313 ぬくもり
「これはいったいどういうことだ?」
ありえない、とつぶやくファイ。驚愕に見開いたまなこで棺の中に眠る男を見上げ、「なぜ、こんな場所に人が居る。こやつは何者だ?」
「…………」
私は何も言えなかった。無言のまま、ふらふらと棺に歩み寄った。
男。茶髪で30代くらいの、ごく普通の。
その顔は、記憶の中にある顔と同じ。齢を重ねた様子もない。
「……父さん」
「は?」
ファイが眉をひそめる。
「エル……? 今、なんと……」
クリア姫にお答えすることさえ、今の私にはできそうもない。頭が真っ白で、何も考えられない。
「父さん……」
そこに、父が眠っている。
7年前に失踪して、ずっと行方が知れなかった父が。
白い魔女が眠るはずの霊廟で、古風な短剣を胸に抱いて、物言わず横たわっている。
「……これはいったいどういうことだ」
先程のファイと全く同じセリフを、1人だけ事情を知っている様子のカルサに向けるクリア姫。
カルサは答えない。ただ暗い顔をして口をつぐんでいるだけ。
私は、父の体に手をのばした。
肌が出ている場所――古風な短剣を抱いている両手に、そっとふれてみる。
冷たい。でも。
かすかに、ほんのかすかに命のぬくもりを感じる。冷たい皮膚の下で、脈打つものがある。
「生きてる……?」
つぶやいた瞬間だった。
頭の芯が疼いた。
ズキンと。鈍い痛みが頭蓋を揺らす。
同時に、無数の光景が――これまでは思い出すことができなかった記憶が、津波のように押し寄せてきた。
7年前。私の目の前で、怪しい黒衣の男に連れ去られた弟。
必死でその後を追いかけて、たどりついた村はずれの水車小屋。
そこでは黒衣の男たちが戦っていた。
4、5人で1人を取り囲んで。明らかに多勢に無勢の状況だったが、恐怖に身をすくませているのは多勢の方だった。
たった1人の敵に圧倒されて、為す術もなく倒れ伏していく男たち。
闇夜に響く断末魔。地面に折り重なる骸。
あまりにも恐ろしい光景に、私は恐怖し――それでも弟を助けなければと自分を叱咤し、水車小屋の窓から忍び込もうとした。
ヒュッと風を切る音を聞いたのはその時だ。
直後、熱い衝撃と共に、私の意識は闇に呑まれた。
……それから、どれくらい時間がたったんだろう。
気づいた時には自分の部屋で、自分のベッドで寝ていた。
家族が、私を囲んでいた。
母は泣いていた。祖父母と、弟と、妹。そこに父が居ないことには疑問を覚えなかった。だって父さんは行商に行っているはずだから。帰ってくる予定の日にはまだ遠かったから。
それよりも私を驚かせたのは、鏡にうつる自分の姿だった。上半身は包帯でぐるぐる巻き、しかも髪は真っ白で――。
……どうして、驚いたんだろう。私の髪は生まれつき白いじゃないか。
驚く必要なんてない。問題は包帯の方、つまり軽くはないケガを負っていたことだ。
何が起きたのかは、家族が教えてくれた。
弟を連れ去った男は、実は父の友人で、あの黒服たちから弟を守ろうとしていたのだと。
黒服たちとの乱戦のさなか、水車小屋に忍び込もうとする人影を見て、とっさに敵だと判断し――ナイフを投げつけてしまったのだと。
左肩、それも心臓に近い場所を貫かれた私は、意識不明の状態で医者にかつぎこまれ、可能な限りの手当てを受けた結果、どうにか一命を取り留めたものの。
多量の出血が脳に深刻なダメージを与えたらしく、おそらく意識は戻らないだろうと診断を受けた。
後から村に戻ってきた父は、変わり果てた娘の姿にショックを受けた様子で。
あの黒服たちの正体であるとか、くわしい事情を説明するどころではなく。
気づいた時には、村から姿を消していた。
目撃した村人の話によれば、思いつめたような目をしてふらふらと村の外に出て行ったそうだ。
「あいつは逃げたんだよ」
祖父が吐き捨てる。怒りと軽蔑に満ちた口調で。
「現実を受け止められなかったんだろう。どうしようもない、ヤワな野郎だよ」
「…………」
違和感が、私の胸にわいた。
話の内容にではない。正直、混乱していて、まともに物を考えられる状態ではなかったし。
おかしいのは祖父の態度だ。どうして視線を泳がせてるんだろう。私の顔をまともに見ようとしないんだろう。
祖父の話は続く。意識的にか無意識的にか、視線を泳がせたまま。
医者に回復の見込みはないと言われた私だったが、家族の祈りが天に通じたのか、奇跡的にこうして意識を取り戻した。
あれからもう1ヵ月以上たっている。その間ずっと、私は眠っていたのだと。
暦を見れば、確かに。
あの日から、随分と時間が過ぎているのがわかった。
まだ体がつらいだろう、ゆっくり休めと祖父に言われて。
母に優しく抱きしめられ、祖母に頭をなでられて。
再びベッドに横たわりながら、寝起きの頭で私は考えていた。
何かが変だ、おかしい、と。