323 動く巨像2
キン、と高く澄んだ音が辺りに響く。
いっさいの恐れも躊躇もなく前に出たクロサイト様が、手にした剣を一閃。動く魔女の像の右足首辺りを打ちすえた音だった。
あの像って、材質は多分、石だよね。
剣でどうにかできるとは思えない――という私の予想に反して、一撃を受けた巨像は、なぜかぐらりとバランスを崩した。
そのスキにハウライト殿下が弟を連れて後退し、逆に巨像に駆け寄ったジェーンが、手にした武器を容赦なく叩きつける。
ぐわしゃあっ!!
なかなかに派手な音がした。
本日のジェーンの得物は剣ではない。長い柄の先に金属製の丸い頭部がついた、いかにも重量級の武器だった。
「メイスですね。高い威力を持つ殴打武器ですよ」
博識なセレナが解説してくれる。2階席の1番後ろに居たはずだが、いつのまにか狐目の従者を連れて、最前列に近い席まで移動している。
常軌を逸した怪力で打ち込まれたメイスは、石像の表面に大きなヒビを入れていた。
石像が痛みを感じるとは思えない。怒りや恐怖を覚えることもないだろう。
しかし2人に攻撃された魔女の像は、突如として激しく暴れ始めた。
クロサイト様もジェーンも動じない。振り回される両手をすばやくかわし、スキを見て攻撃に移る。
キンキン、ぐしゃあ、と音が鳴るたび、石像の一部が砕けて、飛び散った。
ジェーンの得物はまだわかるが、クロサイト様の武器は剣である。なぜ石像に通じるのか。それ以前に折れないのか。疑問に思っていると、
「あれぇ? クロサイトが使ってるのって魔剣じゃない?」
王様が眉をひそめた。
「どっから持ってきたんだろ? うちの宝物庫にも1本あるはずだけど……。まさか無許可で持ち出したりはしてないよね?」
「そんなわけがないでしょう」
冷ややかに突っ込みを入れたのは宰相閣下だった。
「あれは近衛副隊長殿の私物です。所持することはもちろん、有事の際の使用許可もとっているはずですよ。お忘れですか」
そうだっけ、と首をひねる王様。
魔剣って何だ。要するに魔法の剣ってこと?
「大陸の遙か東にある神域で、人知れず眠っていたものらしいですよ」
またセレナが解説してくれた。
「今から数百年前、古の勇者の血を引く探検家が、深い洞窟の奥から苦難の果てに持ち帰ったもので――」
何だかおもしろそうな話だったけど、ゆっくり耳を傾けている暇はなかった。
「お嬢様。そろそろお逃げになりませんと」
狐目の従者が促してくる。
確かに、白い魔女の像が大暴れしているせいで、2階席もさほど安全とは言えなくなってきた。
ぐらぐらと足元が揺れるし、たまに天井から、細かい破片が降ってくるし。
1階で右往左往していた見物客も、騎士たちがうまく避難誘導したのか、既にほとんどが姿を消していた。今ならここから抜け出すこともできるかもしれないが。
「そうねえ……、どうします?」
セレナが私を見る。
どうします? と言われても。さすがに目の前で雇い主が狙われている状況で、自分だけ逃げるというわけには。
「あの魔女の像って、いったい何なんでしょうか……」
なんでいきなり動いて、殿下を襲ったりするんだ。
さすがのセレナも、そんな質問には答えられなかった。困った顔をして、
「像自体はずっと昔からこの礼拝堂にありましたよ。でも、動いたなんて話は聞いたこともないわ」
そりゃそうだ。仮にあったとしたら怪談だ。立派なオカルトである。
「だから、もしもこれが魔法の力なのだとしたら、あの魔女の像自体が問題なのではなくて――それを操っている誰かが、どこかに居るのではないかしら」
魔法の力で、魔女の像を操っている人?
私はハッとした。
「まさか、あの魔女オタクの元王様が!?」
と、思ったけど、違うか。
ファイが魔法を使えたのは王国の秘宝「白い魔女の杖」を持っていたからで、その杖はとっくに取り上げられている。
「エルさん? 今なんて――」
「あ、いえ、何でもありません」
うっかりした。悪名高き先代国王の魂が現世を彷徨っているなんて話は、みだりに口外してはいけないものだったのに。
珍しく顔を強張らせているセレナを愛想笑いでごまかして、私はじっと階下に視線を向けた。
もうひとつ、思い出したことがあったのだ。
今朝方、ギベオン家のアルフレッドとマーガレット嬢がふいに訪ねてきて、この儀式でカイヤ殿下の命を狙う計画があるという話をした、その時。
――覚えているか? 『淑女の宴』で起きたことを。
殿下は言った。あの宴では、王様の側室の1人、エマ・クォーツが暗殺されかけたのだが、
――おまえは姿の見えない『魔女』を目撃したと言ったな?
そうなのである。
私は見た。エマ・クォーツを狙った犯人を、この目で確かに。
それは魔女だった。「ひとつ目の巨人と魔女」のおとぎ話に出てくる悪い魔女のような、ローブをまとった怪しい女だった。
もしもあの魔女が、悪い魔法で巨人ならぬ巨像を操り、殿下の命を狙っているのだとしたら――。
おとぎ話と現実がごっちゃになった、だいぶ飛躍した発想である。
しかしこの時の私は真剣だった。目を皿のようにして、魔女の姿を探していた。
巨大な石像が動いて雇い主に襲いかかるなんて状況に、自覚はなかったけど、頭のネジが飛んでいたのかもしれない。
「おい、おまえ。さっきから何を見ているんだ?」
何やら可愛らしい声が聞こえたと思ったら、リハルトが私の右横で手すりにぶら下がっていた。
構っている時間が惜しかったので、
「あの白い魔女の像を操っているかもしれない、悪い魔女を探しております」
とありのままに回答する。
「わるいまじょ?」
弟のリーライも、興味を惹かれたようにやってきた。手すりから身を乗り出そうとぴょこぴょこ跳ねるが、幼児の身長では届かない。最終的には兄に抱っこされて、どうにか手すりにつかまることができた。
「まじょ、どこ? どこにいるの?」
金色の頭が左右に揺れる。その兄も弟を抱えたまま、きょろきょろしている。
「魔女とは何のことだ?」
彼らの叔父にあたるレイルズまで来てしまった。仕方ないので振り向いて説明しようとした時、金髪兄弟の頭が止まった。
『あ、居た』
声がそろう。2人同時に、階下の一点を指差している。
私は勢いよく振り向いて、兄弟の視線の先を目で追った。
……本当に、居た。
さっきまで儀式が行われていた立派な祭壇の陰に隠れるようにして、黒いローブを着た怪しい人影が――。
遠目だし、顔が見えたわけでもない。
なのに、私は確信していた。
あれは魔女だ。あの「淑女の宴」で見た、怪しい女だと。
とっさに、声を張り上げて叫んでいた。
「殿下ぁー! クロサイト様ぁー! 魔女です! 祭壇の陰に、その像を操っている魔女が!」