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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第十四章 新米メイドとひとつ目の巨人
323/410

322 動く巨像1

 礼拝堂の中はパニックになった。……そりゃまあ、パニックにもなろうってもんである。

 巨大な白い魔女の像が、突如として動き出したのだ。

 ありえない。現実とは思えない。思考も理解も追いつかないその状況下で、冷静に行動できるのなんて一握りの人間だけだ。


 ちなみに私の雇い主は、その「一握りの人間」に入る。

 自分の方にのびてきた巨大なてのひらをすんでのところでかわし、身動きの邪魔になるヴェールを脱ぎ捨て、護身用の武器を抜き放つ。

 つかの所にった意匠がほどこされた短剣だった。

 それを抜いてから、目の前に迫る魔女の像を見て、ふと考え込むような表情を浮かべる。

 多分、「こんな物が役に立つ相手か?」って考えてるんだと思うけど、冷静なのも度が過ぎるとのん気に見える。


 いいから、早く逃げてってば!


「殿下!」

 私はとっさに駆け出した。

 2階席の1番後ろから、最前列へ。

 そこには王様を囲むようにして、美しく着飾った女性が大勢居たのだが――当然のことながら、彼女たちもパニックになっていた。

 泣き叫ぶ貴婦人も居れば、呆然と立ち尽くしているだけの姫君も居る。彼女たちを守ろうと、護衛や使用人が右往左往している。

 中には逃げ出そうと出口に向かう人も居たけど……、むしろここに居た方が安全では? 1階は人が多い分、より深刻なパニックが起きている。今、下に下りたら、確実に巻き込まれる。


「えー、何これ、何これ。すごくない?」

 だからといって、王様みたいに最前列ではしゃいでるのもどうかと思うけどね。

 白い魔女の像は、大きさからして、かなりの重量があるのだろう。その像が一歩動くたび、礼拝堂が揺れる。2階席も揺れる。

 なのに王様にはまるで危機感がない。

「特等席だねえ」

 なんて言いながら見物している。下で危険な目にあっているのは、あんたの息子だろーが。

 ぶん殴ってやりたかったけど、近づくのは無理だった。錯乱する貴婦人や姫君、護衛や従者が邪魔で――。


「静まりなさい」

 地を這うような低い声が、2階席の混乱を沈静化した。

 氷点下の冷たさの中に怒りとイラだちをにじませた、ムチャクチャ怖い声の主はレイテッド家の長女・レイリアだった。

「王国の頂点に立つ者たちが、この程度のことで見苦しい。幼子おさなごのように泣きわめくことしかできないのなら、今すぐこの場から消え去りなさい」

 孔雀の羽がついたど派手なおうぎを揺らめかせ、カツカツとハイヒールを鳴らして前に出ると、国王陛下に――違った。その隣に居た隣国の王太子殿下に向かって、優雅に一礼する。

「お騒がせして申し訳ありません、殿下。どうかお許しくださいませね」


 王太子殿下は、それなりに肝の据わった人物だったようだ。こんな状況でも、泣いたりわめいたりはしていない。ただ、大いに困惑しているみたいで、

「いえ……、私のことなどは良いのですが」

 渋みのある低音。耳心地の良い、何とも素敵な声でそう言って、階下に目を向ける。

「それよりも、この状況はいったい……。何かのパフォーマンス? もしや儀式の一環というわけでは……」

 そんなわけがない。でも、そうとでも考えなきゃ頭が追いつかなかったんだろうね。気持ちはわかりますよ、ええ。それが常識的な考え方ってものだ。

 レイリアはにっこり笑って首を振った。

「もちろん、違いますわ。誰も予想していなかった、不測の事態です」

「……そうですか」


 王太子殿下の後ろには、いつのまにか護衛らしき男たちが数人、付き従っている。隣国の近衛騎士だろう。王国の騎士とは制服のデザインが違う。

 内1人が「悠長に話している場合か! 早く殿下を安全な場所に――」と声を上げかけて、レイリアのひとにらみで沈黙させられている。

「今、下に下りるのは危険でしょう。少しは頭を使いなさい」

 彼女の仰る通り、安全を考えるなら、ここに居た方がいいと思う。無論、あの白い魔女の像が急にこっちを狙ってきたりしなければ、だが。


「……今は様子を見るしかなさそうですね」

 王太子殿下の判断は賢明だ。でも、護衛の騎士たちの顔は曇っている。

 わけのわからない災難に見舞われて、逃げるでも戦うでもなく、ただじっとしているしかない――というのはかえって怖いよね。

 一応パニックから抜け出した貴婦人や姫君たちも、真っ青な顔で身を寄せ合っているし。

 フローラ姫も震えている。前にもどこかで見た覚えがある、優しそうな侍女さんにすがりつくようにして。


 泰然と、まるで動じることなく、状況を見極めようとしているのは宰相閣下くらいのものかもしれない。

 あ、いや。その奥方様も、多少青ざめてはいるが、凜として前を見すえている。

 あとは気楽な見物気分の王様と、おそろいの扇をはためかせながら様子を見ているレイリアとレイシャ、「まあまあ、大変」とか言いつつ瞳を輝かせているセレナと狐目の護衛と……動じてない人、結構多いな。

 ああ、そういえばもう1人、騎士団長も。

 なぜか驚くでも慌てるでもなく、怖いほどの無表情で座したまま。……まさか座ったまま気絶してるわけじゃないよね? と疑うくらい微動だにしない。

 この信じがたい状況が、彼のくわだてた「クーデター」というのでもなければ、もっと慌てふためいていてもよさそうなものだが……。


「おい、カイヤ! 外だ! 外に逃げろ!」

 2階席から身を乗り出すようにして、下に向かって叫んでいるのはレイルズだ。「狭い場所では捕まるぞ! 外に逃げろ!」

「そうはいかん! 外には儀式を見物に来た民衆が居る!」

 殿下も叫び返す。

 確かに――あの凄まじい数の見物人がパニックに陥ったとしたら、いったいどれほどの犠牲が出ることか。考えるだけでも恐ろしい。

「まずは外の民衆を避難させてくれ! おまえたちも早く――」

 逃げろ、と言いかけた殿下の動きが止まる。ハッと表情を強張らせたかと思うと、あろうことか自分を狙う魔女の像に向かって駆け出した。


 理由はすぐにわかった。儀式を執り行っていた、あの司祭様。目の前で魔女の像が動き出すという信じがたい現実に直面したご老人が、ショックのあまりぶっ倒れていたからだ。

 しかも魔女の像の進行方向に。あのままじゃ踏まれてしまう。

「カイヤ!!」

 レイルズが叫んで、さらに身を乗り出す。

 そのまま2階席から飛び下りようとした弟を、レイリアはなんと片腕でつかんで引きずり戻し、

「あなたはここに居なさい。第二王子殿下には頼もしい護衛がついているでしょう」

 勢い余って後ろ向きにひっくり返る弟には一瞥いちべつもくれず、レイリアは冷たいほど静かな瞳で階下を見下ろした。


 そこには、はがねの長剣を構えた騎士が1人。白い魔女の像から、殿下を守るように立っている。

「救国の英雄だ! クロサイト・ローズが来たぞ!」

 レイテッド家のお子様たち、リハルトとリーライがきゃっきゃと喜んでいる。

 何か面白い見世物だとでも思ってるのかなあ。まあ、子供だし? 状況が理解できなくても無理ないけど。


 現れたのはクロサイト様だけじゃない。近衛騎士が十数人、殿下を守るように姿を現している。

 その先頭に立つのは、銀髪長身の女性騎士。ついさっきまで私と一緒に居たジェーン・レイテッドだった。

 彼女は倒れた司祭様をすばやくかつぎ上げ、「邪魔なものはすぐに片付けておきなさい」と仲間の騎士に押しつけて、それからまた白い魔女の像に向き直った。


「これがもしや、例の巨人なのでしょうか?」

 え、そうかな?

 ……ちょーっと違うんじゃないかなあ? 確かに巨(大な)人(型の像)ではあるけど……。

「巨人はひとつ目のはずだ。この像には目が2つあるな」

と殿下。

「今、そんなことはどうでもいい」

 冷静に突っ込みを入れたのはハウライト殿下だった。……って、なんで第一王子殿下があんな場所に。そういえば2階席には――居ないな。最初から居なかった。

「兄上、なぜここに?」

 殿下も驚いている。「下は危険だ。できればレイルズたちと上に――」

 ぺし、と軽い音を立てて、第一王子殿下のてのひらが弟の頭をはたく。

「危険なのはどう見てもおまえだ。ここはクロサイトたちに任せて、下がっていろ」

 ため息をつきつつ、弟の体をつかまえて引きずっていこうとする。

 と、そこに。

 あの白い魔女の像が、再び身をかがめるようにしてその手をのばした。

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