339 新米メイド、匿われる4
以来、私はこの店で暮らしている。
偽名を使い、素性を偽り、人目を忍んで隠れ住んでいる。
外出もできない、自分から誰かに連絡を取ることもできない、不自由な暮らしは今日で1週間。そこに不安がないとも、ストレスがないとも言えないが――。
「はい、お疲れ! 腕によりをかけたから、たっぷり食べておくれ」
その日の賄いは、料理長さんの特製サンドイッチ。憩い亭の看板メニューのひとつだった。
ローストチキンにスモークサーモン、クリームチーズにアボカド……と、豪華な具材が挟まっている。玉ネギのスライスと薫り高いハーブも添えられている。
「いただきます」
と手を合わせてから、厚切りのパンにかぶりつく。
スモークしたサーモンの芳しさ。アボカドのこってり感。クリームチーズのさわやかな口当たりとハーブの香り。全てが完璧に調和している。
私が夢中で食していると、頭上から声が降ってきた。
「あなたはまた、こんな所で……」
視線を上げれば、いつのまにかセドニスが厨房に姿を現していた。
「ふぇどにふはん」
と私は呼んだ。
「おや、昼食かい?」
料理長さんも声をかける。
「違います。彼女を探しに来たんですよ」
姿が見えなかったので、と言って、じと目で私を見下ろす。
「あなたはご自分の立場がわかっていらっしゃいますか。ここに隠れ住んでいるという自覚があるのですか?」
「まあ、そう神経質になることもないじゃないか」
何か答えなければ、その前に口の中の物を飲み込まなければと焦る私の代わりに、料理長さんが答えてくれた。
「誰かに狙われてると決まったわけじゃない。念のため、姿を隠してるだけなんだろう?」
「だとしても、万一ということがあります」
セドニスはきっぱり言い切った。
「彼女の身に何か起きては、この店の信用問題になります。本当はおとなしく部屋に居ていただきたいのですが……」
彼の言う部屋とは、いわゆる隠し部屋のことである。
アイオラは報酬さえ積めば危険な仕事も引き受ける。これまでにも、わけありの人間を匿うことが何度かあったらしい。
たとえば、政治的なゴタゴタに巻き込まれて身を隠さなければならなくなった貴族とか、名家の後継ぎとか。
そうした貴人の受け入れにも対応したその部屋は、手狭ではあってもキレイなもので、調度品とか何気に立派だった。
私がおとなしく部屋に居なかったのは、別に居心地が悪かったからじゃない。
お店の人たちはみんな親切で、私が退屈しないようにと本を差し入れてくれたり、三食どころか夜食やおやつまで持ってきてくれたり……。それこそ貴人みたいな扱いを受けたし。
むしろ快適過ぎて申し訳なくなったので、数日前からこうして手伝いをしているのだ。……あとは私の性格的に、働かずにゴロゴロしているだけ、っていうのが落ち着かなかったのもあるんだけど。
「すみません、セドニスさん」
ようやくサンドイッチを飲み込んだ私は、殊勝に頭を下げた。
「食べ終わったら戻ります。掃除と片付けの続きもちゃんとしますから」
「……そちらはもう結構ですよ。この1週間で店の奥はほぼキレイになりましたので」
それより、話があるから来てくれ、とセドニスは続けた。
「話?」
「はい。お忘れかもしれませんが、当店はあなたに依頼を受けています」
お父上の件で、と付け加えられて、私は固まった。
もう2ヶ月近く前のことになるが、私は「魔女の憩い亭」に仕事を頼んでいる。
行方不明の父を探してほしい。7年前、故郷で起きた事件の真相が知りたい、と。
その父が見つかった――という話は既に伝えた。およそ1週間前、この店に来てすぐの時に。
それは父の体を持ち逃げしたファイを探してくれ、とあらためて依頼を出すためではない。
7年前の事件の真相は、私にとって少なからずショックなものだったから。
誰かに聞いてほしかったのだ。急に記憶が戻った混乱もあったし、頭を、気持ちを整理するため、冷静な第三者の意見がほしかった。
セドニスは事件のことを知っている。口は悪いが、信用できる人だということも知っている。
だからつい、ぶちまけてしまった。
今にして思うと、いささか思慮を欠いていたと思う。
話の途中で、興奮して涙が出てしまったりもしたし。……泣いたのではない。「興奮して涙が出た」のだ。そこは誤解なきよう、お願いしたい。
セドニスは黙って話を聞いてくれた。私が言葉につまっても急かしたりせず、静かに耳を傾けてくれた。
そして話が終わると、「なるほど、わかりました」と言って、すぐに出て行ってしまった。
その後も何か言ってくることはなく、これからどうするのかと聞いてくることもなく。
だから私は、この件はそれで終わったのかと思っていた。つまり「父が見つかったから、依頼の件はなかったことに」的な話になったのだと。
「えっと……。まだ何かありましたっけ?」
セドニスは「やはりお忘れでしたか」と言って、持っていた黒カバンの中から分厚い封書を取り出した。
「これに見覚えは?」
「それ……」
何だっけ、とすぐにはぴんとこなかった。
が、「宰相閣下の――」と言われて思い出した。
私とクリア姫が火事でお城を焼け出され、殿下のお屋敷に住むことになって間もなく、閣下が持ってきたものだ。
中身は「情報」である。私の父、シム・ジェイドについての情報。宰相閣下が、その情報網を駆使して集めたもの。
「この中に出てきた『新事実』について、当店で確認するというお約束だったでしょう?」
……そういえば、そうだったかもしれない。
父が姿を消す直前、言葉を交わしたとおぼしき人物が今現在も王都に居る。
その人は父の幼なじみで、クンツァイトが運営する孤児院の職員で、身寄りをなくした子供たちのために働いている。
できれば会って話を聞きたいところだが、クンツァイトは私を利用しようとして、誘拐までした家だ。その「孤児院」というのも、暗殺者養成を家業としているクンツァイトの隠れ蓑かもしれない。
直接、私が会いに行くのは危険だろうと、憩い亭に追加の調査を頼んだのだ。
セドニスは「思い出していただけましたか」と冷ややかに言った。
や、思い出したけど……。
父が失踪した理由がわかった今となっては、あまり意味のない依頼だったかもしれない。
無駄手間をかけさせてしまってすみません、と謝るべきだろうか?
こちらの迷いには構わず、セドニスはさっさと背中を向けて厨房から出て行ってしまう。
「調査結果をご報告しますので、こちらへ」
「ちょ……、待ってください」
私は慌てて彼の後を追った。
「ごちそうさまでした。今日もすっごく美味しかったです」
と料理長さんにあいさつして。夜もまたお皿洗いをしますから、と言い残して。
優しい料理長さんは、「無理しなくていいよ」と笑って見送ってくれた。