が腕まくりしてアイオラをにらみ、彼女も嬉々としてケンカに応じようとした、そのタイミングで。
「失礼します」
食堂のドアが開いた。
そこに立っていたのは、黒スーツの銀髪紳士。
ホールで働くウエイターさんの1人で、優しく面倒見が良く、かつ仕事のできる人だ。カクテルを作るのが上手で、何度かご馳走してくれた。
彼はつかみ合いを始める1秒前、という私とアイオラの状況を見てもまるで動じることなく、
「エリーさんにお客様が見えていますよ」
とにこやかに言った。
「……お客様?」
「誰だい? 殿下の遣いの奴か? それともこの小娘を始末しに来た宰相の刺客かい?」
刺客は客ではないし、仮に来たとしてもお店の人に取り次ぎを頼んだりはしないと思う。
……などという突っ込みは、銀髪紳士の答えでどこかに行ってしまった。
「いえ、遣いの方ではなく、カイヤ・クォーツ殿下ご自身です。妹君のクリスタリア姫殿下もご一緒ですよ」