318 儀式の夜1
礼拝堂は人であふれていた。
……いや、そんなレベルではない。
青藍祭は王国の伝統行事。今夜、行われる儀式は、その華々しいフィナーレを飾るもの。
集まった人の数は、田舎育ちの私の想像など遙かに超えて凄まじかった。
いやはや、本当にすごい。
十重二十重の人垣に阻まれて、もう全っ然、前に進めない。それどころか一歩も動けない。
目指す礼拝堂は視界の中に見えている。
大きな丸屋根で、高さは3、4階建てくらい。王城と同じ白い石造りの、古びてはいるが立派な建物である。
日が落ちたばかりの黄昏時。仄暗い中に無数のランタンが灯されて、白い花が飾られていて――それはもう幻想的と言っていいほど美しい眺めだったけれど。もっとゆっくり見物できていたら、きっとそう思えたはずなんだけど。
「うう……」
参った。ここに来てから30分はたつというのに、一向に目的地に近づけない。
私は1人で来たわけじゃない。
時間を巻き戻して説明すると――今からざっと1時間前、「魔女の霊廟」で悪逆非道の魔女オタクの元王様に逃げられた後で、クリア姫、ダンビュラ、ジェーンの3人と共に、竜の背に乗ってここまで飛んできたのだ。
こんな人の多い場所に竜を下ろしたら大変なことになるから、だいぶ離れた森の中に降りて。
クリア姫とダンビュラはそこで待機している。
竜ほどじゃないにせよ、ダンビュラも謎の生き物だ。人前には出られないし、それにクリア姫だって、本来は儀式に参加せずお留守番、ということになっている。
霊廟で手に入れた短剣、ファイいわく「悪しき魔法を封じる力」については、クリア姫が持っている。
もしも本当に巨人なんてものが礼拝堂に近づいてきたら(そんな兆候は全く見られないが)、ダンビュラが短剣で封じる手はずだ。
「剣なんて使えるんですか? ダンビュラさんて」
彼は虎である。正確には、それに似た生き物である。彼の前足では、剣を握ることなどできそうもない。
私が疑問を呈すると、彼は短剣の柄をぱくりとくわえて、手近な木の幹に勢いよく突き立てて見せた。
「これでいいだろ」
「……なるほど」
一応は納得する私の横で、ジェーンが別の疑問を口にした。
「封印の力というのは、ただ刺すだけで発動するものなのでしょうか?」
巨人、というのが具体的にどのくらいの大きさなのかは知らないが、仮に山ほどの大きさであった場合、ダンビュラの身長では、その足元に傷をつけるのがせいぜいだろう。
「急所を狙わずともよいのでしょうか。たとえば心臓、あるいは首や頭であるとか」
「俺に聞くなよ。んなもん知るわけねえだろ」
封印のやり方を私たちに説明したファイは、そこまでくわしい話はしていなかった。
「まあ、やってみるだけだろ」
とダンビュラは言った。
彼は、それにジェーンもだが、全然怖がっている様子がない。
本気で山ほどもある巨人なんてものが現れたら――しかもその巨人と戦わなければならなくなったりしたら、命がいくつあっても足りないと思うのだが。
クリア姫は青ざめている。巨人と戦うという想定もさることながら、その巨人が狙っているのは、最愛の兄殿下だ。怖いに決まっている。
私は――まだ半分実感がわかない、というのが正直なところだった。
いくら話に聞かされても、巨人が殿下を狙ってやってくるなんて、ねえ。さすがにこの目で見るまでは、100パーセント信じられるものではない。
「私は殿下のもとに報告に参ります」
ジェーンが言った。
魔女の霊廟で「封印の力」を手に入れたことや、ファイに逃げられたこと、それ以前に王妃様の離宮に行ったこと。
今日は予定外の行動ばかりとってしまったから、殿下への報告は必須だ。
「それなら、私も一緒に行きます」
ジェーン1人に任せたら、話が正確に伝わらない恐れがある。彼女にとって重要なことだけを強調し、興味のない部分は端折ってしまいかねない。
そんなわけで、クリア姫とダンビュラを森に残し、2人で礼拝堂に向かったのだけど。
ジェーンは持ち前の怪力で人波をかき分け、さっさと行ってしまった。すぐに後を追おうとしたものの、何しろこの人の多さだ。割れた人波はあっという間に元通り、私は進むべき道を失ってしまったのである。
「すみません、通して……。通してくださいぃ……」
必死に声を上げても、喧噪に飲まれて、かき消されてしまう。
あっちに押され、こっちに押され。礼拝堂に近づくどころか、だんだん遠い方へと流されているような気が。
しまいには背中を押されて、転びそうになった。
「ひゃああああっ!!!」
悲鳴を上げながら、ぽん、と勢いよく転がり出した場所。そこは馬車道だった。
儀式を見物に来た人たち、中でも馬車で礼拝堂に向かうことを許された、要は身分の高い人たちが通るための道だ。
一般人がまぎれ込んだりしないよう、道の両脇には警備兵がずらりと並んでいたのだが、それでもこの人の多さだ。完全には防ぎ切れなかったんだろう。おかげで、私のような運の悪い人間が災難に見舞われることになったわけだ。
馬の嘶きが、辺りに響く。
御者台に座る男が、慌てて手綱を引くのが見える。
目の前に迫る車輪が、土煙を立てて急停止。あわや、というところで私は轢かれずにすんだ。
「何者だ! この怪しい女め!」
轢かれずにはすんだけど、災難はまだ終わっていなかった。
馬車の進路をふさぐように、道に飛び出してきた女だ。傍目にはそりゃ怪しく見える。
兵士に引っ立てられそうになったところを止めてくれたのは、のんびりとした優しい声だった。
「あらぁ、エルさん? まあ、こんな場所でお会いするだなんて」
偶然ですねえ、とほほえんで見せる。馬車の窓から顔を出し、私を見下ろしている初老の女性。
「どうも、セレナさん……」
私は気抜けした声で彼女にあいさつした。