314 真相
たとえばの話。
瀕死の重傷を負った人間が、それでも奇跡的に回復したとして。
すぐにベッドから下りて歩き回れるかといったら、無理だと思う。何日も寝たきりになるだろうし、食事だってまともにとることはできまい。
私の場合は違った。
確かに体は重く、ぎこちなかったものの、ちゃんと自分の足で歩くことができた。
ご飯も食べられた。自力でお手洗いにだって行けた。
まるで、ちょっと風邪をひいて寝ていただけとでもいうように。いくらなんでも不自然だと思った。
もうひとつ。
すり傷や切り傷だって、ものによっては痕が残る。
ましてナイフで刺されたりしたら、よほど腕のいいお医者に縫ってもらったとしても、その傷痕が消えてなくなることはきっとない。
なのに、包帯の下には何もなかった。
私の体は傷ひとつなくきれいなもので、にも関わらず手当てがされていた――丁寧に包帯が巻かれていたのも奇妙なことだった。
父が、大ケガをした私を置いてどこかに行ってしまったとか。
そんな話は、そもそも信じたくなかったし。
父の友人だという男はどこに消えたのか。あの怪しい黒服たちは何者だったのかと、疑問は尽きない。
決定的におかしかったのは家族の態度。
うちの家族は基本、口は悪いが正直者だ。
それが事件以来ずっと、奥歯に物が挟まったような話し方をするわ、探るような目で人のことを見るわ。
どう考えてもおかしい。何か隠している。
そう結論づけた私は、弟だけを家から連れ出し、知っていることを話せと命じた。
隠し事をしている時の大人は、ちょっと聞いたくらいじゃ何も答えてくれない。
だから弟を選んだ。家族の中で1番正直で、生意気で、遠慮も容赦もなく本当のことを言う奴だから。
「ようやく気づいたの?」
遅かったね、と弟は言った。ちなみにその時、私が目覚めてから既に1週間ほどが経過していた。
「何も話すなって、おじいちゃんたちに口止めされてたんだよ。でも、姉さんが自分で気づいたんならいいよね。全部言っちゃっても」
そして、弟は話し始めた。
私が意識不明の重体になった時、父が村から出て行ったのは事実だが、それはけっして逃げたわけではないと。
「ノコギリ山に登って、黒い魔女に願い事をしたんだってさ」
え? と私は聞き返した。
「本当かどうかは知らないよ。けど、父さんはそう言ってた」
事件が起きたあの日。一足遅れて村に戻ってきた父は、変わり果てた娘の姿にショックを受けた様子で。
あの黒服たちの正体であるとか、くわしい事情を説明するどころではなく。
食事も睡眠もとらずに、娘の回復を祈り続けた。
何日も、何日も。村にひとつだけある礼拝堂に通いつめて。
しかしその祈りが届くことはなく、私の体が日に日に衰えていくのを見て、父は決意した。
ノコギリ山に行く。魔女に助けてもらう。医者にも救えないなら、他に方法はないと。
ちなみに、父が「気づいた時には、村から姿を消していた」というのも事実であるらしい。
言えば止められると思ったのか、単に余裕がなかっただけか。
父は家族に何も言わずに村から出て行ったのだ。様子を見守っていた礼拝堂の司祭様に、「魔女に会いに行ってきます」と一言、告げて。
それから数週間、全く何の音沙汰もなかったため、「あいつは逃げたんだ」と祖父が疑ったのも本当のことらしい。
だが、父は帰ってきた。
ある朝、唐突に。長い長い旅から戻ったかのようなボロボロの姿で、疲れ切ってはいたが、晴れ晴れとした顔をして。
――もうだいじょうぶだ。エルは目を覚ます。黒い魔女が魔法で助けてくれる。
父が世迷い言を言っているのだと、あるいは疲労と悲しみのあまりおかしくなってしまったのだと、家族は思わなかった。
なぜなら、父が戻る少し前。魔法のような出来事が現実に起きたからだ。
かろうじて呼吸はしていたものの、ずっと土気色の顔で昏睡状態だった私の頬に血の気が戻ったのだ。
すやすやと、ベッドの中で安らかに眠る私を見て、いったい何が起きたのかと、医者も家族も困惑していたところだったらしい。
――もうすぐ目を覚ますよ。魔女と約束した。
ただし、それには代償として、父の残りの人生を捧げることが条件で。
父が帰ってきたのは、家族に会うため。最後にみんなの顔が見たかったから、少しだけ猶予期間をもらったんだと話していたそうだ。
にわかには信じがたい話。しかし、家族は信じた。
その時、父の顔は優しく、穏やかで――覚悟を決めたかのようで。
冗談を言っているようには見えなかったから。全てが本当のことなのだと、わかってしまったから。
――どこまで勝手な野郎なんだ、てめえは!
烈火の如く怒る祖父と、今にも気を失ってしまいそうな母を支える祖母、まだ何もわかっていない妹と、幼いながらも事情を理解した弟の前で。
――本当に、申し訳ありませんでした。
父は深々と頭を下げた。
そして、自分のことはどうか忘れてくださいと告げて、今度こそ本当に村から出て行ってしまった。
魔女との約束通りに。意識が戻らない娘の身代わりに、2度と覚めない眠りにつくために。