333 人の親とは2
居心地のいい居間に案内され、メイドたちと再会を喜び合い、心づくしの歓迎を受けながら、彼女らの近況報告に耳を傾けて。
訪問の用件を切り出す頃には、たっぷり1時間は経過していた。
「すまない。母上に取り次いでもらえるか?」
メイドたちの笑顔が、一様に曇った。
「王妃様はこのところずっとご気分がすぐれず、どなたともお会いになりたくないとの仰せで……」
代表して口をひらいたメイド長に、
「母上の都合など知らん。用件が済むまで帰るつもりはない、と伝えてくれ」
きっぱりそう告げると、メイド長は引くでも驚くでもなく、「おや、珍しい」と言いたげな顔をした。
「よろしいのですか?」
「ああ、構わん。どうも俺は母上に気を遣いすぎていたようだ」
政治嫌いの母親のもとに、王都のイザコザを持ち込むべきではない。それ以前に自分は好かれていないのだから、できるだけここには顔を出さない方がいいと思っていた。
だが、よくよく考えてみれば、おかしくないだろうか?
母親は自分の好きに生きているだけで、こちらに気を遣ってくれたことなど1度もないというのに。
なぜ自分は、母親の意向に沿って行動しているのだろう。
優しさでもいたわりでもないことはわかっている。優しくしたい、いたわりたいと思うほど、自分は母に愛情を感じていないからだ。
で、あるにも関わらず、親の希望はかなえてやることが正しい、と心のどこかで思い込んでいた。
それに気づけたのは多分、「彼女」のおかげだ。
自分と母の関係について色々と話した際、それはおかしい、とはっきり言ってくれた。
脳裏をよぎる、長く白い髪。まっすぐにのびた背中。けして高身長というわけではないのに、彼女の立ち姿には目を引く存在感がある。
思えば、最初に好感を抱いたのもそこだった。姿勢の良い娘だと。台所に立ち、きびきびと働く彼女を見ながら思った記憶がある。
意志の強そうな瞳も、聞き取りやすい声も、笑った顔も怒った顔すら、思い出すと頬が熱くなる。
胸が波打ち、ふいに世界が明るくなったような、まぶしいものを見るような心地にさせられる。
それが恋情と呼ばれるものだと、つい先日、自覚して――。
以来カイヤは、ずっと罪の意識に苛まれている。
――俺はおまえに好意を持っていたらしい。
自分の立場で、あんな人目のある場所であんなことを言ってしまったら、後で問題にならないはずがない。
騎士たちにはクロサイトが箝口令を敷いてくれたものの、噂はその日のうちに広まっていた。
宰相を務める叔父には「どういうことか、ゆっくり説明してくれる?」と笑顔で責められたし、叔母には「ついに愛に目覚めてくれたのね! おめでとう!!」と逆に祝福された。
悪いことは言わないから考え直せと、屋敷に押しかけてきたのは幼なじみのケイン・レイテッドだけではない。
一応は味方ということになっている者たち――救国の英雄に自分の娘を嫁がせたいとひそかに狙っていた貴族たちからも、露骨に探りを入れられた。
カイヤは誰とも婚姻を結ぶつもりはない。
将来的に、自分の子と兄の子の間で王位を争う事態になっては困るし、そもそも「婚姻」自体に魅力を感じていない。
それは好意を自覚しても同じことだ。
いや、自覚したから尚更、恩人であり妹の信頼するメイドでもある彼女を、王家の厄介事に巻き込みたくはなかった。
彼女にはあらためて深く謝罪したいところだが――。
あれ以来、関係各位への弁明に追われて、肝心の本人と話す時間がとれていなかった。
王都に戻ったら、できるだけ早く会いに行こう。そして今後について相談しなければならない。
彼女の身の安全を考えるなら、ほとぼりが冷めるまで王都から離れてもらうというのもひとつの手だ。
無論、ファイ・ジーレンことアダムス・クォーツに持ち去られた彼女の父親の体を取り戻し、問題を全て解決した上で――。
眉間にしわを寄せて考え込んでいたからだろう。
「どうかなさいましたか?」
とメイド長が声をかけてきた。
「ああ、いや。何でもない」
母上を呼んでくれ、とあらためて頼むと、メイド長は一礼して奥に下がった。程なく戻ってきて、「おいでになります」とまた一礼。
来ると言ったのか。……まあ、予想通りだ。
あの人は来客に会うのを嫌うが、来客に居座られるのはもっと嫌う。
さっさと追い返すには用件を済ませてしまう他ないと思わせれば、嫌でも姿を見せるはず。
「お支度には時間がかかるでしょうから……」
どうぞごゆっくりお待ちくださいと言って、メイド長は冷めた茶を淹れ直してくれた。
「新作のお菓子もございますよ。ふもとの村で採れた新鮮な夏野菜を生地に練り込んだ焼き菓子でございます」
「ありがとう、メイド長」
また温かいもてなしを受け、メイドたちと歓談しながら待っていると、さらに1時間ほどで王妃が現れた。