32 招かれざる訪問者
「た、た、大変ですよー!」
「どうした、パイラ」
カイヤ殿下が駆け寄っていく。
「あら? 殿下、お見えになってたんですか?」
息も絶え絶え走ってきたメイド姿の女性は、最後の一歩で、ふらりとバランスを崩した。
そのまま、殿下の腕の中に倒れ込む。
「だいじょうぶか、パイラ。何があった?」
「……た」
メイド姿の女性は、軽く息を整えてから、一気にしゃべり出した。
「大変なんです。さっき、姫様とお散歩してたら、池のそばの東屋を通りかかった時に、知らない男の人たち――兵士の格好をした人たちが5人くらい来て、お庭を荒らし始めたんです。誰かの命令だって」
殿下の顔色が変わった。
「クリアは」
「東屋のそばのしげみに、隠れてもらってます。私は、ダンビュラさんを呼びに」
そこまで聞くや、殿下はメイド姿の女性を放し、彼女が来た方に向かって走り出した。
ダンビュラが無言で後を追う。
1人と1匹の姿は、あっという間に視界から消えた。
私も。
成り行きに呆然となっていたが、すぐにぼんやり突っ立っている場合じゃないと気づいた。
今の話。
つまりはカイヤ殿下の妹姫が、危ない目にあってるかもしれない、ってことだよね?
例の異母姉の差し金だろうか。悪質な妹イジメをしているという――。だけど、兵士が5人って、穏やかじゃない。本当なら、姉妹げんかってレベルの話じゃない。
とにかくそのお姫様は、私がお仕えすべきご主人様だ。
助けに行かねば。
と、前に出掛けた私の腕を、パイラと呼ばれた女性がつかんだ。
「ちょっと待った」
私は、彼女の顔を振り向いた。
間近で見ると、ちょっと潤んだような瞳とふっくらした唇が印象的な美人だった。
年頃は20代半ばほどか。わりと化粧が濃い。口紅はレッド系。目鼻立ちがはっきりしており、どことなく気が強そうな印象を受ける。
多分、香水をつけてるんだと思うけど、その香りがまた……。
そんじょそこらの安物じゃない、うっとりするようないい香り。ちょっとエキゾチックで、異国の風景が目に浮かぶような。
身長は私と同じくらいだけど、体型は全然違う。スタイル抜群じゃないか。露出などないに等しいメイド服が、妙にセクシーに見える。色気がどうのとさっきダンビュラがほざいてたけど、これは確かに納得だわ。
って、今はそれどころじゃない。カイヤ殿下の妹姫を助けに行かないと。
しかしパイラは、「私たちは行かない方がいい」と首を横に振った。「武器を持った男の人たちが来てるの。戦えない人間が行くのは危ないでしょ?」
それはその通りだけど、カイヤ殿下の妹姫は現場に居るんだよね?
「だいじょうぶ」
パイラは落ち着いていた。こんなことには慣れているとでもいうように。
「姫様はちゃんと隠れてるし、賢い子だから、助けが来るまで無駄に動き回ったりしないで待っていてくれる。あとは殿下とダンビュラさんに任せておけばだいじょうぶ。多分、すぐに帰ってくるから」
とっさに反論できない私に、パイラは続けて言った。
「私たちはお屋敷に戻って、温かい飲み物でも準備しておきましょ。聞いてなかったけど、あなた、新しいメイドの子なのよね?」
「あ、はい。エル・ジェイドと申します」
慌てて名乗る。
「そう。私はパイラ・イコ。このお屋敷の家事全般を担当してます」
パイラはにっこりと、とても魅力的な笑みを浮かべた。
「あなたに仕事を引き継ぐまでは居る予定だから、短いお付き合いになるけど、よろしくね?」
私は「よろしくお願いします」と返した。
ただ、頭の隅では、こんなのん気にあいさつなんかしてていいのかな、と思っていた。
私が気もそぞろなのを見抜いたらしい。パイラは少し笑って、「本当にだいじょうぶよ」と繰り返した。
「さっきは大げさに騒いで見せたけど、あの男の人たち、そこまで危険そうには見えなかったから」
「……え?」
「多分ね。姫様をさらうとか傷つけるとか、そういうことをしに来たわけじゃないと思う」
パイラが言うには、その兵士らしい男たちは威嚇するように大声を上げたり、庭の植物をひっこ抜いたりするだけで、彼女と姫君に近づいてはこなかったのだそうだ。
「何のためにそんなこと……」
「さあね。多分、嫌がらせじゃない?」
パイラは軽く言うが、散歩の途中にそんな光景を目撃してしまったお姫様は、どんなに怖かっただろう。
「珍しいことじゃないのよ、残念ながら。兵士まで出てくるのはさすがに初めてだけど……」
パイラはそこで言葉を切り、しげしげと私を見つめた。
「姫様のこと、どのぐらい知ってる?」
どのぐらいと言われても、そもそも私はクリスタリア姫の名前も知らなかった。
王様と王妃様の娘で、王位継承者のハウライト殿下とカイヤ殿下の同母妹。あとは、異母姉のルチル姫にいじめられていること、くらいしか。
「そっか。じゃあ、くわしい話は後でゆっくりね」
パイラはお屋敷の方に身を翻す。「まずはお湯をわかそう。昼食の準備もして……あなた、料理は得意?」




