315 抜け殻
前に、「魔女の憩い亭」のセドニスに聞かれたことがある。
父が失踪したのには、それなりの理由があるはずだ。7年も経過してから、今さら探す意味があるのかと。
確かに、自分でもわかってた。傍から見れば、さぞおかしなことをしているように見えるだろうなと。
なぜ今頃になって。なぜ7年もたってから。これが他人事なら、私だってそう思う。
答えは簡単だ。理屈じゃなくて、気持ちの問題だったからだ。
父が居なくなってから7年間。
学校に行ったり、家業の手伝いをしたりしながら、表面上は穏やかに、何事もなく過ごしてきた。
口は悪いが、愛情深い家族に囲まれて。幸せか不幸かでいったら、間違いなく幸せだったと言える。
でも、ずっと。
何かが、ずっと。
心の奥底にわだかまって、モヤモヤしていた。
それは形にならない、言葉にもできない、ほんのかすかな違和感だったのかもしれない。
何かがおかしい。
どこかがおかしい。
私はこれでいいのか。何かを間違えていないか。その「何か」は自分にとって忘れてはいけない、大事なことだったんじゃないのか――。
……そうだ。
思い出した、全部。
父がなぜ、私たち家族の前から姿を消してしまったのか。その理由も、7年前の事件のことも。
何のことはない。全ては私のせいだったのだ。
家族から父親を奪った元凶は、他でもない、私自身だった。
「ああ……」
どうして、と自分を責める。
こんな大事なこと、今まで忘れていられたんだろう。
おかしいだろう。どう考えても。今になって急に、記憶が戻ったのだって不自然じゃないか。
――ううん、そんなことはどうでもいい。
石棺の中で眠る父を見つめながら、私は静かにかぶりを振った。
大事なのは事実だけだ。
私が、私のせいで、父がこんなことになってしまったという事実だけ。
「エル、エル、いったいどうしたのだ?」
クリア姫が私を呼んでいる。そっとメイド服の袖を引き、少し間を置いてから、遠慮がちに肩を揺すってくる。
「……私のせいなんです」
「え?」
と聞き返されて、私は彼女の顔を見下ろした。
澄んだ鳶色の瞳が、不安そうに揺れている。ああ、私のことを心配してくれているんだ、本当に優しいお姫様だなあと頭の隅で考えながら、
「私のせいなんです」
同じセリフを、もう1度繰り返す。視線を再び棺の中に向けて、
「父さんがこうなったのは、私の……」
「違う!」
血を吐くような叫びが、石室内にこだました。
見れば、霊廟の入り口にゼオが立っていた。
さっきよりさらにボロボロになって、肩で息をしながら石室の中に入ってくると、やおら私の前に膝をつき、地に伏して頭を下げる。
「俺がドジ踏んだんだ! まだガキだったおまえを殺しかけた! そのせいでシムはこんなことになったんだ! おまえは何も悪くない!」
ゼオの後を追ってきたらしいダンビュラが、目の前の状況に言葉を失っている。
同じく後を追ってきた様子のジェーンも、その無防備な背中に斬りかかろうとはしなかった。
カルサも、クリア姫も。
誰もが口を閉ざしている中、それでも空気を読まないのが約1名。
「見たところ仮死状態だな」
思案顔で棺の中をのぞき込み、ファイはそこに横たわる男の様子をしげしげと観察している。
「食事もとらずに眠っていたということか? だとすれば間違いなく魔法の力であろうが……、ふうむ……」
しばし唸っていたかと思えば、ふいにカルサの方を見て、
「おい、小僧。そこの娘の父親が、7年前に魔女に願い事をしたと言ったな?」
カルサは戸惑いながらもうなずいた。
「あ、うん。言ったけど」
「で、その父親というのが、この男であると」
「うん。そうらしいけど」
「そうか。つまりは、その願いの代償としてこうなっているわけだな。失ったのは意識か、魂か。体は生きているということは、寿命は残っているはず……」
ぶつぶつと1人つぶやくファイを、その場の誰もが声もなく見つめている。
床にうずくまっていたゼオも顔を上げている。
彼にしてみれば、ファイは初めて会う人間だ。一見すると美少女、しかし言葉遣いや仕草はそれらしくない。
率直に言って、怪しい人物である。それが目の前でわけのわからないことを話しつつ、眠る友人の様子を無遠慮に観察しているわけで。
「おい、てめえ。……何者だ」
ゆっくりと立ち上がるゼオ。そのまなざしに宿る敵意に、臆するようなファイではなく。呼びかけもスルーして、
「ふむ、同じだな」
やがて何らかの結論に達した様子で、ぽんと手を打った。
「願いの代償によって、失われた魂。この男の意識が戻ることは2度とない」
「おい」
ゼオが1歩近づく。それでもファイはマイペースに話を続ける。
「この体は、いわば抜け殻だ。……で、あるならば」
くるりとその顔を私の方に向けて、
「我が使っても、別に構わぬであろう? 以前にも言った通り、この小娘の体は我には不便過ぎる。やはり、慣れ親しんだ男の体の方が何かと都合がよいのだ」
「…………」
「若いというほどではないが、年老いてもおらぬ。体も健康そうだ。何と言っても、研究には体力が必要だからな。この体ならば及第点だ。我の新たな器としてふさわしい」
「…………」
彼が、何を言っているのか。
ショックで呆然としている私の頭では、理解することなど到底不可能だった。
私だけじゃない。その場の誰もが理解不能だったのだろう。
ゼオでさえ止められなかった。ファイが、石棺の中で眠る父の体にその手をのばすのを――。