341 あきらめるのはまだ早い
それで用は済んだと立ち去るのかと思ったら、セドニスはあらためて椅子に座り直し、私の顔を正面から見つめてきた。
「ひとつ、疑問があるのですが」
「……? 何ですか?」
「あなたの父上のことです。先日あなたが話してくださった『真相』を、自分なりに整理してみたのですが――」
どうにも腑に落ちないことがある、とセドニスは続けた。
7年前、シム・ジェイドは重傷を負った娘のために、残りの人生を魔女に差し出した。昏睡状態となった娘を目覚めさせるため、身代わりに自分が眠りにつくことを選んだ。
それの何が疑問なのかと問えば、
「あなたは魔女のおとぎ話を読んだことがありますか」
と逆に質問された。
「子供の頃に読みましたけど……、セドニスさんは読んでないんですか?」
あのおとぎ話は、王国民にとっては必修科目みたいなものだ。王国に生まれた子供なら、誰でも寝物語に聞かされる。
「あいにく、1度も」
……まあ、何事も例外はある。アイオラは子供に絵本とか、買わないタイプかもしれないし。
「確かに義母に買い与えられたのは主に商売の本でしたが、そもそも自分は王国の生まれではありません」
「そうなんですか」
「ええ、おそらくは。義母と出会ったのは、南の国との国境線に近い小さな街です。そこに流れ着く以前の記憶は定かではありません」
「…………」
何やら重たげな生い立ちをさらりと流し、
「ですから、魔女に関する知識も多くはありません。あのおとぎ話については他の書物に引用されることも多いので、あらすじ程度は一応知っていますが……」
くわしくはない。だから自分の認識が間違っているかもしれないと前置きした上で、
「魔女に支払う『代償』というのは、本来、かなえられる願いと等価であるべきなのでは?」
「それは、まあ……」
多分そうだろう。国を守る代償が人間の心臓だったり、かと思えば「水晶の塔に100年閉じ込められる」ことになったり、魔女の裁量で変わることもあるから、正しく等価かどうかはかなり疑問だが。
小さな願い事には小さな代償、大きな願い事には大きな代償。だいたいそんな感じにはなっているんじゃないかと思う。
「で、あるならば、あなたの父上は対価を払い過ぎでは?」
迷いなく言い放たれて、
「え、それはどうして……」
と聞き返せば、セドニスは物わかりの悪い子供を見るような目になった。
「あなたが未来永劫、目覚めないかどうかなど、7年前の時点でわかるはずがないからですよ」
医者にも見放された患者が、奇跡的に回復することだってある。
7年前の私も、ひょっとしたら1ヵ月かそこらで目を覚ましたかもしれないのに、いったい何を根拠に、魔女は代償を決めたのか。
「先のことなど誰にもわかりませんよ。この国の『魔女』が全知全能の神だとでもいうなら話は別ですが」
そうなのかと問われて、さすがにそんなはずはないと答える私。
「でしたら、あなたの父上は払い過ぎた分を返却するよう、魔女に請求する権利があると言えるでしょうね」
や、返却とか権利とか、お金の話じゃないんだからさ。魔法という神秘の世界のことだから。
「果たしてそうでしょうか?」
セドニスは冷たく目を細めて、
「娘を救いたいという親心につけ込んで、法外な対価を要求するなどと。率直に言って、反社のやり口ですよ」
神秘が聞いてあきれる、と吐き捨てる。
「セドニスさん……」
私は戸惑いながら尋ねた。「もしかして、怒ってます?」
セドニスは否定しなかった。
「商売人の義母に育てられましたので、真っ当とは呼べない商取引に関しては憤りを覚えます」
だから魔女の願いは「商取引」じゃないし、アイオラが「真っ当な商売」を重んじるタイプかどうかも激しく疑問だが、
「えと、ありがとうございます……」
気持ちは一応嬉しかったので、頭を下げておく。
「何のお礼ですか?」
何って、そんなの決まってる。
「うちの父のために怒ってくれたんでしょう?」
セドニスは違いますよとあっさり首を振った。
「あなたが、らしくもなく自己否定に陥っているのを見て、少しばかり腹が立っただけです」
7年前の真相を知って以来、「父がこんなことになってしまったのは私のせいだ」と、自分を責め続けているのではないかと問いつめられて。
何か答えるより先に、セドニスは続けた。
「そんな暇があるなら、もっと役立つことを考えたらどうですか」
過去を悔いるより先に、現状を打破する道を。
「あなたの父上は、別に亡くなられたわけではないのですから」
自分であれば、アイオラが昏睡状態になったくらいで絶望しない。助けるのをあきらめたりはしないと語気を強める。
昏睡状態になったくらいで、とは随分と乱暴な言い方だし、うちの父はその上さらに魂だけの先代国王に体を持ち逃げされてしまったというオマケつきである。
助ける方法なんて思いつかない。そんな方法があるのかどうかもわからない。でも。
「もしかして、励ましてくれてるとか……?」
セドニスはまた違いますよと言った。
「単に、自分の考えを述べたまでです」
そうかなあ。この人って一見そっけないけど、実は結構、親切なところもあったりするんだよね。
お店の人たちにも信頼されてるみたいだし。逆に彼らのことも良く見てるし。
オーナーのアイオラがああいう……ちょっとアレな人だから、お店の人たちは何か困ったことがあると、まず彼を頼る。相談する。
いわばオーナー代理とでもいうのかな。
まだ20代半ばくらいで、年齢的にはかなり若いのに、既に社会人としてはベテランの風格をただよわせている。
私も、初めてこの店を訪れた頃から、彼のことはわりと信頼してた。
客商売にしては物言いが率直過ぎるという欠点はあれど、逆にいえば正直で、物事の筋はちゃんと通そうとする人だから。
そんな彼の叱咤、もしくは励ましは、私の心にかすかな風を吹かせていた。
確かに、7年前の事件の真相を知って以来、私はへこたれていた。
鬱々として、自分を責めるばかりで、現状を打破する道どころか、意味のあることはほとんど何も考えていなかった気がする。
ショックだったから。……多分、傷ついてもいたから。自分の心を守るため、一時的に逃げを打っていたのだと思う。
そうやって沈み込んでいる間は、先のことを考えずに済むからね。
でも、そろそろ時間切れらしい。顔を上げて、前に進まなければならない時が来たようだ。
「……1度、実家に戻ろうと思うんです」
と私は切り出した。
家族に会って、記憶を取り戻したことを打ち明けて、そして話し合いたい。
父のことだけじゃなく、私自身のことも。7年前から今日までのことをきちんと整理して、まだ知らないことがあるなら教えてもらいたい。もう何も隠したりしないでほしい。
……もしかすると、けんかになってしまうかもしれない。
家族だってつらかったはずだ。別に、1人だけ被害者ぶるような真似をする気はないけれど。
それでも、父が私を助けるために身代わりになったと聞いて、じゃあ父の分まで幸せに生きましょうとか、割り切れるほど私は器用じゃないから。
話したいのだ。家族と。
けんかして、互いに言いたいことを言い合って、どうするのが1番いいのか、みんなで決めたいと思う。
「なるほど。いいのではありませんか」
とうなずくセドニス。
「あなたの故郷は、大街道沿いに王都から3日でしたね。必要なら、当店で護衛を手配しますよ」
やっぱり、何だかんだで親切だよな、この人。
お礼を言っても、どうせ素直に受け取ってはくれないだろうし……。感謝は胸の内だけにとどめて、私は「お願いします」と頭を下げておいた。