331 今日1番の
魔女の像は動きを止めていた。
……私は現場に居たわけではないので、後から聞いた話だが。
首から上を失い、両腕を失っても、魔女の像は止まらなかった。なおも激しく暴れ回っていたそうだが、ある時ふいにぴたりと固まったかと思うと、ゆっくりと倒れていったらしい。
あの見えない魔女を倒したことで、魔法が解けたのだろうか。本当に何の前触れもない、唐突な最後だったという。
轟音を立てて地面に落ち、足や胴体も自重によって崩れ落ちて。
今は瓦礫の山となって大地に転がっている。もはやぴくりとも動くことはない。
騎士たちが歓声を上げている。互いに健闘をたたえ、勝利を喜び合っている。
その中心には、互いの無事を喜ぶハウライト殿下とカイヤ殿下が居た。
より正確に言うと、弟の方が兄の体にしっかりとしがみついている。
……最初、泣いてるんじゃないかと思った。
実際には違ったんだけど、そうであったとしてもおかしくないくらい、その時のカイヤ殿下は取り乱していたし、何だか弱々しくも見えたのだ。
「もういいかげん、落ち着け。子供でもあるまいに」
お説教めいた口調とは裏腹に、ハウライト殿下は弟の頭をなでてあげている。それこそ、小さな子供にするみたいに優しく。
「兄様!」
そこにクリア姫が駆け寄って、兄と弟の抱擁から三兄妹のそれに変わった。
――ああ、よかった。
ほほえましい光景に、私は自然、笑みを浮かべていた。
周囲の騎士たちも同じだ。みんな笑っている。日頃は仲の悪いクロムとダンビュラまで、笑いながら何か冗談でも言い合っているみたいだし。
「本当にもう動かなくなったのでしょうか? 念のため粉々になるまで破壊しておきますか?」
ジェーンだけはまだ武器を振り上げていて、クロサイト様に止められている。
殿下の護衛だというカラスたちは――居ない。いつのまにか、どこかに飛んでいってしまったようだ。
ただ、森の奥からかすかに、「アホー」と鳴く声が聞こえた気がした。
なんとなくそちらに耳をすませていると、
「エル・ジェイド!」
殿下が駆け寄ってきた。息を弾ませ、怖いくらい真剣な目をして、「無事か? ケガはないのか」と聞いてくる。
「大丈夫です。ちょっと、色々、疲れましたけど……」
巨大な石像につかまったり、見えない魔女と(人知れず)戦いを繰り広げたり。
ちょっとどころか本気でくたびれたが、殿下と姫様が無事ならそれでいい。
「…………」
殿下が口を閉じる。かすかに熱を帯びたまなざしで、じっと、穴が開くくらい私の顔を見つめてくる。
あんまりにも凝視されたので、「あの、何か?」と尋ねると。
「あ、ああ。すまない」
殿下はなぜか小さく息を飲み、それからせわしなく視線をさまよわせた。
「別に何でもない。おまえが無事でよかったと、そう思っていただけだ」
「はあ」
「よかった……、本当に……、無事で……」
そんな、私のことなんてそこまで気にしなくても。せっかくの感動的な場面なんだし、もうちょっと兄妹水入らずで無事を喜び合っていればいいのに。
そう思ったのは私だけではなかったようで、さっきまで歓喜にわいていた騎士たちの中にも、少し怪訝な顔でこっちを見ている人が居る。
殿下は気づいていない。また私の顔に視線を固定して、
「おまえが魔女の像に連れ去られるのを見た時は、生きた心地がしなかった」
なんて宣う。
いや、それは私と「ハウライト殿下が」さらわれるのを見たからですよね?
殿下は部下思いだから、私のことも心配してくれてたみたいだけど、比重が重いのは明らかに兄殿下の方だったよね。珍しく狼狽してたし。
「……随分と、彼女のことを気にかけているようだな」
そのハウライト殿下までが、そんなことを言い出した。周囲の騎士たちとよく似た表情を浮かべて歩み寄ってくると、
「もしや、個人的に親しくしているのか?」
や、違いますよ。殿下が気にかけていらっしゃるのはあなたのことで、私なんてオマケみたいなものでして。
カイヤ殿下は兄殿下の質問の意味がよくわからなかったらしく、少し不思議そうな顔をしながら、それでも返答した。
「確かに、親しさは感じている。彼女は俺が雇ったメイドだが、仕事上の関係だけでなく、友人のようにも思っている」
ありがたいお言葉である。ただ、ハウライト殿下の質問とはズレている。
「……率直に尋ねた方がいいようだな」
ちょ、待って。待ってくださいよ。
それって今、ここで聞かなきゃいけないことではないですよね?
そもそも誤解だし。殿下と私が特別親しいとか、そんな事実は全くないですから。
――兄様がエルに好意を持っているのではないかと思ったのだ。
なんてセリフを、実はつい昨日、クリア姫にも言われたりしたんだけど。
それは誤解なのだ。思い違いなのだ。兄のハウライト殿下にまで、同じ誤解をされては困る。
しかしハウライト殿下は、私の言葉など聞いてはくれなかった。
「あの」
口を挟もうとしても、「少し黙っていてくれ」とあっさり遮られてしまう。
「ハウル兄様……」
クリア姫も助け船を出そうとしてくださったようだが、ハウライト殿下は「後で聞く」とにべもない。
「兄上?」
戸惑う弟を、ハウライト殿下は真面目な、とても真面目な顔で見下ろして、
「私が聞きたいのは、おまえが彼女に好意を持っているのかどうかだ」
「……好意?」
「そうだ。念のために言っておくと、人として好ましく思っている、という意味ではないぞ。女性として好いているのか、恋愛感情を持っているのかと聞いている」
「…………」
「恋愛感情だ。さすがに、意味くらいはわかるな?」
「………………」
沈黙は長かった。それはそれは長かった。
って、何なのこれ。
なんでこんな話の流れになってるわけ???
周りの人たち、みんな聞いてるし。
騎士たちは息をつめて。
クロサイト様とジェーンは無表情で。
ダンビュラは興味津々、クロムは引き気味に。
クリア姫は心配そうに、そしてハウライト殿下は変わらず真面目な顔で、黙り込むカイヤ殿下に注目している。
「彼女は――」
やがてカイヤ殿下は、ぽつりとつぶやくように答えを口にした。
「彼女は、俺の恩人だ」
はい? ……いや、逆でしょう。
殿下が私の恩人なのだ。何の見返りもないのに、父の行方を探すのに協力してくださった。色々と、親切にしてくれた。
「俺は人の気持ちを察するのが不得手だ。そんな俺に、彼女は嫌な顔をするでもなく、自分の意思や感情を言葉にして伝えてくれた」
それが恩? いくら何でも大げさだってば。
殿下は私の雇い主なんだから、コミュニケーションをとろうとするのは当然のことだ。多分、殿下の周りの人たちだって普通にやっていることだと思う。
「彼女は、理不尽に対して怒ることができる」
なぜか殿下の声に力がこもる。
「彼女の意見を聞き、彼女の目を通して物事を見ることで、俺は自分自身について考え直すことができた気がする」
「おまえ自身について」
ハウライト殿下が繰り返す。「それはおまえの生い立ちや、両親との関係も含めた話か?」
「ああ、そうだ」
首肯するカイヤ殿下。
「彼女の言葉には嘘がない。正直で誠実で――強い言葉を使う時もあるが、そこに悪意はない。相手を貶めようという意図もない」
むしろ優しい、と殿下は続けた。
「彼女の作る料理には、その人柄が特によく表れていると思う」
「……料理?」
「ああ。兄上はまだ口にしたことがなかったか? 食べる人間を力づけたい、喜んでもらいたいという思いやりが込められていて、何というか、とても――」
ふさわしい言葉を探すように口ごもり、
「癒される。そう、癒されるだ」
「…………」
「彼女と居ると、俺は心が安らぐ。彼女の傍は、俺にとって心地良い場所だ」
なるほど、と今度はハウライト殿下の方がうなずいた。
「それだけならば確かにおまえの言う通り、親しい友人と呼ぶこともできるだろうな」
カイヤ殿下は黙って兄殿下を見返した。
何か困っているような、あるいは自分でもよくわからない感情に戸惑っているような――そんな弟の視線を受け止めて、
「……だが、どうやらそれだけ、というわけでもないようだな?」
「…………」
「彼女の存在をまぶしく思うことはあるか? 安らぎを覚えながら、同時に不安になることは? 共にある喜びの中に、痛みを感じることはあるか?」
「…………」
また長い間を置いて、やがてカイヤ殿下はこっくりとうなずいた。
ハウライト殿下も小さくうなずきを返すと、
「つまり、それが恋というものだな」
と話をまとめた。
「……そうか」
まるでたった今、眠りから覚めたみたいな表情を浮かべて、相槌を打つカイヤ殿下。「これがそうなのか。初めてだから気づかなかった」
兄殿下の顔から私の顔へ、ゆっくりと視線を移し、
「俺はどうやら、おまえに――そういう意味で、好意を持っていたらしい」
ドッカンと、私は爆発した。
比喩である。実際には呆然と突っ立っていただけで――ただ、気持ちの方は爆発四散するくらいの衝撃を受けていた。
竜に乗って空を飛び、隠された過去の真実を知り、動く石像や見えない魔女と戦った。
そんなあまりにも濃すぎる1日の中で、これが1番の衝撃的な出来事だった。
※次回は他者視点の間章になります。